12. 死後の世界~聖書が教える天国と地獄|聖書の教え


死後の世界に関する確かな情報を、どこで得ることができるだろうか?

答えを求め、様々な宗教の教えや、臨死体験の証言に答えを見出そうとする人は少なくないが、一つだけ、盲点になりがちな重要な問題がある。それは、「人が死んだらどこへ行くのか」を知ろうとするならば、その前に「人がどこから来たのか?」をはっきりと知る必要がある、ということだ。

第一章「進化論の限界~」で説明したが、この世界には明らかに、人間を含む万物を造った創造者である神が存在している。人間を創造したのが神ならば、死後の世界の真実を知っているのも、同じく神ではないだろうか。

そこで、死後の世界の真実を知るためには、真の創造主からの啓示の書である「聖書」に答えを求めることが、最も適切な判断となるだろう。

霊の世界の構造と神の御国

地球~初めに神は天と地を創造した

聖書は、この世界は、霊的な領域と、物質的な領域に分かれていると教えている。霊の世界には、神が支配している「天(天国)」という領域と、神の臨在から断裂された「地獄」という領域が存在する。

人間は、肉体と霊とが合わさって、一つの生命となっているが(創世記2:7)、肉体が死んでも霊体の意識は残り続ける。そのため、全ての死んだ人間は、霊体の状態で、天国か地獄のどちらかに行くことになる。

天国は、神による完全な支配が行われているため、そこは「神の御国」とも呼ばれる。かつては、霊の世界も物質の世界も、神が支配する「神の御国」だったが、サタンと人間の反逆によって、その状態に変化が生じることとなった。

人間の堕落によって、地上は神の御国ではなくなり、人間は一時的に独立した道を歩むことを許された。しかし、やがて起こるキリストの再臨によって、地上は再び神の御国となり、元の聖い状態へと回復されていく。

霊の世界では、サタンの反逆以降、「地獄」と呼ばれる、神の恵みから完全に断裂された闇の世界が生じた。[i]この地獄という領域は、永遠に存在し続ける領域であり、この世界は最終的に、「神の御国」と「地獄」とに完全に分かれ、それが永遠に続くことになる。

天国と地獄の分かれ道

ノアの方舟

救われたのは、箱船に入ったノアの家族だけだった。

この世界が最終的に「天国(神の御国)」と「地獄」に分かれるのなら、私たちの人生のどんな選択が、その行き先を決定するのだろうか?その答えを知る鍵は、創世記1~3章に記録されている「善悪の知識の木」と「最初の人類の反逆」にある。

人間は、自由意志の選択によって、創造者を信頼して生きるように創造された。しかし、彼らが自由意志を誤用して、創造者に背いたために、罪が世に入り、神から断裂した世界が生じることになった。したがって、「創造主である神を信頼して生きるかどうか」が、全ての人間にとって、天国と地獄の分かれ道となるのである。

創造主が人類に与える啓示は、時代によって異なってくる。かつて神は、ノアの時代の人々に、救われるために箱船に入るように命じた。そして、神の宣言通り、地上に大洪水が来て、箱船に入らなかった全ての人間は滅亡した。救われたのは、神を信じて箱船に入ったノアとその家族だけだった。

神が現代の人間に与えている啓示とは、神の御子であるイエス・キリストを救い主として信頼することである。神の啓示通り、大艱難時代~キリストの再臨をもって、キリストに信仰を持たない全ての人は、ノアの時代と同様に滅び、地獄へ旅立つこととなる。

天国はどんな場所か?

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「4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」(黙示録21:4)

天国は、現在地上で生きている人間には、到底想像もつかないような素晴らしい場所である。そこは愛の神が治める完全な世界であり、死も、悲しみも、叫びも、苦しみも存在しない。ただ言い尽くせない喜びと平和が、永遠に満ち満ちている世界、それが天国である。

「3 もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、4 神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。5 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。」(黙示録22:3)

現在私たちは、神の御顔を直接見ることはできないが、天国では栄光に輝く主の顔を仰ぎ見ることができる。そして、その場所には夜が無い。神とその御子イエスから放たれる栄光の光によって、天国全体は光輝いているからである。

聖書には、天国に関する描写は、あまり多くないが、さらに詳しく知りたい方のために、天国を体験した人の証を紹介する[ii]。クリスチャンに与えられている祝福と希望がどのようなものなのか、明確に理解することができるので、大変お勧めである。

地獄はどんな場所か?

聖書における、地獄に関する最も詳細な描写は、イエス・キリストが語った「ラザロと金持ちの話」である。「ラザロ」という実名が出ていることからは、イエスが実話として、この話を語ったことが伺える。とても重要な内容なので、以下に全文を紹介する。

ラザロと金持ちの話

金持ちとラザロ

金持ちと貧乏人のラザロ

「19 ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。20 ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人が寝ていて、21 金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。22 さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。

23 その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。24 彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』

25 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。26 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』

27 彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。28 私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』

29 しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』 30 彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』31 アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』(ルカ16:19-31)

※誤解の無いよう補足しておくと、金持ちが地獄に行ったのは、不信仰だからであり、ラザロが天国[iii]に行ったのは、信仰があったからである。

地獄は炎の中で苦しみ続ける場所である

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地獄には燃え続ける火があり、そこでは、神を信じないで亡くなった不信者が、大量に焼かれ続けている。地上の世界で、火で焼かれるようなことがあれば、長くても数分で意識を失うが、霊体の状態で存在し続ける地獄では、意識が無くなることはなく、苦しみが消えることはない。

地獄に行った金持ちは、「私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。」と叫んでいるが、その苦しみが、私たちの想像を越えたものであることがわかる。

地獄がいかに恐ろしい場所なのかは、実際に地獄を体験した人々の証を読むと、より詳しく理解することができる。[ii]※過激な内容が含まれる場合があるのでご注意下さい。

彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣とその像とを拝む者、まただれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得ない。」(黙示録14:11

悔い改める機会は与えられない

私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。」(ルカ16:26

全ての人間の永遠の運命は、死んだ時点で決定される。したがって、一度地獄に行った魂が、後から悔い改めて天国に行きたいと神に願ったとしても、それは一切聞き入れられない。[iv]また、一度天国に行った人間が、後から地獄へ行くということも無い。天国と地獄は永遠の場所なのである。

地獄に行った人々の気持ち

私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。」(ルカ16:28

聖書の真理を知った後に、天国に行ったと考えていた親族や友人が、実は地獄に行ってしまったかもしれない、と気づく人は多い。そのような時、自分だけ天国に行こうとすることに、後ろめたい気持ちを抱く場合がある。

しかし、ここで苦しんでいる金持ちは、自分の親族が同じ苦しみにあうことを全く望まず、彼らに警告する人を遣わしてくれるよう、何度もお願いしている。地獄で苦しんでいる人々は、私たちが同じ場所に来ることを、全く望んでいないのである。

神はなぜ地獄の苦しみを許すのか?

神が地獄の苦しみを許す理由について理解しておくことは、極めて重要である。なぜなら多くの人が、地獄という場所の存在が、神の愛と矛盾すると感じ、疑問を持つからだ。この問題を理解するための二つの鍵は、「人間の自由意志」と「神の良い賜物」である。

自由意志

本シリーズの2章「最初の人間の創造」で既に学んだ通り、人間には「神のかたち」として、自由意志が与えられているため、神に従うか背くかを自らの責任で選びとることができる。神は誰一人として地獄に行ってほしくなく、一人一人の人生に、ふさわしい導きを与える。しかし、最終的に各人が神を拒絶し、地獄へ行くことを決断するのなら、その決定に介入することはない。自由意志を与えておきながら、その意志による選択に介入することは、神にとっては違反行為となるからである。

神から来る良い賜物

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「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。」(ヤコブ1:17)

父からくる「すべての良い贈り物」とは、この世界で私たちの心を喜ばせる全てのものである。例えば神は人間の喜びとなるように地球上のあらゆる自然環境を整えた。またそれらを通して私たちが感じる、愛・喜び、平安、希望、といった感情も、神からくるものである。

したがって、もし私たちが自由意志の選択によって、神を拒否するならば、神が全く存在しない世界に自分の身を置くことになる。そこは、神に属していた全ての良い贈り物が全く存在しない世界となり、愛、喜び、平安、希望の代わりに、憎しみ、悲しみ、恐怖、絶望だけが存在するようになる。

神は誰一人、そのような場所に行って欲しくはないため、全ての人を罪から救うために、イエスを贖いとして捧げた。またイエスによる救いのメッセージが、世界中で伝えられるように、今も導いている。しかし、最終的に、神の愛を受け入れるか、拒否するかは、一人一人の選択次第なのである。

あなたの選択

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本章をもって、聖書の教えシリーズは、終了となる。最後までお読み頂けたことに、心からの感謝をお伝えしたい。これまでの記事の内容によって、神が聖書を通して、私たちに教えようとしている重要な真実は、一通り網羅されている。得られた知識をどう理解し、どのような選択をするのかは、あなた次第だ。

まだ疑問に感じていることがあれば、いつでも当サイトからの問合せをお待ちしている。また以下のサイトも、疑問の答えを得るための助けとなるだろう。
GotQuestions.org
ハーベストタイム・ミニストリーズ|Harvest Time Ministries

神は、本当にあなたのことを愛している。これこそが、全ての人が知るべき、最も重要な真理であり、あなたが神の愛を受け入れ、神を愛し、神と共に永遠を過ごすこと、これこそが、あなたが創造された本当の目的である。

神はその永遠の愛をあなたにはっきりと示すために、イエス・キリストを十字架につけて、あなたの全ての罪が赦されるようにした。そして、イエスを復活させることにより、あなたが得ることができる永遠の命が確かであることを証明した。

イエス・キリストを信じ、神の国で永遠を過ごすのか、神の愛を拒絶し、神のいない世界で永遠を過ごすのか、どちらを選ぶかは、あなた次第だ。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

「この方(キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ112

 

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脚注

[i] より正確には、神の臨在から断裂された領域は、千年王国の終わりまでは「ハデス」という言葉で表されている。しかし、千年の後の「白いみ座の裁き」が終わると、ハデスは、第二の死を表す火と硫黄の燃える湖」という場所に投げ込まれる。全ての不信者は、その湖で、永遠に苦しむことになる。

[ii] 神は特定の人間を選んで、天国や地獄を訪問させ、それらの人々が天国と地獄について証しするよう導くことがある。この種の体験は、聖書の中では、第二コリント12章1-4に記録されている。現代は、世界中のたくさんの人々が、このような体験をしており、様々なメディアを通して証をしている。

[iii] 正確には、この時点でラザロが居たのは、広義のハデス(シェオル)の中の慰めの場所であり、天国ではない。死んだ魂が天国へ行くことができるようになるのは、キリストの十字架以降となる。

[iv]本サイトで紹介しているハワード・ストームの体験の場合は、地獄に行ってから改心して、救われているが、結局彼は、再び息を吹き返している。神にとって、彼はまだ死ぬべき時では無かったのである。このように、当人に対する神の計画次第では、あえて一度地獄を体験させられてから、悔い改めるチャンスが与えられる場合がある。このようなケースでは、当人は再び地上で生きるよう導かれる。

 

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3件のフィードバック

  1. ancienttribe より:

    http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/kirinyu-8.htm
    こんばんは。クリスチャンの一人です。今月、私の母が神様の元に行きました。
    上記のサイトでも、ラザロと金持ちの話は紹介されていますが、地獄ではなく陰府に行ったとされています。そこは少なくとも4つの世界で構成されていて、慰めの場所もあれば、火で焼かれるようなところもあるとされています。ラザロはそこに行ったのではないでしょうか?地獄は世の終わりに最後の審判を経て入れられるそうです。そして、イエス様が十字架にかかって3日のちに蘇る前に、陰府の魂を天国に連れて行ったそうです。

    • true-ark より:

      はじめまして、コメントありがとうございます。お母様が天国へ召されたとのこと、しばらく会えないのはお辛いでしょうが、神の約束の希望を見上げて慰められますように。
      地獄という表現は、概念をわかりやすく伝えるために用いていますが、死後の場所を正確に表現するには、やや誤解を招きやすい表現かもしれませんね。
      少なくとも、聖書を読む限りわかるのは、ハデス(ヘブル語ではシェオル)は、以下の二つに分類されています。
      1:信者が行く慰めの場所(アブラハムのふところ)
      2:不信者が行く苦しみの場所

      最後の審判の後に投げ込まれる苦しみの場所は、
      3:火の池、ですね。

      イエス様が十字架の後に行った場所は、1の慰めのハデスです。
      2の苦しみのハデスは、3の火の池とは異なりますが、そこにも火が存在することは、ルカ16章で明らかにされています。

      当サイトでは、2と3を総称して、地獄と表現している箇所が複数ございます。

      どうぞ宜しくお願い致します。

  1. 2016-10-11

    […] 12. 死後の世界~聖書が教える天国と地獄 […]

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