無神論者のエリート刑事~聖書を目撃者の証言と認めてイエスを信じる


無神論者のエリート刑事~聖書を目撃者の証言と認めてイエスを信じる

ロサンゼルス南部のトレンスで刑事をしているジム・ワーナー・ウォーレスは、未解決な殺人事件の担当である。彼はいくつもの難解な未解決事件を解決し、そのいくつかはABCテレビの番組でも取り上げられていた。彼は持ち前の鋭い視点と聡明さで若くして刑事に昇格しており、自分が知的であることを誇りに思っていた。ジムは良い夫であり、良い父親であり、そして無神論者であった。「人は無から生まれたのだから、人生の終わりには土に還るのだ」という考えで満足していた。

ジムは信仰を持つ人たち、特にクリスチャンを馬鹿にしていた。聖書は神話であり、自分には不必要で一切関係ないと思っていた。彼は、論理と観察と科学的な探求によって、人生のすべての答えが見つかると思っていたのだ。聖書が教えるように、彼も罪人であるとその頃に言われたなら、彼は大笑いしただろうと彼は言う。罪人とは彼が牢屋に連行する人のことであって、自分は良い人だと思っていたからだ。

イエスの知性に興味を持つ

彼と妻のスージーは、ある友人から度々教会に誘われた。妻のスージーは神を信じていたので、教会に行きたがり、ジムは自分が無神論者のままでいいなら妻と教会に行ってもいいと思った。彼は聖書を読んだことがなかったので、基礎的な教えしか知らなかった。

しかし、牧師の説教は自己中心で無神論者の彼のような人に訴えるものだった。それから、彼はイエスが知的な人であったことを知り、興味を持ち始めた。6ドルの聖書を買って、「どんな知恵なのか見せてもらおうじゃないか」と思いながら、イエスの言葉を読むようになった。ジムは刑事としての観察能力を、福音を読み解くのに用いたのである。

その中で、彼は自分の仕事で行う捜査に必要な要素があることに気付いた。捜査で複数の目撃者の証言を聞くと、みな異なることを言うが、それらを繋げていくとパズルのように組み合わさっていくのである。

彼は、福音書が目撃者の証言のようだと思った。そして、聖書は単なる古代の知恵だというだけでなく、古代に本当に起こったことかどうかを調べられるものだと思ったのである。彼は、もう一歩踏み込んで、福音書を目撃者の証言として調査し始めることに決めた。聖書にある話を確認するために、ほかの古代歴史学者による本を読んだり、深く掘り下げて言葉を読み比べ、操作で用いる「目撃者を評価する方法」を使ったりした。その結果、彼は、福音書は目撃者の正確な証言であると確信したのだ。

彼の信仰を邪魔していたもの

無神論者であるジムが、福音書は真実であると確信した時、一つの疑問に直面した。「なぜ私に救い主が必要なのだろうか?」。その答えである真理を受け入れるのに、彼は自分のプライドが邪魔していることに気付いた。自分を神のようにして生きてはいけないこと、自分が酷い状態にあることを認めなければならなかったのである。

彼には、自分の人生の中で変えたいところ、誇りに思っていないところ、神の赦しが必要なところがたくさんあった。ジムという「良い人」にも救い主は必要だったのだ。彼は何年も必死に神に抵抗してきたが、ある時点で「もうやめた。信じます。」と言った。そして、彼は全てをキリストに捧げた。即ち、目が覚めている時の思い全てをキリストに捧げた。

イエスを信じた後の変化

彼と一緒に聖書を学んでいた妻スージーは「奇跡を見ているようだった。自分の目の前で素晴らしいことが起きていた」と述べている。最初の変化は、獄中の人と外にいる人の違いが無いように感じ始めたことだった。常に自分も赦しが必要だったため、人を赦すようになり始めた。ジムは未解決事件を担当する刑事として成功をおさめ、キリスト教弁証家としてキリスト教の教義を解説し擁護するようになった。

彼は言う、「神は私のことをよくご存じであり、私が証拠なしには動かないことをご存じだった。だから、証拠を通して私に働きかけたのである。福音を初めて聞く人のすべてがそうだとは言わないが、私のような人は、このようにして語り掛けられる必要があったのだ。今日、自分がクリスチャンになったのは、福音が真理だからだ」

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