18. 豚に真珠、聖なるものを犬に与えるな|山上の説教の解説

18. 豚に真珠、聖なるものを犬に与えるな|山上の説教の解説

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聖なるものを犬に与えるな、豚に真珠(マタイ7:6)

6 聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。

「豚に真珠」~日本でも一般的に用いられる有名なことわざだが、実はこの表現は、山上の垂訓のイエスの教えから取られている。豚に真珠の意味は、「値打ちがわからない者には、どんなに価値のあるものを与えても意味がなく、むだである」というものだが、ここでのイエス・キリストの教えの本質も、それと同じような意味となる。

ヘブル的対句法

「聖なるものを犬に与えてはいけません」「また豚の前に、真珠を投げてはなりません」
イエスによるこの二つの命令は、同じことを、異なる表現を用いて繰り返し語るヘブル的対句法の一種だと考えられる。つまり、「聖なるもの、真珠」と、「犬、豚」は、どちらも同じものを意味していると解釈するのが自然だ。

では次に、聖書的な視点において、これらの言葉にどんな意味があるのだろうか?

「聖なるもの、真珠」の意味とは

真珠は、古代から高価な宝石として扱われているが(ヨブ28:18)、聖書の中では、神の御国を表すのに用いられる場合もある。例えば、イエスは以下に引用する喩え話の中で、神の御国の比類なき価値を表現するために、全財産を売り払って高価な真珠を買う商人を引き合いに出した。

「44 天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。45 また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。46 すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。」(マタイ13:44-46)

また、聖書の神は聖なる神であり、その御国に属する全てのものも聖なるものだ。つまり、「聖なるもの・真珠」とは、天の御国に属する教え(福音)や祝福などを包括的に表すものと考えることができるだろう。

「犬、豚」とは

犬や豚は、モーセの律法下では汚れた動物とされていた(レビ11:27)。そのため、律法の元で生きるユダヤ人にとっては、汚れを意味する印象の良く無い動物たちであり、聖書の中で登場する時も、ほとんどの場合、マイナスなイメージで描かれる。

そして「犬や豚」が人を表すのに用いられる場合、それは神の義の道を捨てて、道徳的に汚れた状態にある人たちを意味するものとなる。(箴言26:11、黙示録22:15)

「21 義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとってよかったのです。22 彼らに起こったことは、「犬は自分の吐いた物に戻る。」とか、「豚は身を洗って、またどろの中にころがる。」とかいう、ことわざどおりです。」(第二ペテロ2:21-22)

つまり、イエスがこの教えの中で言及した「犬や豚」は、神の御国の教えの価値を理解せず、それを退け、汚れた生活を送っているような人々のことを表しているのだ。

「豚に真珠」の真意と適用

「3:9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(第二ペテロ3:9)

神は全ての人を愛し、福音よって救いへと導きたいと願っている。そのため、高価な真珠よりも遥かに勝る価値を持つ神の御国の教えは、多くの人々と分かち合うべきものだ。

しかし、たとえその教えを分かち合ったとしても、神の御国・福音の価値を理解できず、それを退ける人が多くいるのも現実だ。また、一度神を信じるようになっても、後になってその教えを退けるようになり、再び元の汚れた生活を送るようになる人々もいる。

このような人々に対しては、それ以上神の教えを語ることは無意味だから止めておくように、聖なるものを価値のわからない人々と分かち合わないように、というのが、ここでのイエスの教えの意図となる。

そのような時間があるならば、むしろ価値のわかる人々のところへ出向いて福音を分かち合う方が、遥かに懸命な選択となるだろう。

「12 その家にはいるときには、平安を祈るあいさつをしなさい。13 その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。14 もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。15 まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。」(マタイ10:12-15)

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