神が万物を造ったのなら、 その神は誰によって造られたのですか?


神が万物を造ったのなら、 その神は誰によって造られたのですか?

「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1、新改訳)

聖書の最初の一節は、神が天地万物の造り主であることを宣言する言葉から始まる。しかし、創造主なる神の存在について語る時に、よく投げかけられる質問の一つは、「では、神が全てのものを造ったのなら、その神は誰によって造られたのか?」というものである。今回はこの質問に対して、簡潔に答えよう。

神の起源に関する二つの説

万物が神によって造られたのなら、その創造主なる神は、どのようにして存在するようになったのか?これは、とても興味深いテーマである。そして、この質問に対しては、次の二通りの説があると言えるだろう。

一番目は、「神が創造者なら、その神自身も、他の誰かによって造られたはずだ」という説であり、聖書の神に対する疑問として、しばしばノンクリスチャンの立場から指摘されやすい考えである。

二番目は、「神自身は、誰によっても造られていない」という考え方であり、聖書はそのように教えている。

では、一番目の説について、よく考えてみよう。もしもこの説が正しいのであれば、その「神A」を造ったより大きな「神B」の存在が必要となり、さらにその「神B」を造ったより大きな「神C」が必要となり、、、こうして、その連鎖が無限にループしていくことになる。これが、一番目の説が実際に意味するところである。

次に、二番目の説について考えてみよう。聖書は、万物を創造した神は、他の誰によっても造られておらず、ただ一人、時間という概念を超越し、永遠の昔から存在し続けてきた、と教えている。

「わたしの証人はあなたたち/わたしが選んだわたしの僕だ、と主は言われる。あなたたちはわたしを知り、信じ/理解するであろう/わたしこそ主、わたしの前に神は造られず/わたしの後にも存在しないことを。」(イザヤ43:10、新共同訳)

「あなたの贖い主/あなたを母の胎内に形づくられた方/主はこう言われる。わたしは主、万物の造り主。自ら天を延べ、独り地を踏み広げた。」(イザヤ44:24、新共同訳)

結論

そして、神に関する真理が、これら二つの説のどちらであるにしても、地上の人間の中で、その真理を知的に十分に理解できる人はいるだろうか?神を造った神という連鎖が無限にループするにしても、ただ一人誰によっても造られていない神がいるとしても、その実体は、我々人間の頭では到底理解できるものではない。したがって、私たちが、人間にとって理解可能な論理と憶測によって、その確かな答えを知ることは不可能である。

であれば、神の起源を知るために私たちができる最善の方法は、「その創造主なる神ご自身が語る言葉を信じる」ということではないだろうか?聖書は、確かに全能の神からの啓示と呼ぶに相応しい書物であり、その言葉は、神が他の誰によっても造られていない、唯一の創造主であることを明白に示しているのである。

「イスラエルの王である主/イスラエルを贖う万軍の主は、こう言われる。わたしは初めであり、終わりである。わたしをおいて神はない。」(イザヤ44:6、新共同訳)

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