ノアの箱船を出た動物は、どのようにオーストラリアに来たのか?

オーストラリアの動物―カンガルー

オーストラリアの動物―カンガルー

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本記事は、書籍「創造の疑問に答える」(バイブル&クリエーション出版)からの転載となります。
なお、転載にあたっては、以下の版元の許可を得ています。
 ・Creation Ministries International  http://creation.com

 ・バイブル&クリエーション http://b-c.jp

書籍「創造の疑問に答える」については、以下のウェブページで紹介されています。
 ・国内 http://gophertree.jp/dvds.html
 ・海外 http://creation.com/japanese

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箱船を出た動物は、どのようにして オーストラリアに来たのか?―創造の疑問に答える 10章

  1. 箱船を出た動物たちは、どのようにしてはるか彼方の国々に移動したのか?
  2. 洪水の後で、カンガルーはオーストラリアまで飛び跳ねて行ったのか?
  3. その途中、コアラは何を食べていたのか?

創造主は、可能な限り平易な表現で、全世界を水浸しにした災害 ―ノアの洪水― を啓示しています。まずこのことを再確認しておきましょう。陸上の息をする動物で箱船に乗らなかったものは死滅し、箱船で生き残ったものが再び世界中に棲みつきました(第10章参照)。

動物はどのようにして箱船に来たか?

懐疑主義者らは、ノアが中東を出て、はるか彼方の国々を行き巡り、オーストラリアでカンガルーとコアラを、ニュージーランドでキウィを集めている絵を描いています。しかし聖書は、動物がノアのところに来たと言っているのであって、彼が動物を探し回ったのではありません(創世記6:20)。明らかに創造主が動物をノアのところに来させたのです。聖書にはそれがどのようになされたかについては記されていません。

また、洪水以前の地理がどのようであったかも分かりません。もし、当時、大陸が一つであったなら、遠い地域の動物が箱船に来ることは可能か、という疑問は解消します。

洪水後の動物の分散

詳細な記録がなければ、再現不可能な一回限りのできごとは、それがなぜ、どのようにして起こったかを理解するのに限界があります。

分かっていることが限られているために、一つ一つ詳細に説明することが難しいのです。タイムマシンで過去に遡って調べることはできないので、洪水後の世界がどうであったか、全貌を理解するにはどうしても無理があります。それゆえ、洪水後の動物の移動形態は、聖書の創造モデルの中の疑問であり、研究課題であったわけです。しかし、様々な分野で、この疑問に答える手がかりが提示されています。

現在に起こった手がかり

1883年、クラカトア山が噴火し、島は無生物の状態が数年間続きましたが、最終的には、昆虫やミミズ、鳥、トカゲ、ヘビ、そして何種類かの哺乳類など、驚くほど多様な動物が再入植しました。だれもこの一連の動物たちが海を渡って来たと思わないでしょう。しかし、実はそうなのです。これらの動物のほとんどは後述の動物よりも小さいにもかかわらず、入植しました。事実は私たちの想像をはるかに超えていたのです。

陸 橋

進化論科学者らも、アジアとアメリカを分けているベーリング海峡は、かつて人も動物も行き来できたことを認めています。1 大陸移動説が広く認知される前は、進化論科学者らも完全に、「氷河期に海面が低くなって(水が陸に止まるため)陸橋ができ、たとえば、ヨーロッパからオセアニアの島々にかけて、ほとんど乾いた地の上を渡ることができた」という考えの上に立っていました。

オーストラリアへ至るルートに沿って延々と海溝が存在していることもこの説明を裏付けています。進化論地質学者らは、氷河期に関連する時代に、海盆の上昇と潜り込みを伴って構造地質学的隆起が起こったと信じています。たとえば、カリフォルニアの一部は氷河時代に海底が数千メートル持ち上がってできたとされており、一般に更新世(もっとも最近の地質時代の一つ)と呼ばれています。創造論地質学者らは、更新世は洪水後に堆積し、この時代に動物の入植が起こったと考えています。

この考えでは、それらの陸橋を含め、そのような乾いた陸地はほぼ同時期に沈下して水没しました。a

有袋類はオーストラリアで進化したに違いないのでオーストラリア特有の動物であるという考えが広く行き渡っていますが、間違っています。有袋類は、北及び南アメリカでも生存しており、その化石はどの大陸でも見つかっています。同様に、単孔類もオーストラリア特有のものと考えられていましたが、1991年に南アメリカでカモノハシの歯の化石が発見されたことで科学会が呆然としました。2 しかし、進化論科学者らはすべての生物は共通の祖先から進化したと信じているので、オーストラリアと他の地域の間で入植があったはずであると言います。入植については、進化論、創造論にかかわらず、全ての科学者が認めています。

ほとんどの創造論科学者らは、ノアの洪水に続いて氷河期が一度だけ起こったと考えています。b 氷河時代の数百年間、海面が下がったので、動物は陸橋を通って入植が可能となりました。幾人かの創造論科学者は、洪水の後、c ペレグの時代に大陸が分断したと言います。そういうことなら、数百年間かけて動物が分散していくのに陸橋は必須の要素ではなくなります。しかし、ペレグの時代の大陸分断は、創造論科学者の中で広く支持されているわけではありません(第11章参照)。

カンガルーはオーストラリアまで跳ねて行ったのか?

どのようにして動物はアララテ地方から長い道のりを移動したのでしょうか? 動物の個体が驚異的に何千キロもの旅をしたという報告はいくつもありますが、そのような能力が特に必要というわけではありません。オーストラリアに開拓で入った人たちが小数のウサギを放しました。今では、野生のウサギはこの大きな大陸の反対側の端(極めて端っこ)で見かけられます。これは、ウサギの個体がオーストラリア大陸を横断する能力があったということでしょうか? これは愚問です。

動物の集団は何百年かけて、多くの世代を経て入植したのでしょう。ついでに言うなら、カンガルーのつがいはオーストラリアから箱船のところまで跳ねていったのか、という(よく言われる)逆の質問についても答えは簡単です。現在の陸地は洪水堆積岩で覆われており、ともかくも洪水前の陸地と同じではないということです。

ノアの洪水前の動物の分布状態は分かりません。カンガルーは(他の動物もそうであったように)孤立した陸塊にいたわけではないでしょう。創世記1:9は唯一の大陸があったことを暗示しています、「天の下の水が一所に集まれ。乾いた所が現れよ。」。もしかしたら、カンガルーはノアが箱船を造っている間、石を投げて届くくらいの所で飼われていたかもしれません。

もし、動物がオーストラリアまでの長い道のりを移動していったのなら(おそらくインドネシアも通ったはず)、なぜその途上の地域で化石が見つからないのか?と質問されるかもしれません。化石は滅多にできるものではありません。腐敗しないように(洪水のようなことで)即座に埋められなければなりません。ライオンはかなり最近までイスラエルにいました。そこではライオンの化石は発見されていませんが、だからと言って、ライオンがいたという多くの歴史資料が嘘だということにはなりません。合衆国を闊歩していた何百万頭ものバイソンは一切化石を残していません。ですから、小集団が、おそらく競合や天敵から逃れようとして移動し、ある地域に数世代住んでいて化石を残さないのは何も不思議ではありません。

カンガルー

特産と言われる生物について

ある地域だけに見られる動物や植物があるのはなぜか、という疑問があります。マダカスカル特産のx種、セイシェル特産のy種と言われますが、これはどういうことでしょうか? この質問をする人の多くは、y種は他には行かずに、そこにのみ入植したと考えています。そうかもしれませんが、そうである必要はまったくありません。状況証拠が示していることは、そこは、x種やy種が生き残った唯一の地域であるということです。

現在のカンガルーの祖先は、世界中で数箇所の集団を形成していたが、結局そのほとんどが絶滅しました。これらの有袋類がオーストラリアで生き残ったのは、有袋類が有胎盤類(有袋類以外の胎盤を持つ哺乳類)に先行して入植し、その後、有胎盤類から孤立したことで、競合と捕食から守られたからでしょう。

中央オーストラリアにあるパームバレーに、世界で唯一のリビングス

トニアというシダ類が生息しています。これは、その種がその小さな場

所にのみ流れ着いたということでしょうか? そうではありません。創造論モデルでは、現在の気候は洪水直後数百年間のそれよりずっと乾燥しています。最近になって進化論科学者らも(進化論を基準としても)、かつてサハラ砂漠は肥沃で青々としていて、オーストラリアは湿潤な熱帯気候であったと認めています。ですから、今ではオーストラリアは、アフリカのある地域のように乾燥してしまいましたが、かつてそれは広く分布していたかもしれません。シダ類がパームバレーで生き残ったのは、中央オーストラリア全体の乾燥化からたまたまその場所が守られたからでしょう。他の場所では死滅してしまいました。

中央オーストラリア、パームバレーのリビングストニア

中央オーストラリア、パームバレーのリビングストニア 写真:Carol Drew

ところで、洪水後の動物の移動については、気候の変動が植生を変えるということを考慮すべきです。というのは、皮肉った反論があるからです。たとえば、現在の熱帯雨林で生活する動物が何千キロも焼け付くような砂漠をとぼとぼ歩いて行ったのか?と。かつてそこは砂漠ではなかったというのがその答えです!

コアラなどユニークな動物

もっと難しい問題があります。たとえば、中国のパンダとか、オーストラリアのコアラのように、特殊な環境や、限定した食べ物を必要とする動物がいます。竹や青ゴムdの木がそれらの動物の移動経路に繁茂していたかどうか分かりません。むしろ、そうであったから、然るべくしてそれらの動物がそこに来た、ということかも知れません。

コアラとイグアナ

もう1つ、別の可能性があります。独特の環境で生き残るために、集団の中で下り坂の変異が起こって特殊化したケースです。これは、遺伝情報を失うか、退化的突然変異によるものです。分かりやすい例に、最近盛んに行われるイヌの繁殖があります。人為的に(もちろん自然にも起こりますが)選び取られ、‘雑種’であった祖先とは似ても似つかぬほど野性味を失いました(丈夫ではないということ)。たとえば、セントバーナード犬は、甲状腺が過敏であるという突然変異的欠陥を抱えており、体温上昇を避けるためにいつも涼しいところにいなければなりません。

すなわち、箱船から出てきた時、動物は特殊化していませんでした。その時、動物は、それらの子孫よりも丈夫でした。子孫は元々存在していた遺伝子プールから一部のみ受け継ぐからです。e このことから言えることは、コアラの祖先は、はるかに広い範囲の植生で生活できたのではないか、ということです。このような説明は、最新生物学で可能となってきました。さらに研究が進めば、難しいとされた問題はもっと少なくなるでしょう。

入植した環境にさらされている動物がそういった変化を遂げるのに長い時間を必要としません。最初の小さな集団はすぐに分散して次世代集団を形成しますが、それぞれが箱船から出た‘つがい’の遺伝子プールを部分的に持ち出しているのです。

集団が全滅することもあり、全部あるいは一つだけが特殊化することもあります。亜種全体が生き残って繁殖すると、明らかに創造された種類から出たと見られるいくつかのグループに驚くほどの多様性が現れるのです。このことは、関連しているはずの種類で互いに全く違った特徴が見られる理由を説明しています。ナマケモノは非常にゆっくり動くので、アララテ山から現在の生息地までを旅するには聖書で言うような時間どころでではないと思われるかもしれません。おそらく、今のナマケモノのそのような性質も退化のプロセスで説明できるでしょう。しかし、今日の動物分布を説明するのに、進化論科学者らは、ある霊長類が嵐で引き裂かれた植物が絡まってできた大きな筏(いかだ)に乗って160kmの大海原を越えて渡ったと言います。3 実際、最近、イグアナがそのようにして数百kmあるカリブ海諸島を渡ったという報告がありました。4

聖書は、洪水後に動物と人間が分散したパターンが記されていますが、そのことは類人猿と人間の化石の分布をも説明します。アフリカの洪水後の堆積層で、類人猿の化石が人間の化石の下から見つかるのです。進化論科学者らは「人間は類人猿から進化したからである」と主張しています。しかし、別の説明が存在しています。類人猿も含め動物は洪水直後に世界中に向けて分散したが、人間は分散を拒否したと聖書は教えています(創世記9:1、11:1~9)。人間の分散は洪水後数百年経たバベルの塔の時までありませんでした。人間が類人猿に遅れてアフリカに入植したため、類人猿の化石が人の化石の下から見つかるわけです。5

いろいろな疑問に対して絶対正しい答えを得ることはできませんが、どうしようもないと思われた問題のほとんどが納得できるようになっています。fノアの洪水の地質学的、人類学的証拠を聖書に照らし合わせば、動物がある中心点から分散したという聖書の記事がまったく理にかなうのです。6 それだけでなく、聖書のモデルはこれらの疑問を扱う科学研究にすばらしい枠組みを提供します。

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第17章の‘注’

  1. Erias, S.A., Short, S.K., Nelson, C.H. and Birks, H.H., 1996. Life and times of the Bering land bridge. Nature 382:60~63.
  2. , 1992. Platypus tooth bites hard into long-held beliefs. Creation 14(1):13, based on an article in New Scientist, August 24, 1991. A platypus is a monotreme (an egg laying mammal).
  3. , 1993. Hitch-hiking lemurs, Creation 15(4):11, commenting on Tattersall, J., 1993. Madagascar’s Lemurs. Scientific American 268(1):90~97.
  4. , 1999. Surfing lizards wipe out objections. Creation 21(2):8.
  5. Dr Sigrid Hartwig-Scherer, paleoanthoropologist, on the DVD, The Image of God, Keziah Videos.
  6. さらなる情報は: Whitcomb, J. and Morris, H., 1961. The Genesis Flood, Presbyterian and Reformed Publ. Co., Philipsburg, New Jersey. Woodmorappe, J., 1990. Causes for the Biogeographic Distribution of Land Vertebrates After the Flood. Second ICC, Pittsburg, pp. 361~367.

a 北オーストラリアから東南アジアに至る領域は世界でも地殻変動が活発な地域です。

b 第16章 ‘氷河期については?’ 参照。

c 第11章 ‘大陸移動については?’ 参照。

d 実際、コアラは他種のゴムの葉も食べます。オーストラリアには500種のユーカリ(ゴム)の木があります。コアラが食べるのはその20種くらいで、青ゴムが好物です。コアラがユーカリにこだわって食べるのは、母乳に含まれるユーカリの葉の化学成分に対する中毒症であることが最近の研究で分かりました。哺乳瓶で育てたコアラはユーカリ以外の食餌で生きることができます(Journal of Creation 8(2):126 参照)。また、ジャイアントパンダは通常、竹だけを食べていますが、時には小動物も食べることが知られています。

e  第18章‘人種はどのように出現したのか?’参照。たとえば、浅黒い人から白人になったというのは、母集団にあった遺伝情報の一部を失ったことに因ります。

f  動物の分布の説明の困難さを扱った文献は、進化論の枠組みでさえ、古代人が、かつて考えられていたよりはるかに造船技術や航海術に長けていたことをしばしば提示しています。いろんな動物が人と共に海を渡ったのかもしれません。この可能性も考慮すべきでしょう。動物たちはこのようにして新たな陸地に渡り、人がそこにとどまらなかったり、死んだりしても、そこで繁栄したということかもしれません。

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