4. アダムの創造から始まる本当の人類史|聖書の教え

自然災害、テロや紛争、飢饉、金融危機、貧富の広がりなど、人類を悩ます問題は、歴史的に後を絶たない。もし神が存在するのなら、なぜこのような苦しみを許されるのだろうか?

この重要な疑問に答えるためには、まずはじめに、最初の人類の創造から始まる、真実の歴史について知らなければならない。

 

人類の創造に至る流れ

天地の創造 光の出現

創世記1~2章では、神がどのような段階を経て、天と地と最初の人類を創造していったのかが描かれている。以下に内容を要約する。

創造の歴史~天地の創造から始まる六日間

創造主である神は、六日間という期間をかけて、段階的に万物を創造していった。光と闇の区分、天と地の水の分離、陸地と植物の出現、太陽と月、海洋生物と翼のある動物の出現、そして六日目に、神は地上のあらゆる動物を創造し、最後に、神に似た「かたち」を持つ者として、最初の人間「アダム」を創造した。そして7日目に、神は全ての創造の業を休み、その日を聖別した。(創世記1章)

理想の楽園、エデンの園

神は「エデン」と呼ばれる園を設け、そこにアダムを置いた。そこは、食べるのに好ましいあらゆる木が生えている、理想の楽園だった。園の中央には、「命の木」と「善悪の知識の木」と呼ばれる二本の特別な木が置かれたが、善悪の知識の木については、それから取って食べる日に必ず死ぬと警告された。(創世記2:1-15)

アダムに与えられた権威と仕事

神は、アダムに三つの仕事と役割を与えた。(1)地球上のあらゆる生物を支配すること。(2)子を生んで多くなり地に満ちること。(3)エデンの園を耕しそこを守ること、である。

最初の女性の創造と結婚

神はアダムを深い眠りに入らせ、彼のあばら骨の一つを取り、そこから最初の女性であるエバを創造した。アダムはエヴァを見て大変喜び、二人は正式に夫婦関係で結ばれた。これが人類で最初の結婚である。(創世記2:18-24)

以上が、天と地と最初の人間の創造に関する、本当の歴史である。

創世記のアダムとエバの伝説が人類誕生の真実である証拠についてはこちら

神の「かたち」とは何か?

神の「かたち」とは何か?

Photo by Jeb Wallace-Brodeur

「神はまた言われた、『われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、・・・すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」(創世記1章26~27節)

ここで、神が人間を「神のかたち」に創造した、という部分は、非常に重要な意味を持っている。「神のかたち」とは、外面の形状の「形」のことではなく、「内的な性質」を表している。では、人間に受け継がれた、神の内的な性質とは何だろうか?代表的なものを以下に取り上げる。

神のかたち(内的性質)の具体例

自由意志:

自由意志とは、理性を持つ者が、自らの責任において決定をする意思のことを表している。もし神が人間に自由意思を与えなかったら、人間はロボットか、あるいは本能のみによって行動するある種の動物に過ぎない。

人間にとって最も大切な自由意思の選択は、創造者である神に従うことである。この点は、人間の存在意義や、神が人間を取り扱う方法について理解する上で、極めて重要なテーマである。

倫理性:

人間は動物とは違い、善悪を明確に識別する倫理性を備えており、その倫理性は、「良心」という形で人間の心に刻まれている。ただし、良心が本来の正しい状態へと精錬されるためには、創造者である神の導きが必要である。

創造性:

神の創造性の豊かさは、自然界を通して明らかにされているが、神のかたちである人間にも、何かを造り出すことを喜びとする創造性がある。例えばそれは、音楽や絵画、ダンス、建築、文学、などあらゆる分野において、顕著に現れる。とはいえ、人間は既にある物からしか造ることはできない。無から有を創り出せるのは、万物の創造主だけである。

神のかたちとしての本質的な価値

人間は誰もが、承認欲求(他者に認められたいという気持ち)を持っているが、一般の社会でその欲求を満たすためには、金持ちになったり、昇進したり、外見を良くしたりすることが求められる。このような価値の追求に熱心な社会の風潮に、疲れを覚える人は後を絶たない。

しかし、これらは皆、人間の付加的な価値であって、本質的価値ではない。聖書によれば、全ての人間は神の像(かたち)に造られているため、個人の能力や特権に関わらず、本質的に尊い価値を持っている。そして、神はその尊い価値を認めており、一人一人の人間を無条件に愛している。

人間の心は、神の愛によって満たされることによって、最も健全な状態へと回復する。そして、そのような回復を経験した人は、付加的な価値の追求に囚われることが無くなり、真の平安と心の自由を手に入れるようになる。

エデンの園と中央の二本の木

猿からの進化ではない~最初の人間・アダムの創造から始まる本当の歴史

「主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。 9また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。」(創世記2章8~9節)

パラダイスであるエデンの園

神は「エデンの園」と呼ばれる、理想の楽園にアダムを置いた。そこは、美しく食べるのに良いあらゆる木が生えているパラダイスだった。衣食住のために不必要に労することはなく、美味しい食物が常にあり、病気は無く、死ぬこともなかった。そして最大の歓びは、愛情深い創造主との自由な交流だった。

中央の二本の特別な木

エデンの園の中央には「命の木」と「善悪の知識の木」という、二本の特別な木が置かれた。これらの木々は、アダムの命、神とアダムの関係を象徴する、特別な意味を持つ木々だった。

最初の命令~エデン契約~

命の木と善悪の知識の木

「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。 17しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。(創世記2章16節~17節)

自由意志の象徴

「園の中にあるどんな木からでも食べてよいが、善悪を知る木からは食べてはならない」これが、神がアダムに与えた最初の掟であり、専門的には「エデン契約」と呼ばれる。この時神は、その木の周りに柵を作ったりはしなかった。確かに神は、アダムに食べないようにと警告したが、それを最終的に取って食べるかどうかは、アダムの自由意思に委ねられたのである。

神はなぜ人間に自由意思を与えたのか?

もし神が人間を、プログラムによって神を礼拝する存在として創造したならば、それは「神のかたち」とは言えず、ロボットや他の動物と同じである。人間は、自由意思と無関係に選択することからは、本当の喜びを見出すことはできない。神が人間に自由意思を与えたのは、人間が愛情深い神との交流を通して、 永遠に深い喜びを得るためであった。

永遠の命

神はアダムに対して、「それを取って食べると、きっと死ぬであろう」と語った。このことから、人間には元々、終わることの無い永遠の命が与えられていたことがわかる。人間が歴史的に死を経験してきたために、多くの人は、人間がいつかは死ぬ存在だと理解しているが、それは間違いなのである。

では、なぜ永遠の存在だった人間が、苦しみと死を経験するようになっていったのだろうか?その理由は、次の記事で取り上げる。

 

罪による堕落~サタンと人間の反逆

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