Brother Heyok ヒョク兄弟のクルセード、著名な伝道者・ミニスターの集会に参加することへの聖書的な考え方

Brother Heyok ヒョク兄弟のクルセード、著名な伝道者・ミニスターの集会に参加することへの聖書的な考え方

2023年の7月、沖縄・大阪・名古屋・川崎にて、Brother Heyokヒョク兄弟の集会があり、全国からたくさんの方々が参加されていました。9月には、ヒョク兄弟によるより大規模な集会・クルセードが東京であり、全国からたくさんの方々が参加すると思いますが、コロナ期も空けていることですので、ヒョク兄弟だけでなく海外の著名なミニスターが来日して集会を開くということがこれからも続いていくと思います。これらの点を踏まえ、こうした集会へ参加することに対する私の考えを、聖書的な観点からシェアしたいと思います。

感謝すること

「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。」(エペソ5:20)

海外から奉仕のために来日してくれるミニスターたちの多くは、遊びに来ているわけではありません。日本のリバイバルのため、霊的成長のために、真剣な思いで奉仕をしにきてくれています。そのようなミニスターに対する、感謝と敬意をまずは忘れないようにしましょう。

これは去年の10月、韓国へミッショントリップに行った時に私が大きく悔い改めたことの一つでした。それまで私は、韓国から日本へ宣教のために来てくれる宣教師たちに「日本へ来てくれてありがとう」と伝えることができていませんでした。しかし神は、韓国滞在中にそのことを私に思い起こさせ下さり、滞在四日目の朝に、聖霊によって感謝と悔い改めが激しく起こったことを今でもはっきりと覚えています。

「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。」これが主の御心なのです。

※この悔い改めが起こった滞在日四日目の深夜、YMCAホテルのコミュニケーションルームで皆で癒しのために祈っていた時に、見知らぬ韓国の青年と廊下で会い、会話が始まりました。その青年がヒョク兄弟でした。その時彼は、すでに神から日本へ行くことを示されていたため、「今度日本へ行く」とすでに話していましたが、そこにチェ先生も現れ、この時の出会いが双方にとってクルセードへ繋がる導きとなりました。

持ち上げ過ぎない

「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(Ⅰコリント10:31)

海外や遠方から、力強く油注がれた器が来ると、必ずいつも起こることの一つが、その器を「持ち上げすぎる」人が一定数現れることです。それによって、神に栄光が帰されるのではなく、ミニスターが栄光を受けてしまう恐れがあります。これはミニスターにとっても、私たちにとっても危険なことです。全ては「神の栄光のために」なされなければなりません。

主がそのミニスターに力強く油を注ぎ、その人を日本に送って下さるのは素晴らしいことであり、素晴らしい機会です。また、神に用いられている器に然るべき敬意を払い、尊重することも大切です。しかし同時に、特定の人間を高めすぎず、常にイエスだけに栄光が向けられるよう、わたしたちの側には注意が必要です。

完璧な人はいない

さきほどの「持ち上げ過ぎない」とも繋がりますが、どんな素晴らしいミニスターでも、時に罪に陥ることがあります。また間違ったことを言う時もあります。そのような事例は聖書の至る所に書いてあります。だから、そのミニスターへの感謝と尊敬は持ちつつも、その人の言うことを絶対化したり、「絶対に罪を犯さない人」のように行き過ぎたイメージを持たないことは大切です。完璧なのはただ一人、主イエスだけです。

ペテロやバルナバのような人でさえも、ある時には律法主義的な人たち(割礼派)の圧力に屈しかけたことがありました。パウロはそれを叱責しました。

「ところが、ケファがアンティオキアに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。12ケファは、ある人たちがヤコブのところから来る前は、異邦人と一緒に食事をしていたのに、その人たちが来ると、割礼派の人々を恐れて異邦人から身を引き、離れて行ったからです。13そして、ほかのユダヤ人たちも彼と一緒に本心を偽った行動をとり、バルナバまで、その偽りの行動に引き込まれてしまいました。」ガラテア2章11~13節

ダビデも、物凄く神に忠実な人であったのに、王としての名声が高まっていく最中にあって、姦淫と殺人の罪を犯しました。

神の用いられるミニスターは、その用いられ方が大きくなればなるほど、「プライド・傲慢の誘惑、異性の誘惑、金銭の誘惑」等の大きな力に晒されるようになります。用いられるミニスターほど、その危険性と祈りの必要性は高まっていくものです。ですから、これらのことを思いに留め、ミニスターたちが誘惑から守られるよう、周囲の人々が祈っていく必要があるのです。

素晴らしいミニスターに依存しない

すでに書いてきたことと関連しますが、海外や遠方から力強く油注がれた伝道者・預言者等のミニスター達が来ることは素晴らしいことです。それは、各地域のキリストの体に新しい聖霊の風を吹かせ、建て上げるための神の恵みです。しかし、そのようなミニスターたちの奉仕を重視し過ぎると、主の体の本当の成長が失われる危険があります。

例えば、先日川崎で集会が行われた時に、ヒョク兄弟は一人一人の参加者に手を置いていきましたが、倒れる人、悪霊から解放される人が多くいました。ある男性においては、その場で悪霊がはっきりと表れ、その悪霊は「おれはアマテラスだ」と主張しました。ヒョク兄弟が「Your time is over」と言って追い出そうとすると、その男性は全速力で逃げ始め、会場は騒然となりました。

このように、力強く油注がれた器によってたくさんの大きな解放が起こるのは素晴らしいのですが、その光景を見た時に、「追い出しや解放や癒しは、このような器に頼った方が良い」という思考になることは、主の御心ではありません。

「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。」ヨハネ14章12節

主イエスは、「わたしから特別に油注がれた伝道者は~」とは言いませんでした。そうではなく、「わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い」と言われたのです。イエスを信じている人なら、誰でも悪霊追い出しができるのです。

ヒョク兄弟の内にいるイエスは、あなたの中にもいるのです。私たちが頼るべきなのは、ミニスターではなくイエスなのです。そのイエスは、すでにあなたの内にもいるのですから、イエスに頼り、イエスの内を歩みましょう。そうすれば、素晴らしい主の御業が一人一人の信者を通して起こり始めるでしょう。

しるし・不思議を追い求めるのではなくイエスを求める

なぜ、しるしや不思議が起こるのでしょうか?悪霊によって奇跡が起こされるならそれは論外ですが、聖霊によってしるしが起こるなら、それはそこに神の臨在がある証拠です。イエスの場合、彼はいつも奇跡をおこなっていたわけではありませんが、奇跡を必要とするところではどこでも奇跡を行いました。それはイエスの中に神の臨在があることの証拠でした。イエスが神と共に歩いていることの外的な証明の一つであると同時に、そのしるしを通して父なる神の素晴らしいご性質を表すためでした。

ですから、そこに神の臨在があることは良いことであり、集会の中でしるしや奇跡が現れること自体は良いことです。しかし、それはあくまで「招待状」であり、「目的」ではありません。

福音書の時代、イエスはしるしばかりを求めるユダヤ人を非難しました。そのような人々は、霊的な盲目であり、神の真理を見ることができなくなっていたからです。

「イエスは、心の中で深くため息をついて、こう言われた。「この時代はなぜ、しるしを求めるのか。まことに、あなたがたに言います。今の時代には、どんなしるしも与えられません。」マルコ8章11~12節

ここであえて、ヒョク兄弟のことばを紹介したいと思います。彼は、自分のミッションが「キリストの花嫁を建て上げることであって、しるしを行うことではない」と明言しています。また、しるしは「目的地」ではなく、「招待状」であって、目的地は「イエス」であるとも言っています。そのことばはとても聖書的です。私は、ヒョク兄弟がこの言葉通りにミッションを果たし続けることを願っています。また自分自身も、しるしを追い求めるのではなく、イエスご自身をいつも追い求めることにフォーカスしていきたいと考えています。

分裂に注意する

「どうか、忍耐と励ましの神があなたがたに、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを抱かせてくださいますように。6そうして、あなたがたが心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父である神をほめたたえますように。」ローマ15章5~6節

海外や遠方から著名なミニスターが来る時に起こりがちな問題の一つが、「意見の相違」と「分裂」です。ミニスターが著名であればあるほど、当然求められる規準や注目度も高くなるので、その私生活や品性、神学的な立場等、様々な面がチェックされるわけですが、そこで一定数の人たちにとって「同意できない事項」が多くの場合出てきます。

ですから、ある人は来日するミニスターの働きを支持し、別の人は支持しない、ということが起こります。第一に、互いに相手の立場や考えを尊重し、安易に批判しないことが大切だと思います。特に、意見の相違となるポイントが、聖書的に二次的な問題であるなら、なおのことそうです。

しかし、一時的な問題については注意が必要です。それは異端的な教えや、異なる霊によって働きをする人のことです。その場合、その働きに参加したり、支持したりすることによって、霊的な害を受けることになるので、キリストの体同士で、互いに警告する必要はあるでしょう。

今回、9月18日に行われるヒョク兄弟の伝道集会については、私は個人的な導きを主から受け取ってきたので、奉仕の段階から参加することを決めてきました。

セレブレーションオブラブ

2015年に、「セレブレーションオブラブ」という超教派の伝道集会が武道館でありました。僕は、会場の案内係の奉仕者として、当日参加していたのでした。

ヒルソングやマイケルWスミス等の大物アーティストも賛美奉仕し、福音を語るメインスピーカーには米国の福音派の著名伝道者であるフランクリン・グラハムが選ばれていました。後で知った話なのですが、多くの教会で一致して取り組んだ伝道集会ではあったのですが、フランクリン・グラハムがスピーカーとなることに反対し、参加を拒否した牧師や教会もちらほらあったようです。その理由は、フランクリン氏の政治的な発言のようで、聞いた話によれば、同氏がイラク戦争を支持したことが原因となっている様子でした。

他にも内部の関係者から幾つかのことを聞いたのですが、聞いた話が事実なのであれば、確かにその部分はあまり賛同はできないかもしれません。いずれにせよ、フランクリン・グラハムの考えや行動が全て十分に聖書的かと言われると、きっとそうではないのでしょう。

ただ、セレブレーションオブラブの当日、フランクリン氏は、確かにその奉仕の使命を果たし、語るべき福音を語ったと思います。それは非常にシンプルな福音でしたが、招きをすると、大勢の人が前に出てきました。その人数はかなりのものでした。その日、確かに福音の力が武道館の中で働いていました。私は、現場に居合わせた者として、このことを伝えています。

私が、バランスを持って考える必要があると思うのは次のことです。セレブレーションオブラブの当日、フランクリン氏を通して福音が力強く働いたことは、フランクリン氏が霊的に完璧であること、落ち度がないことを証明するものではありません。一方、ミニスターに不完全なところがあっても、神はその人を大きく用いることができます。なぜなら、私たちが神に用いられる重要な理由は、私たちの側にあるのではなく、神の側にあるからです。

ですから、著名なミニスターが海外から来る時に、そのミニスターたちが霊的に整えられているのに越したことはありませんが、そこに完全性を求める必要は無いと私は考えます。(この点は人によって何を重視するのかが違ったりするので一概には言えませんが)たとえ多少の欠けがあったとしても、神がその人を用いているのなら、主の御業がその日大きく働くことでしょう[1]

そして、9月のヒョク兄弟の集会を含め、どんな集会に出る時でも、各自が祈った上でその集会に参加することを決めるならば、その日、そのミニスターを通して働く神の恵みをしっかりと受け取る信仰を持って、その集会に臨みましょう。主は求めない者にではなく、求める者に豊かに与えて下さるお方だからです👍

「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。」マタイ7章7節

補足事項

[1] 誤解の無いよう補足しますが、「完全性を求める必要は無いと私は考えます。」の意味は、あくまで私たちの側が、奉仕をしてくれるミニスターたちにどこまでを求めるのか、という視点です。どんなミニスターであれ、どんなクリスチャンであれ、全ての主の弟子は、イエス様の似姿に日々変えられていき、御霊の実を表わすことができるよう求めていくべきです。実際にところ、力強いしるしや不思議が起こることよりも、その人の人格が整えられ、キリストの品性を表せるようになることの方が大切です。

Brother Heyok ヒョク兄弟へのQ&A

以下の質問と回答は、2023年7月の川崎での集会後、寄せられた質問に対して、ヒョク兄弟自身が回答した内容です。

Q:どうして悪霊追い出しをする際に、悪霊に色々と質問をして答えさせているのですか??

A:本人や聴衆に対して、悪霊がどのように働くのかを明らかにするためです。どんな罪によって入ったのか?入った後に何をしたのか?その数や強さの度合いなどです。これによって、聴衆は悪霊の働きについてより深く理解し、罪を悔い改めてイエスを信じることの重要性を理解することができます。

Q:悪霊に質問をしても、悪霊は嘘をついたりするのではないでしょうか?

A:私の経験上、ほとんどの場合、悪霊は嘘をつかないで正しい答えを言います。なぜなら、解放の際、彼らは恐れおののいているからです。しかし、稀に嘘をついてくる悪霊もいます。だから、こちら側にも見分ける力がないといけません。悪霊がもし嘘をつくような時があれば、その答えには注目しないようにしています。

Q:クリスチャンなら、誰でも悪霊追い出しができますか?

A:第一に、イエスの御名に力があります。そしてクリスチャンは誰でも、そのイエスの御名を用いることができます。つまり、クリスチャンはイエスの名によって誰でも悪霊追い出しができます。
第二に、個々のクリスチャンによってレベルの違いがあることも事実です。あるクリスチャンは、霊的にまだ弱く、イエスの御名によって悪霊を追い出せるだけの信仰や力がないかもしれません。

Q:クリスチャンでも、悪霊が入ることがあるのですか?

A:答えは「YES」です。クリスチャンでも、肉的な思いによって罪に扉を開くことができます。扉を開くなら、悪霊は入ってきます。ある意味、人間の肉は、悪魔よりも悪魔的です。新生したクリスチャンであれば、内側に聖霊が内住していますが、内住していても、敵に扉を開けば敵は入ってくる、ということです。ただし、敵が入ってきたからといって、聖霊が居なくなる、ということではありません。

Q:ミニストリーの中で、「わたしの霊をあなた方に注ぎます」と語っていることがありました。(初めの愛、などです」どんな意味で言っているのか、教えて下さい。

A:まず聖書の中には、自分の中にあるものを相手に分け与える、という教えがあります。例えば、ローマ人への手紙の中でも、パウロはローマのクリスチャンに対して霊的な賜物の分与について話しています。
次に、「霊」という言葉を用いる場合、そこには色々な意味合いがあります。たとえば今日、私が「私の霊を注ぎます」と言った意味は、「私の心を注いで分け与えます」ということでした。つまり、この場合の「私の霊」は、「私の心」という意味でした。イエスへの初めの愛を皆さんにもインパーテーションする、という意味で、この表現を用いました。

Q:集会で悪霊を追い出したとしても、その後にちゃんとケアされなければ、また悪霊が戻ってきてしまうのではないですか?

その通りです。それはとても大切なことです。なので、9月のクルセードでは、解放を受けた人が、ちゃんと教会に繋がって霊的なケアを受けれるような仕組みを設ける必要があります。解放を受けた人の情報を記録し(名前や住んでいる地域、どんな罪や悪霊からの解放がなされたのか等)、その記録が適切にケアのできる教会へ繋げられる必要があります。

9月18日の集会のご案内

9月のヒョク兄弟のクルセードについて、ご案内させていただきます。参加を希望される方は、以下の案内に目を通し、登録を進めていただければと思います。

・日付:9月18日 12:00~22:00(変更の可能性あり)
・集会名:ARISE, JAPAN CRUSADE
・公式サイトhttps://www.brotherhyeok.org/…/detalles-y…/japancrusade
・場所:東京都周辺
・入場料:入場無料
・言語:英語→日本語(通訳)
・車椅子用トイレあり
・3階に母子室、授乳スペースあり

▼参加申込について
以下の Brother Heyok 公式サイトにて、事前に申し込みをする必要があります。
https://www.brotherhyeok.org/…/detall…/japancrusade/form

▼その他
申込フォームにもありますが、クルセードの様子は撮影され、後日 Brother Heyokミニストリーのメディアで公開されることになるため、申し込みをするためには、撮影に同意する必要があります。

「このクルセイドに参加することで、あなたはビデオ、オーディオ、写真に記録されることに同意します。 この資料はブラザーヒョクのミニストリーに保管され、神の国を拡大するために公に使用されます。 自主的に出席することにより、あなたはクルセイド内で撮影されたすべてのビデオ、写真、およびオーディオ素材に対して持つことができるすべての権利を放棄します。 これに同意することにより、お客様は、クルセイドに参加する前に、お客様の同意、放棄および免除について十分に通知されたことを認めます。」

▼幼い子供がいる参加者の方へ
淀橋教会の3階に母子室を用意しています。授乳スペースあり。
幼い子ども同伴での参加者は、母子室隣の広いフロアを用意しています。(メイン会堂とは繋がっていないので、大きなスクリーンを設置することになると思います。)

参考記事・サイト

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