世界一のベストセラー聖書が教える!真の自由をもたらす七つの真実

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世界にはたくさんの本がありますが、大抵の本は、時の経過と共に、人々の記憶から忘れ去られていきます。一方で、本の内容に、どの時代にも通用できるような普遍的な価値が見出される場合は、時代や人種を越えて、無数の人々に読まれていくものです。

では、これまで世界に存在してきた本の中で、最も多くの人々に、その比類の無い価値を認められてきたベストセラーとはなんでしょうか?それは間違いなく「聖書」(The Bible)です

聖書は、約3500年前から執筆され始め、およそ2000年前に書き終えられた、非常に古い古代文書ですが、これまでに頒布された合計数の推測は、およそ4000億近くにも上り、今でも毎年世界のベストセラーとなっています。

翻訳言語数も世界最多の2798言語であり、世界中のほとんどの民族が、読むことができるようになっています。

top10 Most read books in the world

過去50年間での頒布数も世界第一位で、39億にも上る

今回の記事では、聖書が私たちに語りかけている、最も大切な「七つの真実」をご紹介しますが、その前にお伝えしておくべき大切な点があります。それは、「偏見」を捨て、「誠実な思い」で読む、ということです。

なぜなら、この記事の中には、あなたにとって信じられないようなことや、受け入れられないようなことが、多く含まれているかもしれないからです。それでも、偏見を捨てて、まっさらな気持ちでお読み頂ければ、きっと真実が見えてくるでしょう。

そして、冒頭でもお話をした通り、聖書は史上最大のベストセラーであり、その比類なき価値を、時代や民族を越えて、最も多くの人々に認められてきた本です。つまり、そこに見いだされる価値は、偽りではなく、本物である、ということです。

そこで、たとえすぐに信じることができないとしても、「もしこれらの内容が真実だとしたら、それは自分の人生にとって何を意味するのだろう?」と考えながら、お読みいただければ幸いです。

目次

1)全てのものは、創造者である神によって造られました。

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神は、全てのものを造られた創造者です。

「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)

聖書の最初の言葉は、万物の創造者としての神の宣言から始まります。私たち人間を含めるあらゆる生命や地球、宇宙やそこにある星々は、全て創造者である神の作品なのです。

日本では、学校や社会で進化論が常識とされているため、この考えに違和感を覚える方も少なくありません。しかし実際のところ、進化論はあくまで仮説であって、科学的に証明された説ではないのです。

神による創造説に、どんな根拠があるのか?

地球上に存在する最も単純な生物(バクテリアのような)でも、それが偶然に発生することは、宇宙規模においてもあり得ません。なぜならその確率は、ゴミ山の上を竜巻が通過した後に、飛行機が完成するのと同じくらいだからです。そして、近年の科学の発展によって、その事実に気付くようになる科学者も、決して少なくはありません。

全ての生命の構造は、あまりにも複雑・かつ精密にできており、その事実は、生命の完成の背後に、創造者が実在することを雄弁に物語っているのです。

宇宙についてはどうでしょうか?
万有引力の法則の発見で有名な科学者、アイザック・ニュートンは、彼の著書の中で、このように答えています。

「太陽、惑星、彗星から成る極めて美しい天体系は、知性を有する強力な実在者の意図と統御があって、初めて存在するようになったとしか言いようがない。・・・・至上の神は、永遠、無窮、全く完全なかたであられる。」

参考記事:進化論の限界~生命は創造されたのか?

2)神はあなたの父親であり、あなたを深く愛しています。

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神は愛情深い父親です。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4

聖書は、創造者である神が、全ての人間にとって、愛情深い父親のような存在であることを、繰り返し語りかけています。自然界には、私たちの命を支え、楽しませてくれるものがたくさんありますが、それは愛情深い神が、私たちのために備えてくれているものなのです。

神は永遠の幸せを願ってあなたを創造しました。

主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画は・・平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」(エレミヤ29:11

私たち人間は、神の子どもとして、父親との愛に満ちた交流を通して、永遠に幸せに生きるように創造されました。

しかし、私たちの生きているこの世界は、苦しみや死で満ちています。なぜそうなったのでしょうか?

参考記事:創造から始まる本当の人類史

3)罪によって生じた神との深い断裂

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人間に与えられた自由意志

神は人間を、決められたプログラムによって神に従うロボットのような存在ではなく、自らの意志で神を愛することができる「自由意志」を持つものとして創造しました。

そして、最初の人間夫婦を楽園に置いた時、園の中央にある「善悪の知識の木」からだけは、取って食べないようにと警告しました。その理由は、それから取って食べると、二人が死んでしまうからでした。(創世記2:16-17)

こうして二人には、自由意志によって神との約束を守り、永遠に生きることが期待されたのです。

アダムとエバの背きが意味したこと

それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。」(創世記3:6

残念ながら、アダムとエバは、神が禁じていた木の実をとって食べることにより、神に背きました。彼らは自由意志を誤用し、神を信頼して神と共に生きる道でなく、神から離れて自分勝手に生きる道を選んだのです。このように、神を信頼せず、自分勝手な道を生きることを、聖書では「罪」と言います。

罪の結果~神との断裂による苦しみと死

ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がった」(ローマ5:12

神に背いた結果、二人は罪を持つようになり、その罪は、神との間に深い断裂を生じさせるものとなりました。彼らはエデンの園を追い出され、神との自由な交流を持つことができなくなり、永遠の命を失い、苦しみを経験しながら死ぬ者となりました。さらに彼らの罪は、その全ての子孫にも受け継がれるようになったのです。

私たちは例外なく、自己中心性を抱えており、罪を全く犯さずに生きることができません。その理由は、受け継がれてきた罪にあるのです。

神との断裂 罪

神と人との間を深く断裂させている「罪」は、聖書の中では「負債」にたとえられる場合がありますが、その負債はあまりにも大きいため、誰一人自分の力でその問題を解決することはできません。

では、私たちに望みはないのでしょうか?

参考記事:罪による堕落

4)罪の身代わり~キリストの十字架

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罪のない人間が、罪人の身代わりとなる必要が生じました。

聖書では、「贖い」(あがない)という考えが存在します。この言葉には、「他の人の損失を肩代わりする」という意味があり、「身代金を払って奴隷を自由にする時」にも用いられた言葉です。

全ての人間は、罪によって払い切ることのできない負債を持つようになったため、その負債から解放されるためには、他の誰かが、罪の負債を肩代わりして死ぬ必要が生じました。

さらに、既に借金のある人が、誰かの借金を代わりに払うことができないのと同じように、同じ罪を持つ人間が、誰かの罪の身代わりとなることはできません。全ての人の罪の赦しのために、罪の無い人間が犠牲になる必要が生じたのです。

神は私たちを愛し、神の独り子・イエスを送りました。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16

神は、私たちを深く愛し、罪のない一人の人間「救い主」を地上に送り、彼に全ての人々の罪を負わせる計画を立てました。それは、彼を信じる全ての人が、完全に罪を赦されて、再び豊かな命を持つことができるようになるためです。

救い主の到来については、その誕生する場所、家系、到来時期、どんな生涯を送るかなどが、遠い昔から聖書の中で詳しく預言されていました。そしてそれらの預言は、イエス・キリストの生涯においてことごとく成就し[i]、彼こそが、神の計画における「救い主」であることが明らかになったのです。

キリストの十字架が、私たちの罪の身代わりとなりました。

人の子(イエス)が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためである」(マタイ20:28

イエス・キリストは、およそ33歳で、自ら十字架の死へと向かい、罪の無い命を捧げました。十字架刑は、壮絶な苦しみを伴う処刑法でしたが、イエスは自分の使命から逃げることなく、その試練を通ったのです。

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そして彼の死は、一人ではなく、全ての人間の罪を、完全に帳消しにするものとなりました。それは、イエスがただの人間ではなく、神の独り子だったからです。

こうして、独り子の命を捧げるほどの神の深い愛情が、全ての人に明らかにされたのです。

参考記事:罪の贖いと十字架の死

5)神はイエスを死者の中から復活させました。

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キリストの復活は、歴史的事実です。

「キリストは・・聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われた・・その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました」(第一コリント15:4-6

聖書の記録によれば、イエスは十字架の死から三日後に復活しました。キリストが本当に復活したかどうかについては、歴史的に議論され尽くしており、もはや復活を否定する根拠を提出できる人は誰もいません。

たとえば、イエスの復活に関する聖書の記録は、その高い信頼性が世界的に認められており、「歴史的資料が、その信頼性を認められるのに必要な、全ての事実を有している。[ii]」と評価されています。

また、英国最高裁の裁判官、エドワード・クラーク氏は、復活に関する証拠を調べた上で、次のようなコメントを残しています。

「私にとってこの証拠は決定的である。最高裁の裁判官として、これまで入念に証拠を調べ判決を下してきたが、これほどまでに圧倒的な証拠を今までに見たことが無い。・・証言者は信用できる人物であり、その人物像からも、証言内容の確かさが立証される」

復活は、十字架が私たちの罪の贖いとなったことを証明しました。

旧約聖書の預言によれば、救い主は、罪の贖いの達成を通して、復活することになっていました。ですから、イエスの復活は、彼の十字架の死が、確かに私たちの罪の身代わりとなったことを証明するものとなったのです。

復活は、イエスが確かに「神の子」であることを明らかにしました。

「御子は、・・死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた」(ローマ1:4

復活によって、救い主に関する全ての預言(100以上もの預言の数々)が、イエス・キリストに成就しました[iii]。こうして、死人をもよみがえらせる神の力と共に、イエスが「神の子」であることが明らかになりました。

イエスを信じる人も、同じように復活し、永遠の命を得ます。

わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ11:25

イエスは十字架の前に、二つの重要なことを、弟子たちに伝えていました。一つ目は「自分が殺された後、三日後に復活すること」、二つ目は「自分を信じる者も、同じように復活すること」です。

イエスが自ら復活し、死に対して勝利したことによって、「信じる者も同じように復活する」という約束の言葉が、確かに信頼できるものであることが証明されました。

参考記事:キリストの復活は事実か?

6)イエスは栄光の王として再び到来します。

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イエスは、二度に渡って到来することが預言されています。

聖書の預言によれば、救い主となる人物は、二度に渡って地上へ到来することになっています。最初の到来を「初臨」、二度目の到来を「再臨」と呼びます。

イエスは、約二千年前に地上に到来した時に、旧約聖書の初臨に関する預言を、全て成就しました。そしてその事実は、再臨に関する預言も、将来同じように成就することの保証となっています。

キリストの再臨は、栄光の王・裁き主としての到来となります。

再臨するキリストは、初臨の時のような普通の人間としてではなく、全世界を治める王・裁き主として、輝かしい栄光を帯びて到来することになります。その時キリストは、正しい人々と悪い人々を選り分け、地上に完全な正義をもたらし、世界の全ての問題を解決します。

その後、彼は全世界の王として地上を治め、その王国が永遠に地上を支配し、普遍的な平和を確立します。

聖書預言が示す、このような希望は、一見すると非現実的に思えるかもしれませんが、実際のところ、どんな人間の指導者や政府よりも信頼ができます。なぜなら、創造者である神は偽ることがなく、約束を果たす意志と力を持っていることを、歴史を通して証明してきたからです。

参考記事:キリストの再臨・千年王国

7)イエスを信じる全ての人に、永遠の命が約束されています。

救いと永遠の命

かつて罪を犯す前、人間は永遠の命を持っており、神と人との間を隔てるものは何もありませんでした。ところが人間は、罪によって神から離れ、永遠の命を失いました。

ですから、罪が赦されて、神との断裂が無くなり、再び永遠の命を持つようになること、これが、聖書が教える「救い」です。

救われるために必要なこと~イエス・キリストを信じる

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子供とされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12

イエスが罪のために死んでくれたことによって、全ての人に、罪からの解放の道が備えられました。そして神は、イエスを死人の中から復活させることにより、彼が救い主であることを示しました。

もしもあなたが、次の三つのことを心から信じ、受け入れるなら、あなたは救われます。

1)救い主の必要を認める(罪人であることを認める)、
2)キリストの十字架が、自分の罪の身代わりであったことを信じる
3)イエス・キリストを「救い主」「人生の導き手」としてお迎えする

救われて新しい人生を歩むために

「主の御名を呼び求める者は、誰でも救われるのです。」(ローマ10:13

本記事で、これまでにお話した内容を踏まえた上で、イエス・キリストを信じたいという気持ちをお持ちになりましたら、どうぞ以下のリンク先のページをお読み下さい。

> イエス・キリストを信じて、クリスチャンとして歩むためのステップ

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【脚注】

[i] 歴史上の特定の人物に、聖書の中の八つの預言が偶然に成就する確率は、十京分の一(10の17乗)という、途方も無い数字になります。この確率を計算した専門家は、この件について以下のようなコメントを残しています。

「もしそれだけの数のドル銀貨を敷き詰めるなら,テキサス州全体(69万平方㌔ 日本の2倍)が覆われ,その高さは60㌢に達するだろう。その1枚に印を付け,目隠しをした人に州全体を歩き回って銀貨を一つ拾い上げてもらうとしよう。印の付いた銀貨を拾い上げる確率はどれくらいだろうか。メシアに関するわずか八つの預言が歴史上のある人物に成就する確率は,それと同じである。」

[ii] ドイツの有名な歴史家、ハンス・フォン・カンペンハウゼン氏のコメントです。

[iii] 聖書の中の救い主に関する預言は、初臨に関するものと、再臨に関するものに分かれます。一世紀の地上生涯を通してイエスが成就したのは、「初臨」に関する全ての預言のことです。

 

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10件のフィードバック

  1. Honest より:

    こんにちは。イエス様はもう空中におられます。今は痛烈な天地振り分けの裁きの時です。現在既に裁きが出ています。マクロ精神分析に裁きを出しています。よかったらご高覧ください。

    http://blogs.yahoo.co.jp/honest_and_hawk/55615652.html
    ↑ヨハネの黙示録 20世紀~現代 解説

    http://macrospirit.seesaa.net/article/432830420.html
    ↑裁き マクロ精神分析

    http://synchronicity7.seesaa.net/article/433130959.html
    ↑神による歴史のプログラム シンクロニシティ-共時性-【概説】

    http://individualspirit.seesaa.net/
    ↑個体精神分析

    • true-ark より:

      終末論について、かなり混乱された理解を持っておられるようです。
      丁度今、ハーベストタイムミニストリーで、毎週ヨハネの黙示録の講解をやっておりますので、そちらをしっかりと視聴いただくことを強くお勧めします。

  2. Honest より:

    裁きは真と偽(善悪)の裁きです。内容は確実です。神はコンピューターと同様のシステム、コマンドで人を振り分けています。イエス様は真でありまた原理という事が明確に分かる内容となっています。救世主という言葉の実体でもありますが、否定する生き方も可能である故に全人類に「イエス様はあなたの救世主です」と押し付ける事はできないようです。ただ、真理であり原理でもある為、否定すれば裁かれて生き地獄の懲罰を受ける様になっています。神様・イエス様の勝利です。おめでとうございます。

    • true-ark より:

      終末論について、かなり混乱された理解を持っておられるようです。
      丁度今、ハーベストタイムミニストリーで、毎週ヨハネの黙示録の講解をやっておりますので、そちらをしっかりと視聴いただくことを強くお勧めします。

  3. 原田和志 より:

    興味があります

    • true-ark より:

      メール講座ご登録ありがとうございます。
      どうぞ、購読をお楽しみ下さいね!

  4. ZERO より:

    この作者がこの言葉を読むかどうかわからんけど、十字架出てくる時点で全てが
    ねじ曲がっています。
    この世界で真理を持っているのは、エホバ
    の証人だけです。
    人間は、至高者を愛するために生まれ、
    隣人を愛するために、命が与えられて
    生きる意味を持っています。
    イエスは、人間と神との仲介者であり
    彼の贖いの犠牲に信仰を働かせる事に
    よって、エホバの救いを認める時に人類
    は、救われます。
    この悪と苦しみに満ちたどうしようも無い人類社会は、必ず近いうちに終わると言う
    事を私は、嫌と言うほど知っています。
    最後に地獄は、存在しません
    人間の意識は、死んだら存在しない無意識
    です。
    誰でも、瞬時に復活して天に行けるわけでも無く限られた人達だけです。
    ただ神の記憶の中で、記念の墓から、出て
    来るか・来ないかだけです。

    • true-ark より:

      コメントいただきありがとうございます。
      「十字架」という表現は正しくなく、「杭」とすべきだったというご指摘だと察しますが、以下のようにお答えさせていただきます。
      新世界訳で「杭」、その他の多くの聖書で「十字架」と訳されるギリシャ語は、「クシュルン」「スタウロス」ですが、確かにこの言葉は単純な一本の杭を指す用語で、必ずしも十字架を意味しません。

      しかし、イエスを処刑した刑具の形が、実際にどのようなものであったかについては、「言語的な視点」と「歴史的背景」の双方を考慮しなければなりません。エホバの証人の方は、言語的な視点は抑えていますが、歴史的背景を抑えることができていません。

      当時のローマ帝国で磔に用いられていた刑具の形は4種類ありました。逆十字型、杭型、十字架、T字型、です。

      逆十字型、杭型に2種類は、主にローマ地方で用いられていたため、パレスチナで使用されたと考えることは困難です。十字架、T字型については、実際にパレスチナ地方で用いられていた痕跡が見あたっています。では、イエスが処刑されたのは、十字型とT字型、どちらだったのでしょうか?

      聖書には、木にかけられたイエスの頭上に、「ユダヤ人の王」と書いた罪状のプレートが付けられました。もしもT字型だったのであれば、頭上に掲げられることは不可能だったに違いありません。

      ですから、論理的な結論として、イエスを架けた木の形は、十字架であった可能性が最も高いと言えるでしょう。

      なお、以上のような歴史的な文脈だけでなく、幻や神の顕現を通して、十字架を示されたクリスチャンもたくさんいます。以下の動画は、おそらく見たことが無いと思いますので、参考までに是非ご覧になってみて下さい。
      http://true-ark.com/lifestory-john-ramirez/

      ■誰が天に行くかについて
      エホバの証人の方は「天に行くのは144000人だけ。それ以外は神の子供になっていないので天には行けない」と理解されていると思います。
      ガラテア3:26にはこうあります。「3:26 あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。3:27 バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」
      ここでパウロは、バプテスマを受けることは「キリストを身に着る」ことを意味するのであって、それは神の子供になっている証拠だと説明しています。エホバの証人の方が、バプテスマを受けていても、神の子供となっていないと主張される場合、では一体「誰の名によって」バプテスマを受けたのか?という疑問が生じます。ローマ6章もご参考になさって下さい。バプテスマを受けながら、キリストと結ばれていない人は、一人もいないとパウロは説明しています。ローマ8章によれば、人類は聖霊に導かれ神と和解した神の子供か、神と敵対し聖霊に導かれない肉の子供か、のどちらかのグループしかありません。そこで質問ですが、あなたはどちらのグループに属していますか?聖霊に導かれながら、神の子供となっていない第3のグループは聖書に登場しません。私がこのように言うのは、あなたが真理を知り、神の子供の自由を味わっていただきたいからです。

      ■地獄の存在について
      地獄を否定するのは、エホバの証人だけではありませんが、よく引き合いに出される聖句として、以下が挙げられます。「9:5 生きている者は自分が死ぬことを知っているが、死んだ者は何も知らない。彼らにはもはや何の報いもなく、彼らの呼び名も忘れられる。 9:6 彼らの愛も憎しみも、ねたみもすでに消えうせ、日の下で行なわれるすべての事において、彼らには、もはや永遠に受ける分はない。」(コヘレトの言葉9章)
      もしも、この言葉を普遍的な真理として信じるのであれば、「彼らの呼び名も忘れられる。・・日の下で行なわれるすべての事において、彼らには、もはや永遠に受ける分はない。」という続く言葉も真理として受け取らなければなりません。つまり復活は無い、ということです。

      しかし、聖書は明らかに死者の復活を教えています。ですから、コヘレトの言葉のこの箇所は、普遍的真理として受け取るべきではないのです。コヘレトの言葉は、おそらくソロモンが神なしの人生を探求した時に考えた事柄をまとめたものであって、そこには真理も含まれていますが、人間の哲学も混じっており、その言葉の普遍性はイエスの言葉によって吟味されるべきです。

      死後の世界を最も正確に描写しているのは、ルカ16章です。
      エホバの証人は「死後の意識や地獄はない」という神学的理解を前提にこの箇所を読むので、この話が実話だとは解釈せず、「喩え話」だと説明します。しかし、この説明には、大きな落とし穴があります。

      第一に、イエスの喩え話では、基本的に実名は登場しません。しかし、金持ちとラザロの話では、三人の登場人物の内、二人の実名が登場します(ラザロとアブラハム)。この事実は、この話しが実話であることを示しています。

      第二に、仮にこの話が喩え話だと説明する場合においても、結果的に、死後の意識と地獄の実在を肯定することになってしまいますが、その理由は次の通りです。
      イエスの喩え話では、語ろうとする真理を、聞き手にわかりやすく理解させるために、日常で実際に起こる出来事を引き合いに出します。なぜなら、もしもその逆に、非日常的な出来事を引き合いに出すなら、かえって聞き手にわかりづらくなってしまうので、喩え話の意味をなさなくなるのです。
      ですから、仮に金持ちとラザロの話が喩え話だとすると、引き合い出された死後の世界は、実在の身近な出来事だと理解しなければならないのです。(そうでなければ意味がないからです。)次の点を考えてみて下さい。
      1:この喩え話において、イエスが語ろうした霊的真理とは何か?
      2:この喩え話において、霊的真理を教えるために引き合いに出した身近な物事とは何か?

      現に、当時のユダヤ教では、死後の意識や魂のおしえは、とても一般的なものでした。もしも、霊魂不滅のラビたちの教えが、真理でなかったのなら、イエスは真っ先にその教えを否定したことでしょう。しかし、福音書のどこを読んでも、イエスが指摘するのは安息日や他の口伝律法の教えのことであって、死後の世界を否定する言葉はほとんどありません。むしろ、ルカ16章に代表されるように、イエスは多くの言葉をもって、死後の意識を肯定されました。

      以上の点を踏まえて、是非聖書を読み直してみて下さいね。

      おそらく、これまでに一般のキリスト教徒の経験をお調べになったことは無いかと存じます。キリスト教徒に関して耳にされてきた全ての情報は、エホバの証人の組織から提供される「悪い評判のみ」だったに違いありません。

      しかし、それらの情報だけを元に真理が何かを判断することは、原告の声だけに耳を傾けて判決を下す裁判官のようであり、平衡の取れた見方をするためには、被告の意見にも耳を傾けなければなりません。

      是非、この返信のコメント、および紹介した動画の内容に対して、お返事をいただければ幸いです。私たちの神は、誠実を愛されるお方であり、唯一の神の証人たる者は、同じように誠実でなければなりません。どうぞ、このテーマについて、誠実に向き合って頂ければ幸いです。

  1. 2016-10-02

    […] 0 […]

  2. 2016-10-13

    […] ・聖書が教える!真の自由をもたらす七つの真実 聖書が私たちに明らかにしている七つの重要な真実をまとめて解説 […]

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