1. 進化論の限界~生命は創造されたのか|聖書の教え


この度は、当サイトへご訪問いただき誠にありがとうございます。本記事は、当サイトにおける「聖書の教えシリーズ」の最初の記事であり、進化論と創造論の違いや、それらの説の妥当性について説明する内容となっています。

このような内容を、聖書の教えシリーズの先頭に持ってきた理由は、日本人の多くが、進化論を「科学的な真理」として理解しているためです。実は、聖書のあらゆる教えの土台は「神が世界を創造された」ことを土台として成り立っています。そのため、進化論を科学的な真理として理解し、生命が偶然に発生したと信じた状態のままで聖書の学びを進めても、その本質的な意味を理解することができないかもしれません。

本記事の内容が、読者の方々の目を開き、万物を創造された神に心を開くきっかけとなれば幸いです。そして、この「聖書の教えシリーズ」を通して、神の愛を知り、約束された「永遠の命」を得る人が、一人でも多く起こされますようお祈りいたします。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

進化論は仮説である

人間を含む生命はどこから来たのだろうか?この質問に多くの日本人は、「徐々に進化してきた」と答えるだろう。その理由は、私たち日本人が、幼い頃から学校教育で進化論を教えられて育ってきているからであり、それが科学的に理に適った結論だと認識しているからである。しかし、進化論の妥当性について、自分の目で実際に調べてみた人は、果たしてどれくらいいるのだろうか?

実は、少し調べればすぐにわかることだが、進化論とは、科学的に証明された理論ではなく、あくまで仮説に過ぎない。さらには、「世界人口の大多数が信じている説」ということでもない。

地球上の生命がどこから来たのか?という問題については、大きく分ければ、世界的に認知されている二つの代表的な説がある[i]。一方は進化論だが、もう一方は創造論である。参考までに、アメリカ人の半数以上は、進化論を信じてはいない。世界的に見ても、創造論を支持する人々の数は決して少なくはなく、むしろ多くの国では、3割~5割程度に昇るだろう。

しかし、生命が進化によるものなのか?創造によるものなのか?という問題は、私たちの人生にとって、どれほど重要な意味をもつのだろうか?

進化か創造か?真実を知る意義とは?

進化と創造に関する真実について、はじめから興味を持たない日本人は、とても多い。はっきりとした原因はわからないが、非宗教的な人が多数を占める環境の中にあって、このようなテーマに関する疑問を持ち辛くなっているのかもしれない。

しかし、私たちが興味を持つか持たないかに関係無く、この質問は、二つの視点において、全ての人間にとって重要な意味を持っている。

第一の視点:存在している目的

人間が存在している目的

ここで、ある生徒と先生との間で実際にあった、興味深いエピソードを紹介したい。

ある日先生は、生徒に「洋服は何のために存在している?」と問いかけた。生徒は「着るためです」と答えた。次に「靴は?」と聞くと、「履くためです」と答えた。続いて先生は「自動車は?家は?」と聞いていったが、生徒はいとも簡単に答えていった。

最後に先生は、「では人間は何のために存在していると思う?」と聞いたが、生徒は真剣に考えたすえ、「先生、僕にはまだその答えがわからないのです」と答えた。この生徒は、最も大切な質問に対する答えを、まだ知らなかったのである。

もし人間を含む生命が進化してきたのであれば、この質問は無意味である。なぜなら、進化論とは、偶然による自然発生を前提とする考えなので、その説が正しければ、人間にははじめから、「造られた目的」や「存在する目的が」が無いことになるからだ。

しかし、もし人間が創造者によって造られた存在ならば、そこには造られた目的と意義がある。そして、造られた目的を創造者から教えてもらうなら、存在する目的に沿った、意義深い人生を送れるはずである。

第二の視点:創造者と人間との関係性

もしあなたが賃貸の家に住んでいるなら、大家の存在は無視できない。なぜなら、大家が決めたルールに注意を払わなければ、家から追い出されてしまうからだ。

同じように、もし万物を創造し、管理している神が存在するならば、人間は地球という家に住み続けるために、大家である神のルールに従う必要が生じる。

以上の理由から、進化と創造に関する真実は、私たちの人生にとって、決して無視できない性質のものであることがわかる。

進化論と創造論の違い

進化論と創造論の違いと、それぞれの説の妥当性について考える前に、両者の理論を定義しておく必要がある。

進化論とは「生物のそれぞれの種は、単純な原始生物から進化してきたものであるとする考え。」(デジタル大辞泉)であり、単純な原始生物の発生から現在に至るまでの過程は、全て偶然や自然淘汰の積み重ねであると主張する考えである。

最初の生命が発生するまでの段階を表す「化学進化」と、その後の生物の進化の過程を表す「生物進化」は分けて論じられることもあるが、どちらの説も「偶然や自然淘汰」をその考えの土台としているため、ここでは「進化論」という一つのくくりで説明を進めていく。

そして重要な点として、進化論そのものは、創造主なる神の存在の有無を論じるものではない。しかしそれは、創造者の存在を「抜き」にしてこの世界の成り立ちを説明する唯一の考えであるため、結果としては、今日の世界に存在する多くの無神論的な価値観の土台となっている。

創造論とはその逆で、この宇宙や地球上の全ての生命を含む万物は、知性のある創造者によって造られた、とする考えである。

進化論と創造論―どちらの説が、この世界の成り立ちの真実を明らかにしているのだろうか?本記事では、その全てを詳しく取り上げることはできないが、幾つかの重要な点に的を絞って、説明を進めていきたい。

最初の生物はどこから来たのか?

究極の難問

進化論を支持する人々にとって、究極的な難問は、「最初の生物がどこから来たのか?」ということである。生命が偶然や自然淘汰の結果発達してきたと考えるなら、最初の生物も、原始の海の中で偶然に発生したと考えなければならない。

進化論の支持者は、最初に出現した生物は、バクテリアやアメーバのような単細胞生物だったと考えた。ところが、近年の科学の発展に伴い、科学者たちは、バクテリアのような最も単純な生物でさえ、偶然とは到底考えられない程の驚くべき構造を持っていることを発見するようになった。

DNAが偶然に発生する可能性はあるのか

DNA

全ての生物の細胞のDNAには、想像を絶する量の情報が保管されているが、最も単純な生物であるバクテリアでさえも、そのDNAの情報(ゲノム)量は、およそ1000ページからなる一冊の本にも相当する。このような高度で規則性を持った情報が、本当に自然界で偶然に発生するのだろうか?

このような仮説は、例えば、パソコンのことが何もわからない子どもが、適当にキーボードを叩き続けた結果、1000ページ分に相当する、自動車の完璧な設計図とマニュアルが完成した、と信じることと似ているだろう。

実は、情報科学の世界においては、「情報」に関する自然法則というものが既に確立されており、「情報は、知的な発信者のみが生み出せるもの」であることが明らかになっている。つまり、進化論が主張するように、自然淘汰や偶然の積み重ねで最初のDNAが誕生する可能性はゼロであり、情報の科学法則に従えば、全ての生命のDNAは、知的な発信者によって造られたことが明らかなのだ。

この点について、ドイツ連邦物理学・科学技術研究所の教授兼所長の経歴を持つヴェルナー・ギット博士は、次のように述べている。

「科学法則は、『非物質な存在である情報を物質が生み出すことは不可能である』と言います。また「情報は知性と意思を持つ発信者によってのみ生み出されるものである」とも言います。ですから、・・この時点で、進化論とは、科学法則を否定しない限り成り立たない説であることが明らかになります。」(ダーウィンが知り得なかったこと

生命が偶然に生じる確率はどれくらいか?

仮にDNAが偶然に完成したとしても、生物の細胞が生き続けるためには、少なくとも3種類の複雑な分子である、DNA、RNA、タンパク質が組み合わされなければならない。ところが、これらRNA分子とたんぱく質分子も、偶然ではあり得ないほどの、極めて複雑で高度な構造を持っている。

さらに、これらDNA、RNA、たんぱく質が偶然に存在できたとしても、それらが完璧な方法とタイミングで組み合わされなければ、生命が生まれることは絶対に無い。

以上の流れを、自動車を例に考えてみよう。仮に完璧な設計図が偶然に完成したとして、次に自動車の製造に必要な全ての材料を、適当に山積みにしていく。そして、その上を竜巻が何回も通過すれば、「いつかは自動車の完成品が出来上がる」と信じることが、果たしてできるだろうか?

これらの前提を踏まえて、かつて生命が偶然に発生する確率を計算したフレッド・ホイルという科学者がいるが、その確率について、次のような有名なコメントを残している。

「この世界がどんなに広くても、生命体が偶然で生まれることはありえない。猿の一群がめちゃくちゃにタイプライターを叩いても、シェークスピア作品が生まれることはない。仮にそれが可能だとしても、そのために必要な猿の一群を、大量のタイプライターを、また書き損じの紙を入れる大量のゴミ箱を保有するほど、この世界は大きくはない。生命体も、これと同じである」

猿の一群がめちゃくちゃにタイプライターを叩いても、シェークスピア作品が生まれることはない。

猿の一群がいくらタイプライターを叩き続けても、シェークスピアの作品は生まれない

還元不可能な複雑性

赤血球という技術革命

次は、私たちの血液の中にある「赤血球」について考えてみよう。赤血球は、血液を通って体内の隅々にまで酸素を供給する役割を持っているが、この中には「ヘモグロビン」というタンパク質が含まれている。

人間の子供は、「胚の段階」「妊娠約9週以降の胎児の段階」「誕生後の段階」これら合わせて三つの段階において、それぞれ化学的に異なる構造のヘモグロビンを必要とする。そのため、適切なタイミングに、適切な種類と量のヘモグロビンが生成されるようなシステムを、人体は初めから備えているのだ。

進化論が正しければ、生物が進化の過程で試行錯誤を繰り返しながら、こうした機能を徐々に獲得していったと説明されることになるが、その可能性は実際にはゼロである。なぜなら、これらの仕組みが、初めから完全な形で備わっていなければ、そもそも胎児は生き残ることができず、命を落としてしまうからだ。

赤血球

驚くべきシステム~還元不可能な複雑性

このように、完成された状態で無ければシステム全体が機能しないような複雑さのことを、専門的には「還元不可能な複雑性(Irreducible Complexity」と言う。そしてこのような複雑なシステムは、赤血球だけでなく、あらゆる動物のあらゆる機能に広く見ることができる。

例えば、動物の免疫機能や、バクテリアが動き回るのに必要な鞭毛、有性生殖などがそうである。いずれの場合においても、初めから完成された状態でなければ機能することができず、未完成の状態では生き延びることができないのだ。

「よって、それらの構造は最初から完成した形で存在した、と考える方がより事実に即した説明であると言えます。そして、最初から完成した形で存在するということは、知性ある創造主がそれを最初から完全に機能するよう設計し、創造した、ということを指し示しているのです。」(ヴェルナー・ギット『ダーウィンが知り得なかったこと』)

生命が偶然に発生することはない

生命の自然発生について、これまでに挙げた一連の事実を考察すると、どんな結論が導き出されるだろうか?それは、地球上だけでなく、全宇宙的規模で考えても、生命が偶然に発生し、今のような状態にまで進化したと考えることは、「科学的事実と調和しない」ということであり、聖書が示す通り「あらゆる生命は知的な発信者である神によって創造された」と考える方が、合理的な結論であることがわかるだろう。

地球~初めに神は天と地を創造した

「初めに神は天と地を創造した」(創世記1章1節)

聖書の最初の言葉は、万物の創造主としての神の宣言で始まる。私たち人間を含む全ては、神によって創造されたのである。したがって、全ての人間にとって、創造主である神は、決して無視できる存在ではない。私たちは、神の創造によって存在するようになり、神の力によって日々生かされているからである。

主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」(創世記4:11

記事の冒頭で、人間の存在意義に関する、先生と生徒の会話を紹介した。洋服の存在目的は「着るため」であり、その目的を決めたのは洋服を造った人間である。では、人間の存在目的は何だろうか?その答えは、つまりその目的を決めたのは、人間を造った創造者である。果たして、創造主は、どんな目的で人間を創造したのだろうか?また人間とはどんな存在で、どのように生きるべきなのだろうか?

私たちがその答えを知るためには、創造者から人間に宛てて書かれた手紙―聖書を読まなければならない。次回の記事では、その手紙について紹介をする。

⇒聖書は本当に神の言葉なのか?

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⇒創造論に関する記事一覧はこちら

脚注

[i] 近年のもう一つの主流派として、地球外生命体説がある。しかしこの説は、「地球上の生命がどこから来たのか?」という限定的な問いに対するもう一つの候補の説となっても、「生命がどこから来たのか?」という根源的な問いに対する答えとはならない。仮に地球上の生命が宇宙から来たのであれば、「ではその生命はどうやって発生したのか?」という同じ質問が繰り返されることになるからである。

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19件のフィードバック

  1. きくらげ より:

    興味深く拝見しました。一点質問をおゆるし頂けますでしょうか。何故創造と進化は排斥関係に在るといえるのでしょうか。起点と過程の差異の可能性はないのでしょうか。創世記のいうかたちは必ずしも5体二足歩行といえるのでしょうか。お教え頂けますと幸いです。

    • true-ark より:

      きくらげ様

      返信が遅くなり大変申し訳ありません。コメントを見逃しておりました。創造と進化が排斥関係となるかどうかは、両者の理論をどう定義するか、ということも関係してくると思います。厳密には進化論にも色々なパターンがあり、またクリスチャンでも、進化を神が導いた、と信じている立場もあると思います。つまり、創造論にも、複数のパターンが存在します。

      今回の記事では、このようなややこしい議論を省き、進化論を、「創造を前提としない理論」と定義し、創造論を「神による万物の創造」と定義しています。このような定義を前提としますと、両者の間には排斥関係が生まれると思います。

      ・創世記のいうかたちは必ずしも5体二足歩行といえるのでしょうか

      聖書の歴史観にたちますと、人類は創造からおよそ六千年となります。もし最初の人類が二足歩行で無かったとすると、大体千年~二千年の間に、人間は二足歩行に進化したということになると思います。しかし、聖書にはそのようなことを匂わせる記述がありませんし、たった数千年で、そのような進化をした生物の記録も存在はしていないと思います。

      以上、ご参考になれば幸いです。こんごとも宜しくお願い致します。

  2. ちこたん より:

    進化論は証明されていませんし、真実ではないので証明できません。   
    あなたの知らない驚愕の「真実」があります。
       
    進化論の嘘
    http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1018484878.html

    恐竜は人類と共存していて4300年前に滅びました。
    http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1036887257.html

    • true-ark より:

      ちこたん様

      返信が遅くなり大変申し訳ありません。コメントを見逃しておりました。
      興味深い情報をありがとうございます。
      この記事を読む方の学びの参考となりますように。

      今後とも宜しくお願い致します。

  3. ひとし より:

    人生の意義を見い出すために、この記事が多くの人に読まれて欲しいです。

    • true-ark より:

      ひとしさん

      本記事の内容に同感してくださり、誠にありがとうございます!
      人がどんな目的で存在しているのかを知ることは、とても大切ですね。
      一人でも多くの人が、その存在目的に気が付き、人生に確かな希望を持って欲しいと、心から願っています。

  4. 「真実を告げる書、ラエル著」と言う本があることを、ご存知ですか?
    「人類の起源、人間の生きる意味、進化論の嘘、数々の預言者の謎、数々の神話の謎、、」
    など、全て書かれています。

    • true-ark より:

      ラエル書の啓示が、確かに真の神からだと言えるどんな証拠や根拠があるか、教えていただけますか?

  5. つよし より:

    進化論が仮説だから完全に信用してはいけないのは分かったけど、創造論は何世紀も前に誰かが作った小説みたいなものでしょ? そっちも信用できないんじゃない?

    • true-ark より:

      宜しければ、以下の記事も合わせて読んでみて下さいね。科学的・一般的な視点で考えれば、大切なのは、どちらの学説にどれだけの歴史があるかどうかよりも、どちらの理論の方が、より科学的真理と調和しているか?またより理に適った説明をしているか?という点だと思います。
      http://true-ark.com/creation-adam-eve/

  6. 無限ラブ より:

    もしフレッドホイルの計算を論拠に創造主が存在するとするなら
    偶然に生命が発生する確率よりも、創造主がいる確率が高い、という計算結果がなきゃいけないんじゃないかなあ、と思いました。

    フレッドホイルが計算したのは、偶然に生命が生まれる確率であって、創造主が存在する確率じゃないわけだし
    偶然の確率が低い=創造主が居る という飛躍した論理を許しちゃうなら

    宇宙一個では偶然に発生する確率が低い=これぞ多元宇宙論の証拠で、宇宙が無限数に存在して、生命発生の試行回数が無限に為されてる証拠だ!
    などと言い張ることもできちゃって、結局フレッドホイルの計算も無意味になって振り出しに戻ってしまいます。

    なので、 偶然は確率少ない=その他の仮説はなんでもあり な論理で進めていくと、
    現在証明されていないような、あらゆる物理学における仮説が、「そうとしか考えられない」という風になってしまって最終的に
    多元宇宙論等の未証明理論は、創造主論より、理論的な仮説が多数出されているから、より科学的真理と調和している、となっちゃいそうで不安です。

    • true-ark より:

      返信送れて申し訳ありません。見過ごしておりました。
      ご指摘の点は理解できます。

      「偶然の確率が低い=創造主が居る という飛躍した論理を許しちゃうなら」
      とありますが、これが飛躍した論理なのかどうか、という点を身近なもので考えてみる必要があると思います。

      私たちは普通に生きていて、身近に存在するあらゆるものを、「偶然にできたか?」「誰かが創ったものか」を瞬時に識別します。
      砂浜を歩いていて、その上に見事な三角形の山ができていたら、「偶然ではない=誰かが創った」と考えます。

      また、普通数学者は、宇宙で生命が発生する確率よりも遥かに少ない数確率出た時点で、「これは起こり得ない」と考えます。

      それで、生命の複雑な構造を目の当たりにした時に、私たちが自然な感覚を持って「造られた」と考えても、
      それは自然な感覚であり、飛躍した論理とはならないと思います。

      また、あらゆる生命の情報は、全て情報によって統率されていますが、情報科学の視点も加えると、よりスッキリすると思われます。
      http://true-ark.com/creation-adam-eve/

      どうぞご参考にして頂ければ幸いです。

      • 無限ラブ より:

        そちらの記事は既に拝読させていただいておりました。
        ありがとうございます。

        ギット氏の功績は非常に大きいものであると、私は考えています。
        主流であったいわゆる〝偶然説〟に大きな転換を迫ったからです。
        それまでは全て偶然の積み重ねで説明できていた部分を
        『生命が今のように機能するためには、そのように出来上がっている理由を、偶然以外で説明する必要がある』と大転換させたのですから。
        現在の生物学においては、まさに、そのように出来上がっている理由、を究明している途上にあります。

        ただし、ここで重要なことなのですが
        ギット氏の行ったことは、『何故そうなっているのか説明を必要にした』という部分までなのです。
        つまりギット氏自身も、その説明を迫られるわけです。
        これに対してギット氏は『何故そうなったのかの理由』の仮説は立てていても、その検証まではしていないという点は留意しなければいけません。

        つまり、偶然説は否定できたものの、キリスト教的な創造論を検証できたかというと、そこまでは至っていないということです。
        もちろん、未検証の仮説であっても、進化論がそうであったように、それが十分な合理性を持っていると一般で考えられれば、定説として受け入れられることもあります。
        そして、ギット氏の功績が創造論を、それだけで証明しうるものでなくとも、補強しうるものであることは、間違いないでしょう。

        フレッドホイルの話しに戻りますと

        確かに我々、創造論を信じる者からすれば、
        「偶然の確率が低い=創造主が居る」
        これは感覚としてごく自然です。

        しかし
        偶然の確率が低いのに、どうしてそれが起こったかを合理的に説明できる仮説が二つしか無い場合なら、
        片一方を否定できれば、片一方を正しいと断言することもできますが
        仮説が三つ以上ある場合、一つの偶然説を否定しても、その他の偶然説が残ります。

        これはどういう事かというと、「見事な三角形の砂の山」の出来た原因として偶然説の一つを否定するとしても、
        残された可能性が創造論だけではなく、他の偶然説も複数残るということです。
        と、すれば、フレッドホイルの計算を論拠に創造論を唯一確かなものと断言するには、
        いささか早急、あるいは飛躍になってしまうのではと考えます。

        また普通、数学者は、存在する可能性が計算されてない物事に関しては、その可能性を未知数であるとします。
        さらに可能性が未知数の物事と、既に可能性の計算が為されたものを比較する場合はこう考えます。
        「未知数の物事は、既に計算が為されたものよりも低い可能性もあるし、高い可能性もある」
        つまり、計算が為されない以上は、両者のどちらの可能性が高いかの答えを出せません。

        ですので、フレッドホイルの計算を持ってして、一足飛びに創造主が存在する根拠にしてしまうのは、
        大変強縮ですが、創造論を信じる方以外には、胡散臭く読まれてしまい、敬遠されてしまうのでは、と危惧いたしました。
        私のような外野が、積極的に啓蒙活動をなさっている方に、このような事を言うのは失礼にあたると考えますので、謝罪いたします。

        その上で申しますと、フレッドホイルを引き合いに出すよりは、
        より根源的なギット氏の論説をメインにしたほうが、創造論を信じない方にも理解してもらいやすいのでは、と考えました。

        重ねて謝罪いたしますが、差し出がましいコメントをしてしまい、申し訳ありません。

        • true-ark より:

          貴重なご意見ありがとうございます。

          聖書の教えの最初の記事は、ギット氏の記事を作るずっと前なのですが、私としても、どちらかと言えば、ギット氏の提唱する情報科学的な視点の方が説得力があると考えています。ご意見も考慮し、今後折を見て、内容に修正を加える可能性があることは、お伝えさせていただきます。

          客観的・詳細な情報提供に感謝致します。

          一つ確認ですが、たとえば生命誕生における偶然節が否定される場合、その他に残る仮説は、神による創造説の他に、どんなものが挙げられますか?
          よく耳にするのは宇宙人による創造説ですが、これについては、問題の本質を宇宙人に逸しているだけで何も答えにならないと私は考えています。

          少し、別件でお聞きしたいことがありましたので、ご入力されたメールアドレスに、メールを送らせていただきますね。

          • 無限ラブ より:

            この場合に想定される仮説についてですが

            まず、前提として、フレッドホイルの計算によって、創造主が生命を創造したと主張する場合
            創造主という、『検証されていないが、低確率で発生する現象を合理的に説明できるもの』を説の根拠にする、という事になってしまう点に注目してください。

            そしてですが
            検証されていないが、低確率で発生する現象を合理的に説明できるもの、を根拠にして良いのならば、わりと何でもありになってしまうのです。

            例えば、最初のコメントにも書きましたが、多元宇宙論という検証されてない仮説があります。
            これは宇宙が無限に近い数、存在している、という仮説です。
            宇宙の数が無限にあれば、どんなに発生確率が低い物事でも、確率が0でない限りは、ほぼ確実に発生します。
            偶然説が、必然説、に生まれ変わってしまうのです。
            これも、検証されていないが、低確率で発生する現象を合理的に説明できるもの、となってしまいます。

            似たようなものだと、超ひも理論による多宇宙の仮説もほぼ同じで、偶然説を必然説にすることができてしまいます。
            他には量子力学の多世界解釈も、同じです。

          • true-ark より:

            他の説について、ご紹介ありがとうございます。
            ハートネット博士もおっしゃっていますが、宇宙論、というのは、検証不可能な条件が多く存在するため、確固たる説を証明するのが難しいようですね。
            科学的思考が、突き詰めると宇宙や生命の起源の可能性を相対化してしまうのであれば、やはり創造科学の役割は、創造説を証明するとまでは行かずとも、
            その合理性を示す、というところにあるのだと思いました。

            そして、科学が不十分なものである以上、やはりクリスチャンは、神の言葉、イエス・キリストの証言を土台として、物事を捉えていくべきですね。
            宇宙や生命の創造説も、最終的には、神の言葉を土台とし、信仰を持つことが最善だと思いました。

  7. なまこ より:

    私は幼児洗礼を受けた者ですが、キリスト教に懐疑的な思いを払拭できず、進化学の道へ進み、そこで学位を修めました。誤解されているクリスチャンの方が多いのですが、生物進化には無数の証拠があり、論理的にも疑いを挟む余地がありません。詳しくは、リチャード・ドーキンス氏の著書などを偏見なくお読みいただければご理解いただけるものと思います。

    最近になって再び神の愛に触れる出来事があり、幼少期とは少し違った形で信仰を取り戻しました。科学と宗教が融和へ向かうための一助として、現時点での私の理解を少しお伝えしたいと思います。

    進化学と創世記は相矛盾する対立仮説ではありません。進化学は生命の意味を否定する学問ではなく、生命の歴史、変化と分化の論理を、通常の物質的な時間軸に沿って客観的に説明するものです。一方創世記は、世界の存在を、ある側面での意味や物語から、通常の時間軸とは異なった精神的な時間軸に沿って説明するものです。進化学は物質的な生物の起源を、創世記は精神的な世界の起源を説明するもので、それぞれ視点の異なるものです。

    物質世界が世界の本質であり、時間軸は一つしかないという妄想に冒されたまま、創世記を理解しようとすると、進化学は排斥すべき対立仮説として解釈されてしまいます。しかし、この妄想こそが、ある意味で善悪の知識の木の実であり、原罪なのだと思います。神の言葉が物質的な時間軸から逃れられないものだなんて、聖書のどこに書かれているのでしょうか。多くのクリスチャンが、自分は神の心を知るものだと自負していながら「汝の敵を愛せよ」というイエス様の言葉を拒絶し続けているのは悲しいことです。

    • true-ark より:

      コメントありがとうございます。神の愛に触れて信仰を取り戻されたとのこと、本当に良い証ですね。主は生きておられます。

      こちらの記事は、聖書の教えの入門用的なものなので、細かい聖書的根拠には触れていませんが、ご指摘の点に関連して、当方の考えもお伝えしたいと思います。

      聖書が示す通り、この世界には、神が臨在される霊の世界と、私たちの肉体が存在する物質世界があります。私たちが感じる時間とは、この物質世界に関係するものであり、霊の世界では通用しません。これは、聖書的な視点だけでなく、多くの臨死体験者も証言するところです。では、創世記の最初の六日間はどうなのかと考えると、これにはクリスチャンの中でも異なる立場がありますが、私は、モーセの十戒の啓示を元に、それが文字通りの六日間であったと考えます。
      「20:11 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」

      聖書解釈の大原則の一つに、「聖書は聖書が解釈する」というものがあります。ですので、イエスも証言された通り、私は生命の進化ではなく、神が動物をそれぞれの種にしたがって造られたこと、神が土の塵からアダムを造られたことを信じています。
      「19:4 イエスは答えて言われた。「創造者は、初めから人を男と女に造って、19:5 『それゆえ、人はその父と母を離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者が一心同体になるのだ。』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。」(マタイ)

      おそらく、言葉の表現からは、創世記を字義通りの歴史的記録とは見ておられないと思います。私も昔のある時期、そういう時がありました。その時は、福音的な信仰を固く明らかにする人々に対して、突っぱねられるような印象を受けたものです。しかし、聖書を読み、理解が深まるに連れ、その考えは頭から消え去りました。結局のところ、私には知識が足りなかったのです。

      聖書観の問題については、以下の記事で詳しく論じていますので、一度ご覧になって頂ければ幸いです。
      http://true-ark.com/homosexuality-bible-teaching/

      なまこさんの上に、主の恵みがありますように。

  1. 2016-10-02

    […] 進化論の限界~生命は創造されたのか […]

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