神の子どもとなる② キリストとの共同相続人が得る祝福と特権

神の子どもとなる② キリストとの共同相続人が得る祝福と特権

神の子どもは王家の子ども

王家の子どもは王として天に座す

聖書の中で「神の御国」と訳されているギリシア語の言葉は、実際には「王国」を意味します。つまり神の王国は、日本のような民主制ではなく、王が支配権を持つ王政なのです。そのような国において「神の子どもとして誕生する」ということは、あなたが栄えある「王家の子ども」となった、ということを意味します。

人間の世界にたとえれば、「ロイヤルファミリー」の一員となったということですが、それとは比較にならない程に凄いこととして、あなたは天地を永遠に支配する栄光の王国において、その主権者の子どもとして生まれたのです。生まれる前から特別に愛される者、特別な地位を与えられた者となったのです。それは、他のどんな被造物が、どれだけ努力しても得ることのできないものです。天使でさえ得ることはできません。しかしあなたには、その祝福が恵みとして与えられたのです。

しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、5背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。6 神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。7 それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すためでした。”エペソ2章4~7節

引用した聖句では、私たちの新生が神の豊かな恵みであることが明らかにされていますが、昨日まで罪人であった私たちが、神から生まれた途端に「キリストと共によみがえらされ、ともに天上に座らせて」いただいたのです。

「天上に座る」というのは、単に天の椅子に腰かけている、という意味ではありません。それは「王の王」であるイエスと共に、天上の「権威ある座に就いた」ということなのです。たとえ見には見えなくても、私たちの霊的な状態はすでに天の権威ある座についています。そして、キリストが再び地上に来られる時には、私たちも共に来て、主と共に実際に王として治めるようになるのです。(黙示録20章4~6節)これこそ、王の子どもの類稀なる特権であり、それは神が「限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すため」なのです。

今、神はあなたに言われます。あなたは永遠の栄光に輝く神の王国の子どもです。あなたの過去が、どのようなものであっても関係ありません。主が今あなたに、最高の祝福を与えているからです。あなたが誰であるかを決めるのは、あなたの過去ではなく、神のことばです。「私は神の王国の子どもです!」と告白し、この真理を確かな自分のアイデンティティとして下さい。

仮に囚人として牢獄に居たとしても関係はありません。かつて神は、エジプトで囚人となっていたヨセフを、たったの一日にしてその国の支配者としたのではないでしょうか?(創世記41章)それと同じように、イエスを信じてバプテスマを受けた時、あなたは霊において、罪人から天の位に座す王に変えられたのです。

勝利を得る者、最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与える。27彼は鉄の杖で彼らを牧する。土の器を砕くように。28わたしも父から支配する権威を受けたが、それと同じである。また、勝利を得る者には、わたしは明けの明星を与える。” 黙示録2章26~28節

王としての意識が職場を変えた~元高校の教師、Tさんの証

高校の英語教師として勤めていたクリスチャンのTさんは、ある時にマーケットプレイスミニストリーについて学ぶ機会を与えられました。このミニストリーは、クリスチャンがビジネスの現場で良い成果を上げ、神の栄光となる実を結ぶことを目指します。Tさんがそのミニストリーを通して学んだ大切なことは、ビジネスの領域を信仰生活と切り離してはならず、むしろ自分が王の王であるイエスの権威によって、世の職場に遣わされている王の一人なのだと自覚することでした。

この学びによって目が開かれたTさんは、その時以降、「イエスの権威によって遣わされた王の一人」としての自覚と意識を持って、職場で仕事をするようになりました。最初は意識してもすぐに忘れたりすることもよくあったようですが、徐々にそのような意識を常に持って仕事ができるようになっていきました。

意識の変化によって変わった行動の一つは、学校の廊下を歩く時に、端ではなく中央を胸を張って歩くようになったことでした。それは、決して偉そうにするという意味ではなく、王としての尊厳を持って、ということです。ですから、上司や同僚の先生方、生徒に対しても然るべき敬意を持って接しますが、相手が上司だから、あるいはいかつい生徒だから等の理由で尻込みしたり、黙ったりはしません。王としての尊厳を持ち、自分の意見をちゃんと伝え、おかしいことにはおかしいと言い、妥協しないようになりました。すると、自分に対する周囲の反応が徐々に変わっていくことにTさんは気づきました。

Tさんの勤めていた学校は、問題児も多い学校だったようですが、他の先生の言うことは聞かない生徒も、Tさんの言うことは聞くようになっていきました。また、同僚の先生方も、Tさんにより信頼を置くようになり、何かある時にはよく相談されるようになりました。そして、英語の教師だったTさんが、生徒指導部長も任されるようになり、そこでの働きにおいても良い評価を得ることができました。

職場で生じた良い変化の数々を通し、Tさんが大きく実感したことは「自分の力ではないな」ということでした。周囲の変化もさることながら、「神の助けが無ければあり得ない」と思えるような出来事もたくさん経験したからです。主に遣わされた王としての使命を認識し、信仰と仕事を切り分けるのではなく、むしろ主と共に職場で働くようになった時、神の助けが力強く与えられ、仕事の祝福へと繋がったのでしょう。

キリストとの共同相続人

息子の相続権

もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。” ローマ8章17節

聖書は、私たちが「キリストと共同の相続人」であると言っていますが、それはどういうことでしょうか?

まず相続権とは、とても貴重な権利です。それは通常、親族で無ければ持ちえないからです。たとえば私が、ある国の王族と非常に親しくなり、その国の王にとって最も優れた友人になったとしましょう。それでも王の相続権は手に入りません。それは、王の子どもたちで無ければ相続することが許されないからです。

では、王族の子どもだったらどうなりますか?それはやがて、王が持つ莫大な資産と権威を相続することを意味します。この世の規準で見れば、それは物凄いことです。

しかし、私たちは天と地の全てを創造された「王の王」であるお方の子どもとなりました(黙示録19章16節)。それは、地上のどんな偉大な人間の子どもとして生まれることとも、全く比較にならないほど、驚くべき恵みなのです。私たちは、神の相続人であり、キリストと共同の相続人です。では、キリストは何を持っていますか?それは、天と地の万物の全てです!父なる神は、すでにキリストに万物を相続させているのです。

わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。わたしは彼らによって栄光を受けました。”ヨハネ17章10節

御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた。”ヨハネ3章33節

では、キリストはその万物を一人で相続するつもりですか?いいえ、ご自身だけでなく、彼から生まれた子どもたちと共に、「共同で相続する」ことを選ばれたのです。それは、この世の富という視点では測ることのできないものです。実際、その本当の価値は霊的なものです。栄光の王であるキリストと共に、万物の「共同相続人」とされるということ自体が、あまりにも驚くべき祝福なのです。

今、この祝福を心で知ることができるよう、神に祈りましょう。

どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。18また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、19また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。”エペソ1章17~19節

この真理と約束を理解するならば、この地上の人生において物理的に何を所有するかは、あなたにとって大した問題とはならないはずです。神が御子と共に全てを与えて下さったのであれば、これ以上何を望むことができるでしょうか?すでに私たちは豊かなのですから、この地上生涯が仮の住まいであることを理解し、あるもので満足し、ただ主と共に歩むことを喜べるはずです。(ヘブル13章5節)

そして、すでに私たちは、イエスを信じる信仰によって最高に祝福されました。すなわち、「神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」(エペソ1章3節)キリストの中に全ての祝福があるのです。それは命であり、希望であり、約束であり、平安であり、赦しであり、癒しであり、力であり、聖霊による満たしであり、その他全ての祝福です。

私たちが救われて、祝福の根源であるイエスと一つになった時、その全ての霊的な祝福もまた私たちに注がれるようになったのです。

相続者の祝福~辛い時に神から得た励ましの証

ある時私は、霊的な弱さを感じている時がありました。何かがあり、気分が憂鬱になっていました。そのような状態の中、朝の祈りの時間の中で、幾つかの聖句を唱えていました。すると、主の力が私に及んで来るのを感じ、賛美をしたくなりました。

新しい契約」という曲を賛美し、その曲のサビの最後で「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの子となる」と歌った時、その言葉が神からの答えだということがわかりました。そして私は告白していきました。

「天のお父さん、あなたは私の神です。
あなたは私の父です。私はあなたの子どもです。

イエス様、あなたは私の友です。あなたは私の夫、あなたにとって私は花嫁です。
私の前には、命があり、平安があり、希望があり、祝福があり、恵みがあり、癒しがあり、救いがあり、解放があり、自由があり、全てがあります。」

その時、私は気づきました。この方が私の神であるということは、イエス・キリストにあって、私は全てを持っている、ということです。今私が唱えた全ての祝福を、もう私はイエスにあって持っている、そのことに気付いた時に、私に平安が戻りました。

神の子どもは、すでに最高に祝福されています。その真理を知る時、私たちからそれを奪うことのできるものは何もありません。ハレルヤ!神に感謝します。

神の子どもの特権~権威と力を受け取る

神の子どもの特権とは

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。”ヨハネ1章12節

神の子どもとなる特権は、イエスを信じる全ての人に与えられています。かつて私がエホバの証人であった時、その特権は144,000人だけに与えられると教わったので、この約束が自分に対して書かれたものとは信じていませんでした。しかし、神は私の目を開いて下さり、この深刻な偽りから自由にして下さいました。今では、このヨハネ1章12節は、彼らへの逆伝道に私がよく用いる聖句の一つになっています。そして、自分が神の子どもだと理解してから2~3年後、この聖句の意味について、私の目はさらに開かれました。それは、神の子どもの「特権」に関することでした。

新改訳2017年版のこの聖句において、「特権」と訳されているギリシア語の「エクソーシア」は、力、能力、権限、権威、特権などに訳される言葉であり、実は聖書の他の多くの箇所では「権威」と訳されています。例えばマタイ10章1節において、イエスが十二使徒に悪霊と病気を制するために与えた「権威」においても、これと同じギリシア語が用いられています。

イエスは十二弟子を呼んで、汚れた霊どもを制する権威(エクソーシア)をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒やすためであった。”マタイ10章1節

つまり、ヨハネが「神の子どもとなる特権」と書いた時、その言葉には「権威と力」を帯びた力強い神の子どもとしてイメージが伴っているのです。事実、全ての神の子どもたちは、霊においてはすでに「天の位に座している」のであって、その天の位から王の子どもとしての権威を行使することが可能なのです。(エペソ2章6節)

イエスを信じたばかりで、この真理を聞いているあなたは本当に幸いです。なぜなら、たとえあなたが信じたばかりであっても、神の子どもに伴う権威と力を理解するならば、今この瞬間から、あなたはその権威を行使することができるからです。その権威と力は、私たちの行いによってではなく、神の恵みによって与えられているのです。

悪魔に対して権威を行使する

私が権威を理解するようになってから、私は祈り方、言葉の用い方を変えました。悪霊に悩まされている人には、「神様、この人を悪霊から解放して下さい」と神にお願いするのではなく、「イエスの名によって悪霊よ、出て行け!」と命じるようになりました。実際、新約聖書の中で、悪霊に悩まされている人がいる場合、イエスや弟子たちは一様に命じています。これは、単なる言葉の用い方、方法論ではありません。大切なのは、私たちが「キリストにあって誰であるか」を理解することであり、「誰であるか」を本当に理解するならば、自ずと言葉の用い方も変わるのです。

実際、新約聖書で教会に宛てられた書簡の中には、悪魔が去るよう神にお願いしなさい、という命令はありません。むしろ、悪魔については信者自身が彼に立ち向かうようにと命令されています。その理由は、神の子どもには、その権威と力がすでに与えられているからです。

ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。“ ヤコブの手紙4章7節

堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。ご存じのように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。“ ペテロの手紙 第一5章9節

悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。“ エペソ人への手紙6章11節

神は私がその権威を用いる機会を与えて下さいました。ある時、「てんかん」の発作症状で悩んでいる友人がいました。私はその友人を家に呼んで共に祈り「イエスの名によって、てんかんの悪霊よ、離れ去れ!」と命じました。数週間後、再び私がその友人と会った時、とても嬉しそうな顔で近づいてきました。私が命じて以降、てんかん発作の症状が無くなり、彼は薬を飲まなくて良くなったのです。ハレルヤ!

あなたは誰ですか?それは、あなたの過去や個人的な考えが決めるのではなく、神のことばが決めるのです。生ける神は、あなたに言われます。

「あなたは私の愛する子ども、キリストにあって天に座し、権威と力を帯びた王の子どもです。今、その真理をわたしから受け取りなさい。そして、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

神の子どもの命令は天使の剣よりも強い

シャーリー・シーガーの著作『聖なる神秘』(リーハイバレージャパニーズミニストリーズ)より、シャーリーが主から受け取った幻の一部をご紹介します。その幻の中で、シャーリーは船に乗りますが、途中で恐れに負けて、敵が船を侵略して来るのを許してしまいます。シャーリーが恐れていると、彼女の守護天使のジャリエル等と悪霊との闘いが始まります。(以下、本文より引用します)
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悪霊たちはますます力を増して、私の勇敢な天使たちに強烈な一撃を加えてきました。「敵は強い!あなたは彼らに船に乗り込む権威を与えてしまったのです。服従を取り消して!」ジャリエルが叫びました。  私は理解できずに、車のヘッドライトに照らされた鹿のように立ちすくんでいました。

「あなたの舌には、我々の剣よりも大きな力があります! 抵抗して!抵抗するのです!」

悪霊の群れがジャリエルに襲いかかって、彼の頭を地面に打ち付けました。「やめて!」私は叫びました。すると悪霊たちは、まるで何かの到着を待つかのように一瞬動きを止めたのです。何もやって来ませんでした。激しい戦いは続きました。

「権威を使うのです!命じて!」私はどうしようもなく混乱していました。天使たちは叫んで次々と指示をしてきました。「あなたは相続人じゃないのですか!」「王の子どもでしょう!?」「ふさわしく振舞ってください!」

私の理解の目が開き始めました。もし私が、イエスの死と復活によってすべての権威を与えられた神の子どもであるなら、イエスと同じ力を持っていることになります。イエスはすでに悪霊たちを打ち負かし、彼らのかしらをさらしものとしました。

「イエスの御名によって…」 私がまだ言い終わらないうちに、悪霊たちは船の反対側に追いやられていきました。そして再び、まるで爆弾が落ちるのを待っているかのように動きを止めました。「この船から出て行くように命じる!」と言った瞬間、群れの九割が消え去りました。「ここから出て行け!」私は叫びました。

シャーリー・シーガー『聖なる神秘』80~82頁
(リーハイバレージャパニーズミニストリーズ)

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