福音とは何か?聖書的な福音の意味を解き明かす

福音とは何か?聖書的な福音の意味を解き明かす

「福音」とは何か?
「福音」は、多くのクリスチャンにとって馴染み深い言葉だが、改めてその意味を問われた時に、まともに答えれない人は決して少なくは無い。しかし、全てのクリスチャンにとって、また福音を知らないノンクリスチャンにとっても、この問の答えを正確に理解することは、とても重要だ。

なぜなら、聖書によれば、私たちは福音によって救われ、永遠の命を得るからだ。さらに、福音への正しい理解は、永遠の命の救いだけではなく、今の世において喜びのある人生を送る上でも、重要な鍵となるのだ。

今回の記事は、聖書全体の言葉から、福音の正確な意味を、様々な視点から解き明かす内容となっている。全ての読者の方が、本記事の学びを通して、確信を持って福音を信じ、また語ることができるようになることを願っている。

福音についての基礎知識

「福音」とは、ギリシア語の「euaggelion」(ユーアゲリオン)という言葉を訳したものであり、「喜ばしい知らせ」という意味がある。(英語では、Gospel)この語は、戦いの勝利の知らせとか、子供の誕生の知らせを表す際にも、用いられていた。日本の有名なアニメ「エヴァンゲリオン」も、同じギリシア語から取られた名前だ。

「福音」を表すこの言葉は、新約聖書の原文にはおよそ74回登場する。旧約聖書においては、ヘブライ語「バーサル」(bsar)という動詞に同じような意味があり、例として、口語訳のイザヤ61章1節において「福音」と訳出されている*[1]

では、聖書が教える「福音」、つまり「喜ばしい知らせ」とは何なのか、それを改めて考えていくのが、本記事の目的でもあるが、先に結論を完結に言うと、「イエス・キリストによって、堕落した人類を罪と死から永遠に救い出す神の約束」のことであり、その約束の土台は、キリストの十字架と復活によって実現された。

福音宣教の本質とは

では、福音宣教の本質的な側面とは、どのようなものだろうか?それは、キリストを宣べ伝えることであり、キリストの証人となることである。そして、その根拠となる幾つかの聖句を、新約聖書から確認していきたい。

キリストを宣べ伝える

「散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。ピリポはサマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、彼が行っていたしるしを見て、彼が語ることに、そろって関心を抱くようになった。汚れた霊につかれた多くの人たちから、その霊が大声で叫びながら出て行き、中風の人や足の不自由な人が数多く癒やされたからである。」(使徒の働き8章4~7節)

サマリヤでのピリポの伝道の場面だが、「みことばの福音を伝える」「キリストを宣べ伝える」、これらの表現が、同じ意味で用いられていることから、福音とは、本質的にキリストを伝えることとイコールであることがわかる。

福音書全体は、それ自体が福音である

「神の子、イエス・キリストの福音のはじめ。」(マルコ1:1)

マルコの福音書の冒頭において、「福音のはじめ」と書かれている。つまり、マルコの福音書の全体が、「福音」であることがわかる。なぜなら、それはイエス・キリストを証しするものであるからだ。またその事実は、マルコの福音書だけでなく、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネにおける四福音書全体も、それら全てが「福音」だということも意味する。だから、これらの書簡は「福音書」と呼ばれているのだ。

キリストの証人となる

「キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選び出され、使徒として召されたパウロから。」(ローマ1:1)

パウロは、福音のために召され、使徒とされた。また彼は、使徒としての召命を受けた時、その働きが「イエスの名を伝える」ことであると示されている。つまり、イエスの名を証しすることが、パウロの使命となったのだ。

「しかし、主はアナニアに言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。」(使徒9:15)

そして、全てのクリスチャンに与えられた使命は、「キリストの証人」となることである。

「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

だから、イエス・キリストの生涯を通して、彼が誰であるのか、また私たちのために何をしてくれたのかを証しすることが、福音宣教における本質的な定義なのだ。

福音の内容は、漸進的に明らかにされてきた。

旧約聖書の時代

神は、旧約聖書の時代から、イエス・キリストによって、人類を罪と死の奴隷状態から救う約束と計画を明らかにしてきた。そして、その約束の内容は、時代を経るごとに、徐々に明らかにされてきた。だから、旧約聖書にある全てのメシア預言(救い主に関する預言)は、「福音」なのである。

だから、聖書の中で一番最初に登場する救い主の到来の預言は、「原福音」と呼ばれているのだ。この預言によって、神は、人類の堕落の根源であるサタンを、キリストによって滅ぼす計画を明らかにしたからだ。

「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」(創世記3:15)

また、アブラハムは、自分の子孫から、やがて救い主が誕生すること、またその救い主によって、全人類が祝福されると預言された。これも、キリストの到来と役割を示すものとして、私たちに啓示された福音なのである。

「確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように大いに増やす。あなたの子孫は敵の門を勝ち取る。18あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたが、わたしの声に聞き従ったからである。」(創世記22:17~18)

福音書の時代

「救い主による人類の救済」という福音の本質はどの時代にも変わることは無い。旧約聖書の時代における福音とは、「やがてメシアが到来する」という未来系の内容だった。しかし、福音書の時代になり、メシアが到来すると、「救い主は今ここに到来している」「神の国は近づいた」という現在形の内容へと更新された。

「25女はイエスに言った。『私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることを知っています。その方が来られるとき、一切のことを私たちに知らせてくださるでしょう。』26イエスは言われた。『あなたと話しているこのわたしがそれです。」(ヨハネ4:25~26)

「しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。」(マタイ12:28)

このように、「救い主による人類の救済」という福音の本質はどの時代にも変わることは無いが、時代の進展と共に、その内容も進展していったのである。

新しい契約(新約)の時代

キリストは、聖書で預言されていたとおりに、私たちの罪のために死に、三日後に復活することによって、罪と死に勝利された。それによって、「メシアは今到来している」という福音書の時代の福音は、「キリストは十字架と復活によって罪と死に勝利された」という完了形の内容へと更新された。

「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、・・次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと」(第一コリ15:3~4)

「そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、15死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。」(ヘブル2:14~15)

そして、イエスを救い主として信じる全ての者に、罪の赦しと永遠の命の救いが与えられるようになった、これが、新約時代の福音の内容なのだ。

「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ローマ10:9)

新約時代の福音の要素をより深く理解する

イエスや弟子たちは、まず福音を語った

すでに、新しい契約の時代における福音の内容について、重要な点は説明したが、ここでは、クリスチャンが語るべき福音の要素について、もう少し踏み込んで確認をしていきたい。

まず、新約聖書を確認していくと、イエスや弟子たちは、未信者に会うと、真っ先に福音を伝えていたことがわかる。だから、特にキリストの復活以降の『使徒の働き』から、使徒たちが未信者に宣教した時に、はじめに何を語ったのかを確認すれば、新約時代の福音の重要な要素がわかるはずだ。

「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。」(マルコ1:14)

「ピリポは口を開きこの聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた」(使徒8:35)

「こうして、使徒たちは証しをし、主のことばを語った後、エルサレムに戻って行った。彼らはサマリア人の多くの村で福音を宣べ伝えた。」(使徒8:25)

福音の主要な要素

そこで、今回の記事を書くにあたり、使徒の働きを一通り確認し、使徒たちが語った福音にどんな要素があるのかを調べてみた。(参考にした聖句は、本記事の末尾にて挙げている)結果は、次の通りである。

  1. キリストは聖書で預言されていたとおりに、
  2. 私たちの罪のために死に、
  3. 葬られ、
  4. 三日後に復活した。
  5. 復活したイエスを、救い主と信じるものは、罪の赦しを受け、救われる。
  6. 天地の創造主がおられる。
  7. キリストは全人類の審判者として定められた。

各要素の説明

キリストは聖書で預言されていたとおりに、

使徒の働きでユダヤ人に語られるほとんどの福音において、イエスの十字架と復活が旧約聖書の預言の成就であった、という側面が強調されている。実際に、キリストがその公生涯において、どれだけの奇跡を行ったとしても、それらが「預言の成就」とならなければ、彼が救い主とされる事はありえなかったのだ。

また、旧約聖書に慣れ親しんできたユダヤ人にとっては、イエスがメシア預言を成就させたかどうかが、極めて重要な判断基準であった。このような複数の理由から、キリストの福音を語る上で、預言の成就という側面が重要だったのだ。

罪のために死に

キリストの十字架上での死が、罪のための贖いとなった、という真理は、キリストの福音の中で、最も重要な要素の一つであり、使徒の働きに出てくるほとんどの福音宣教において語られている。その身代わりとしての死は、キリストを信じる全ての者に完全な赦しを与える事を可能にした。

また、その贖いの死は、罪と死の力を持つ悪魔に対する完全な勝利をもたらし、信じる全ての者にも同様の勝利を与えることを可能にした。創世記3章で語られた原福音は、十字架の死によって成就したのである。

葬られ

キリストの埋葬には、イザヤ53章の預言の成就としての側面があった。(53:9)また、キリストの死が、罪の贖いとして完成されるためには、死からの埋葬によって、罪人と完全に同じ道を通り、罪人と一体化する必要があった。

ただし、使徒の働きの福音の中では、語られている時とそうでない時があり、十字架と復活の出来事ほど、その重要性は高くは無いと言えるだろう。

復活した

キリストの復活は、使徒の働きで語られる福音において、必ず示される出来事であり、十字架と合わせて欠かすことのできない重要な要素だと言える。復活は、キリスト教信仰の土台であり、イエス・キリストが救い主となった事を公に証明するものである。(ローマ1:3~4)

そして、キリストが新しい命に復活にしたことは、彼を信じる全ての者も、彼と同じように、新しい命に生きるようになることを示すものだった。(ローマ6:1~11)

復活したイエスを救い主と信じなら、罪の赦しを受け、救われる

「イエスを信じるなら救われる」というメッセージは、福音の本質的な要素であり、使徒の働きの中で、十字架・復活と合わせて必ず語られる重要な要素である。十字架と復活によって、キリストが自分に何をしてくれたのかを理解した人は、最終的に、「イエスを救い主と信じます」という信仰によって、救いへ導かれるからだ。

パウロが、牢屋の看守に語った「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)というメッセージは、使徒の働きの中で登場する、最もシンプルな福音のメッセージだと言えるだろう。

また、信じた者は、その時点で、完全な罪の赦しが与えられ、神との関係が回復し、「神の子供」となる。これらの、信じる者に与えられる恵みや特権も、福音の重要な要素に含まれており、ローマ書1~8章などの箇所においては、その内容が明白に語られている。

さて、ここまでの説明を通して、本物の福音とは何かを明らかにしたが、ここで「異なる福音」の事例についても紹介しておきたい。エホバの証人というキリスト教系異端のグループにおいては、キリストの贖いの死と復活が信じられているが、一方で、多くの信者は新しい契約から除外されており、イエスを信じてもすぐに罪の赦しは得られないし、神の子供ともされない、と教えられている。残念ながら、このようなメッセージは、使徒たちが語った福音とは全く異なるものである。

天地の創造主がおられる

旧約聖書を知らない異邦人への伝道の際、パウロは、「創造主なる神」という視点を、積極的に福音に含めている。天地の創造主の存在は、ユダヤ人にとっては当たり前であったが、異邦人にとってはそうでは無かった事が、その理由だと考えられるだろう。

キリストの十字架の必要性を深く理解するためには、創世記1~3章の天地創造と人類の堕落が、歴史的事実であった事を知る必要がある。だから、その事を知らない異邦人への宣教においては、天地の創造主について語る事は重要だったのだ。

そして、進化論が主流として教えられている今日の世界や日本においても、創造主の存在を福音に含めることは、同じように重要だと言えるだろう。

キリストは全人類の審判者として定められた

創造主の存在と合わせて、異邦人伝道の際、ペテロやパウロが積極的に福音に含めているのが、「審判者としてのキリスト」の存在である。ユダヤ人伝道において、その点が触れられていないのは、世界を裁く審判者の存在が、彼らにとって常識的なことだったからだろう。

しかし、神の裁きを知らず、自分の願望や欲望のために生きている異邦人に対しては、審判者の存在を知らせる必要があったのだ。実際に、罪を裁く審判者を知ることは、罪の赦しの必要性を理解する上で、需要な要素だと言えるだろう。

福音は、救いと解放をもたらす神の力である

福音は、霊・魂・体の全てに救いをもたらす

福音は、単なる教えでは無い。それは、全ての信じる者に、実際的な救いと解放をもたらす神の力なのだ。

「私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。」(ローマ1:16)

聖書によれば、私たち人間の存在は、霊・魂・体、からできているが(第一テサロニケ5:23)、キリストの十字架に基づく福音は、これら全てに対して、救いと解放と癒やしをもたらす神の力である。その事を示しているのが、イザヤ53章4~5節のメシア預言である。

「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。5しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらしその打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。

ここで、「背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれた」は、霊の救いである罪の赦しを表し、「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし」は、魂の救いである平安を表し、「その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた」は、体の救いである癒やしを表している。

キリストの十字架によってもたらされる罪の赦しについては、すでに本記事で説明してきたので、ここでは魂と体の救いについて、紹介をしていきたい。

魂の救いー平安と解放

魂は、私たちの人格や思考が宿る領域だが、キリストの十字架は、私たちの魂から、恐れや不安、憤りや悲しみからの実際的な解放をもたらす。この点は、キリストが次のように語っている通りである。

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。29わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」(マタイ11:28~29)

以前、当サイトへ、ある異端のグループから抜け出てきたSさんから、問い合わせがあった。話を聞いてみると、すでに救いは得ているが、以前のグループの教えの影響で、神に対する過剰な恐れを感じ、聖書がまともに読めなくなっていた。

LINEのビデオ通話をしながら、当サイトのメンバーは、イザヤ53章の預言を示し、キリストの十字架に、Sさんの心を解放する約束が含まれていること、神がSさんの心を、その恐れから解放したいと願っていることを示し、祈りを通して、神の臨在を招いた。そして、聖霊がSさんの心を満たし、平安で満たしてくれるように祈った。キリストは、その一度のセッションを通し、Sさんに大きな平安と、恐れからの解放を与えられた。ハレルヤ!

体の救いー癒やし

マタイは、その福音書の8章において、キリストが行ったあらゆる病の癒やしの奇跡が、キリストの十字架の贖いに基づいていることを説明している。つまり、キリストは、ムチで打たれた傷を通して、私たちの病を身に負い、贖ってくれたのだ。

「夕方になると、人々は悪霊につかれた人を、大勢みもとに連れて来た。イエスはことばをもって悪霊どもを追い出し、病気の人々をみな癒やされた。17これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。『彼は私たちのわずらいを担い、私たちの病を負った。』」(マタイ8:16~17)

医師であったリリアン・B・ヨーマンズ博士は、「信仰の家」と呼ぶ自分の家に、医者から見放されたあらゆる末期の病を持った患者を連れてた。そして、患者たちに、次のような言葉を告白し続けるように指導した。

「申命記28:22によれば、肺病や結核は律法の呪いです。しかし、ガラテア3:13によれば、キリストは私を律法のその呪いからあがなって下さいました。ですから、キリストは私を結核からあがなって下さいました」

キリストの十字架の力を信じ、このような告白を繰り返し患者に行わせることによって、信仰の家に来たほとんどの患者は、病から癒やされて帰っていった!

「信仰の家の奇跡」の証の記事

このように、福音は、信じる者に救いと解放と癒やしをもたらす、実際的な神の力なのだ。

結論―福音とは何か

最後に、福音について、本記事で明らかにしてきた内容をまとめたい。

まず、聖書全体を通して貫く福音、つまりその「喜ばしい知らせ」の内容とは、「神が、イエス・キリストによって、人類を罪と死の奴隷状態から永遠に救い出す」という約束のことである。だから、神による人類救済計画の要であるイエス・キリストを証しすることが、福音宣教の本質となるのだ。

そして、新しい契約の時代において、クリスチャンが語るべき福音の内容は、次のようなものとなる。

神は私たちを深く愛し、キリストの命を、罪の身代わりとして捧げて下さった。そして、キリストは墓に葬られ、三日後に復活することによって、罪と死に対する勝利を明らかにし、聖書で預言されていた神の約束を成就した。誰でも、キリストを救い主として信じるなら、罪を赦され、神との関係が回復され、永遠の命を持つようになる。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

また、聖書を知らない多くの日本人に、福音の意味をより理解してもらうためには、天地の創造主がいること、キリストが全人類の審判者でもあることも語ると良いだろう。

この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません。25また、何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから。・・・30神はそのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今はどこででも、すべての人に悔い改めを命じておられます。31         なぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです。」(使徒17:24~31)

なお、本記事では触れなかった点だが、キリストの贖いは、最終的には、人類の救済だけでなく、人類を含む万物全体の救済のためである。神はやがて、悪魔とアダムの罪によって堕落した万物全体を、キリストによって完全に回復させ、さらなる栄光へと引き上げるのだ。

「その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、10時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。」(エペソ1:9~10)

「また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。」(黙示録21:1)

補足事項

神の福音、キリストの福音、等の表現方法の違いについて

新約聖書の中で「福音」という言葉は、「神の福音」「神の国の福音」「キリストの福音」など、色々な言い方で表されているが、それらの違いは、文脈による強調点の違いや、単純な表現方法の違いであって、基本的にはどれも同じ福音を表している。(本記事ですでに述べた通り、福音の本質的な定義は、どの時代でも変わらないからだ)

例えば、マルコ1章で用いられている「神の福音」という表現は、新契約の時代に書かれたローマ1章においても用いられている。

「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。」(マルコ1:14)

「キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選び出され、使徒として召されたパウロから。」(ローマ1:1)

また、「御国の福音」という表現は、福音書の時代だけでなく、終わりの時代の預言にも適用されている。

「それからイエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒やされた。」(マタイ9:35)

御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。」(マタイ24:1)

したがって、「福音」という表現がある時に、その福音の内容が何を意味しているのかは、その言葉が、福音書の時代に語られたのか、あるいは新契約の時代に語られたのか、という時間軸の視点に立って判断するのが良いだろう。

参考聖句

『使徒の働き』から、使徒たちが未信者に宣教した時に、はじめに何を語ったのかを知るために、以下の聖句を一通り確認している。

  • 使徒2章:ペテロのメッセージ
  • 使徒3章:ペテロのメッセージ
  • 使徒4章:サンヘドリンでのペテロとヨハネのメッセージ
  • 使徒8章:サマリアでのピリポの伝道
  • 使徒8章:エチオピアの宦官への伝道
  • 使徒9章:パウロの召命
  • 使徒9章:パウロの最初のユダヤ人伝道
  • 使徒10章:ペテロによるコルネリオへの伝道
  • 使徒14章:リカオニアでの異邦人への宣教
  • 使徒16章:牢屋の看守への宣教
  • 使徒17章:テサロニケでの伝道
  • 使徒17章:アテネでの説教
  • 使徒26章:アグリッパへの証言

脚注

[1] ただし、旧約聖書におけるヘブル語の「バーサル」は、一般的な意味での「良い知らせ」を表すのに多々用いられており、必ずしも新約聖書における「福音」を意味するわけでは無い。

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