七日目の安息日から、八日目の新しい創造の祝福へ|創世記2章1~3節

神は七日目を祝福された

「こうして天と地とその万象が完成した。2 神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。3神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。」(1~3節)

1章では、神がたったの六日間で天地万物を完成されたことを学びました。ハレルヤ!そして神は、七日目に「なさっていたすべてのわざ」をやめられて、この第七日を祝福し、聖なるものとされました。「七」は神にとって完全数です。六日間働き、七日目に休む、これが、神がこの世界で定められた一つのサイクルなのです。

1週間が七日間であるのは、ここから来ています。昨今の日本では週休二日も多くなりましたが、多くの国や地域で六日間働き、一日休むのはここから来ているのです。

さて、この七日目とは何曜日でしょうか?それは土曜日です。そして、この聖書を書いたユダヤ人の考え方では、一日の始まりは真夜中の12時過ぎではなく、日が暮れる夕刻に始まります。創世記1章では、「夕があり、朝があった」という表現が繰り返されており、先に「夕」が来ていることがわかります。つまり、夕方から一日が始まるという考えは、この天地創造に関する聖書の記述から来ていることがわかります。

安息日の命令

神はいつ、七日目を聖なるものとされたのでしょうか?それは、天地創造の七日目です。ですから、七日目の土曜日が聖なる日であり、神が祝福された日であることは、天地創造以来のことなのです。

しかし、神がご自分の民に、この日に「仕事をしてはならない」と厳粛に命令したのは、モーセとイスラエルの民に十戒を与えた時でした。このように書かれています。

「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。9六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。10七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。11それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。」(出エジプト20:8~11)

それ以来、安息日は、ユダヤ人にとって最も重要な祝日・祭りとなりました。聖書によれば、イスラエルには一年間で七つの祭りを祝うように命令されています。過越しの祭り、種無しパンの祭り、初穂の祭り、五旬節の祭り、ラッパの祭り、贖罪の日、仮庵の祭り、です。では、ユダヤ人にとって最も大事な祭りとは何か?とラビ(ユダヤ教の指導者)に質問をすれば、彼らは例外なく「安息日」と答えるのです。

それゆえに、安息日はユダヤ人にとっての「アイデンティティ」であり、「ユダヤ人が安息日を守ってきたのではない。安息日がユダヤ人を守ってきた。」というユダヤの格言もあるほどです。

ちなみに、今日のイスラエルでも、安息日は守られており、特にユダヤ教を真面目に信じるユダヤ人の間では、金曜日の夕刻から土曜日の夕刻まで、いかなる労働も禁止されています。この点で一つ面白い話があるのですが、たとえば安息日の禁止事項の中に、「電気をつけること」もあったりするのです。ということは、もし安息日の夜に電気が必要な場合、安息日になる前のタイミングで電気をつけておく必要があるわけです。では、それを忘れてしまったらどうするのでしょうか?その場合、ユダヤ人は安息日と関係ない生活をしている外国人を見つけて、その外国人に電気をつけてもらうのです(笑)面白い話ですが、これは実際にそうなのです。

https://globe.asahi.com/article/11933002

天地創造の七日間とキリストの働き

では、一週間のサイクルが聖書から来ているのであれば、なぜイスラエル以外の多くの地域では土曜日ではなく日曜日が祝日となっているのでしょうか?その答えは、西洋の歴史に大きな影響を与えてきたキリスト教が、土曜日ではなく日曜日を祝日としてきたからです。

では、なぜキリスト教徒は、日曜日を祝日としてきたのでしょうか?色々な理由や経緯はありますが、その最大の理由は、日曜日(聖書で言う「週の初めの日」)はイエスキリストが復活した日だからです。ここで、創世記の天地創造の流れと、救い主キリストの働きの対応関係について考えてみましょう。

天地創造とキリストの働きの対応表

神が万物を完成させ、人間を創造したのは六日目、つまり金曜日でした。そして、人間と万物を完成させたのと同じ日に、神はアダムの罪によって堕落したこの世界の贖いを、キリストの十字架によって完成されたのです!

そして、七日目の土曜日に、神が創造の全ての働きを休まれたように、キリストは同じ土曜日に贖いのための地上の働きを休まれ、墓の中で眠りについたのです。

そして、八日目の日曜日に、神はキリストを死の眠りからよみがえらせ、キリストによって「新しい創造」を始められました。それは、天地創造の七日間に基づく古い創造ではなく、「新しい天と地」へとつながってゆく「新しい創造」であり、キリストはその「初穂」となられたのです。

「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(Ⅰコリント15:20)

聖書において「七」が完全数であるなら、「八」は新しい始まりと永遠を意味します。例えば、ノアの大洪水の時代、救われた八人を通して、神は新しい時代を始められました。そして、神がキリストによって新しい創造を始められたのも、七日目の次の日である八日目の日曜日でした。

ちなみに、新約聖書はギリシア語で書かれていますが、ギリシア語にはヘブル語の場合と同じく、一つ一つアルファベットに固有の数値が割り当てられています。そして、ギリシア語におけるイエスの名前「イエスースー」にこの数値を割り当てると、合計が「888」になるのです。

https://bible-menorah.jimdofree.com/english/888/

では、新しい創造の初穂であるキリストを信じるクリスチャンに対して、聖書は何と言っているでしょうか?

「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(第二コリント5:17)

ここで語られている「新しく造られたもの」とは、これまでに無い新しい生命、新しい生物種を表しています。つまり神は、キリストイエスにあって、私たちの内に「新しい創造」をすでに始められているのです。それは、創世記1~2章の七日間の創造に基づくものではなく、「新しい天と地」に属する「新しい創造の領域」です。

こいうわけで、クリスチャンが七日目の土曜日ではなく、八日目の日曜日を祝日として祝ってきたことには霊的にふさわしい意味があり、神の摂理的な導きがあったと私は考えるのです。

週の初めの日を聖別する

このような理由から、週の初めの日はキリストの復活の日、神が新しい創造を始められた日であるがゆえに、クリスチャンがその日を聖なる日として取り分け、日ごろの仕事からの休息を得て、神をたたえるのはふさわしいことであると私は考えています。

もっとも聖書の中には、そのような明確な命令があるわけではありません。また、全ての人が日曜日に休める仕事をしているわけではありません。しかし、七日間の1週の内、どれか休める日を神のために、そして休息のために取り分けることは、身体的にも霊的にも実にふさわしいことでしょう。

もしも、あなたの生活の収入がぎりぎりで、「七日間フルに仕事をしなければならない」と考えるなら、出エジプト記の安息日の命令を思い起こして下さい。

心せよ。主があなたがたに安息を与えたのだ。そのため、六日目には二日分のパンをあなたがたに与えている。七日目には、それぞれ自分のところにとどまれ。だれも自分のところから出てはならない。」(出エジプト16:29)

もしもあなたが、神を信頼し、神を第一にしたいという願いから、1週間の内の一日を神のために取り分けるのなら、その一日に不足すると思われる分の収入は、神様が面倒を見て下さることでしょう。

 

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