ダーウィンが知り得なかったこと~生命の情報が示す進化と創造の答え
--------------------
本記事は、以下のソースからの転載となります。
なお、転載にあたっては、著者と版元の許可を得ています。
・著作のタイトル:『Was Darwin noch nicht wissen konnte』(ドイツ語)
・版元:DIE BRUDERHAND e.V.
・著者のホームページ:www.wernergitt.de
・日本語翻訳:クリエーション・リサーチ・ジャパン(CRJ)
HP:www.sozoron.org
--------------------
ウェルナー・ギット博士は、ドイツ最高峰の科学技術の研究機関であるドイツ連邦物理学・科学技術研究所において、教授兼所長を務めていた経歴を持つ一流の科学者である。今回は、博士の著作『ダーウィンが知り得なかったこと』の全文を、以下に紹介する。
++++++++++++++
2008年12月31日、「ダーウィンイヤー」と祝われる2009年を目前にして、ドイツ新聞社「Die Zeit」は進化論をテーマに「ありがとうダーウィン!」と題した4ページの特集記事を掲載しました。それは、今から200年前に誕生し、150年前に『種の起源』という革命的な本を著した一人の人、すなわちダーウィンに経緯を表して捧げられたものでした。
哲学者イマヌエル・カント(1724~1804)は「我に物質を与えよ、さすれば我はそれから世界を造り出してみせよう!」と誇らしげに語っています。またフランスの数学者・天文学者ラプラス(1749~1827)は宇宙とその起源について広く書き記しましたが、ナポレオンから「何故、創造主について言及しないのか?」と問われた時、彼が「私には、そのような仮説に立つ必要は無い」と答えたことは有名です。彼らのような科学的無神論のパイオニアたちによって、創造主を抜きにして世界の始まりを說明する試みが始められていたのでした。その彼らの助け舟として現れたのが、ダーウィンでした。ダーウィンは、「生物がどのようにして“自然の過程”のみで生じたのか」を考えるための道しるべを提供したのです。
ダーウィン自身は、彼の説が世界にどのような影響を及ぼすかについて、ある程度気付いており、恐れていたのかもしれません。しかし、「神はいない、創造主はいない」と叫ぶ今日の世界において、ダーウィンは聖人化され、絶え間ない賛美と喝采をもって報道されています。
ダーウィン以前は、ギリシャの哲学者アリストテレスの教えである「種は固定されていて変化しない」という考えが、学者間の思想の主流でした。ところがダーウィンは、1835年にガラパゴス諸島を旅し、そこに住むフィンチのくちばしの形が環境によって変化している様子を観察し、「種は変化し適用し得る」という結論を出したのでした。その結論は正しかったのですが、彼がもう一歩踏み込んで出した結論、すなわち「全ての種はただ一つの共通する祖先に由来する」という考えは、科学的検証に耐えられるものではありませんでした。
ダーウィン自身も自説の最大の弱点に気付いていました。もし彼の説が正しいのであれば、ある種から別の種へ移行途中の、中間の形をした生物の化石が大量に発見されなければなりません。しかし現実には、そのような化石は全くと言ってよいほど見つからなかったのです。にもかかわらず、ダーウィン以降、人間は自分たちが「ただの動物の一種として成り上がってきたものに過ぎない」という進化論的立場をこぞって受け入れ、「創造主なる神の形に似せて造られた」という人間だけに与えられた聖書的な特別な地位を放棄してしまいました。
進化を実現させるには
今日、突然変異、自然選択、隔離、長い時間、偶然と必然、そして死が進化を促進させる要因として挙げられています。しかし、仮にそれらの全てが都合よく起こったとしても、有益な新しい情報を生み出すことはありません。
突然変異は、既に存在する遺伝情報を変えることしかできません。つまり、既に存在するDNA情報システムがなければ、突然変異による進化は始まることすらできない。また、突然変異は、その定義からして偶然の無作為な作用であって、何か意図的にある目的に向かうよう方向付けられたものではありません。ですから、理論上、突然変異では新しい機能を持つシステム(例えば新しい臓器)を作り出すことはできないのです。
自然選択は、生存に適した生物に有利に働く仕組みであり、その遺伝情報が子孫により広く伝わるようにするものです。しかし、この過程は既に存在する遺伝情報を仕分けしたり、選択したりするだけで、情報を改良したり、新しい情報を付加したりすることはできません。
先に列挙したそれ以外の要因も、突然変異は自然選択と同様、新しい情報を生み出す機能は持っていません。
では、実際の生物のいくつかの例を見て、進化という無目的な方法で、以下のような高度な生物の機能を生み出せたかどうか確かめてみましょう。
有性生殖
進化論によると、高度な生物が発達するためには、性が「発明」されることが極めて重要で、不可欠なこととされています。有性生殖では遺伝子の新しい組み合わせが繰り返し行われることで、そのたびに多様な組み合わせが生み出され、自然選択の過程はその中で環境に最も適した組み合わせを選び出し繁殖させるからです。しかし、この過程がより複雑な方向へと生物を進化させる仕組みであるとはいえません。それは、二つの理由によります。
1:有性生殖自体が、両性が既に機能的に完全な生殖器官を持っていた場合にのみ可能なことであり、進化の過程によって偶然生じる事は決してないからです。定義上、進化には目標志向の戦略や計画はありません。計画なしに、数千年にも及ぶ世代の緩やかな進化という過程で、どうしてそのような器官が発生出来るでしょうか?しかも、雄と雌がそれぞれ別の、しかもぴったりと働く生殖器官を持つようにならなければ意味が無い上、それが細部にわたって完全でなければならず、それを雄と雌が同時に獲得しなければならないのです。そんなことはまず起こりえません。
2:あり得ないことですが、仮に有性生殖機能が何らかの奇跡的な方法で自然発生したとしても、有性生殖による遺伝情報の混合と再結合は、本質的に新しい情報を生み出すことは出来ません。植物や動物の育種家(ブリーダー)たちが苦労して数え切れないほど何度も繰り返し交配を行った結果として教えてくれることは、牛の子はいつまでも牛であること、また小麦は決してひまわりにはならない、ということです。いわゆる「小進化」は、種類内での変異と呼ぶべきものですが、実際に身近に観察することができます。しかし、ある種類の生き物がまったく異なる種類の生き物へと進化するという「大進化」は、未だかつて観察されたことはありません。
赤血球という技術革命
私たちの血液の1立法ミリメートル(1マイクロリットル)に、約500万個の赤血球が含まれています。この赤血球は特化した専門的な機能を持っており、生命の維持に不可欠な重要な役割を果たしています。
- 赤血球の寿命は120日であるが、その間17,500回も肺を通過し、酸素の供給を受け、同時に二酸化炭素を肺まで運び、排出しています。
- 赤血球は、その極小サイズのおかげで、体の先端の、極めて細い毛細血管の中を通り抜けることもできます。
- 私たちの身体では、この赤血球が一秒毎に約200万個も新しく作り出されていて、その一つ一つが、驚くほど複雑な化合物であるヘモグロビンを含んでいます。
ヘモグロビンは、発達中の胚に酸素を運ぶのにも利用されていますが、胚の段階と妊娠約9週以降の胎児では酸素の必要は大きく異なっており、それはまた誕生後とも異なってきます。つまり、胚、胎児、生後の三段階において、それぞれ化学的に異なる構造をしたヘモグロビンを必要とするのです。そして、誕生の直前には、胎児の体内の化学工場では、成人ヘモグロビンが大量に生成されるよう切り替わります。
このような3タイプのヘモグロビンが、進化の過程で試行錯誤を繰り返しながら自然発生するということはあり得ません。なぜなら、ヘモグロビンの構造が少しでも異なった形をしていれば、酸素を十分に運ぶことができずに生命を落としてしまうことになるからです。もし仮に二つの段階で必要となる正しい構造のヘモグロビンが偶然に出来上がったとしても、三つ目の構造を生成する遺伝情報が最初から存在していなければ、やはり死に至る結果となります。人が受精卵から誕生に至るまでの発達において、三段階それぞれに必要な分子を生成するためには、全く異なる化学合成機構を持ち合わせている必要があるのです。その上、各合成機構はそれぞれ正しいタイミングで作動したり停止したりしなければなりません。このような複雑な仕組みは、一体どこから来たのでしょうか?
進化論に基づく諸説では、どれ一つとして満足な答えをすることができません。進化論では生物が次の生物へと進化している途中段階の生物が存在しなければならないのですが、そのような中間形の生物は生きることができません。ヘモグロビンの合成機構は、全て最初から完全な状態で備わっている必要があるのです。
これは「還元不可能な複雑性(Irreducible Complexity)」というコンセプトで、免疫機能にも当てはまるし、バクテリアが動き回るのに必要な鞭毛にも当てはまります。いずれの場合においても、機能が未完成の「途中の段階」にある生物は生き延びることができません。よって、それらの構造は最初から完成した形で存在した、と考える方がより事実に即した説明であると言えます。そして、最初から完成した形で存在するということは、知性ある創造主がそれを最初から完全に機能するよう設計し、創造した、ということを指し示しているのです。
ムナグロチドリの飛行
ムナグロという美しい渡り鳥は、アラスカで生まれます。しかし冬になると、極寒のアラスカを避けて、4,500キロメートル離れたハワイへと渡ります。ムナグロは泳ぐことができない上、アラスカとハワイの間には羽を休ませる島もないので、その広大な距離をノンストップで飛び続けなければなりません。この壮大な旅のために、ムナグロは飛行に必要な燃料タンクを満タンにするために意図的に過食し、自分の体に70グラムの脂肪を蓄えます。その内の6.8グラムは向かい風に備えて計算された予備燃料であることも分かっています。
休憩なしで三日半の間、昼も夜も飛び続け、生きて目的地に到達するには、このように正確に計算された量の脂肪を蓄えておくことが不可欠なのです。また、並外れて正確な方向探知能力が必要です。さもなければ、ハワイ諸島に辿り着くことができず死んでしまいます。燃料切れとなっても、辺りに不時着できるような島などないからです。
ここでも、突然変異と自然選択は、このような精巧な仕組みを獲得し得ないことが見て取れます。ムナグロは、このような能力を持つようあらかじめ設定されて創造されていた、と考える方が論理的ではないでしょうか?
進化論は正しいパラダイムなのか?
上記に軽く挙げた以外にも、生物の世界を見れば、高度に発達した合目的的な機能を持つ例が山のようにあります。
- マッコウクジラは、ほ乳類に分類されていますが、三千メートルもの深海に潜水することができ、そこから急速に水面に上がることができます。他のほ乳類が同様のことをすれば潜水病で死んでしまうところですが、マッコウクジラにとっては全く問題ではありません。
- 人間の腸に住む腸内細菌の多くは小型電気モーターと呼ぶべき機能を備えており、それを使って自由自在に前進後退できます。
- 多くの場合、生命は、それぞれに備えられた諸器官(心臓、肝臓、腎臓等)の完全な機能に依存しています。
未完成の臓器は役に立ちません。ダーウィンの進化論の枠組みで考える人たちは、進化とは、ある特定の目的や完成形というゴールを目指すような指向性を持たない、無作為でランダムなものであることを知っています。ドイツの進化論生物学者ギュンター・オシェ(1926~2009)はそのことを的確に表現して、次のように述べています。「企業とは違って、進化の途中段階を通過中の生物は『準備中』の札を下げて休業し、改築することはできません。」
つまり、「未完成」の段階であっても生物として生き続けられるように「完成」していなければならない、ということは、「未完成」の生物は実際には存在しないということを言っているのです。
生物の仕組みを知れば知るほど、そこには圧倒的な知性の表れが見て取れます。ですから、知性ある創造主が存在するという結論に至るのは至極もっともなことなのです。それはまた、聖書の冒頭の言葉で「初めに、神(創造主)が天と地を創造した」と記していることを裏付けています。
ダーウィンの進化論の影響を受けた神学者や高等批評家たちは、聖書の創造の記述を神(創造主)からの誤りなき啓示として文字通り受け取る立場を否定しました。一時はそのような批評家の考え方が盛んになったこともありましたが、私たちには「預言者たちが書いていることを全部信じています」(使徒24:14)と告白することの方が大切です。なぜなら「神(創造主)は人間ではなく、偽りを言うことがない」(民数記23:19)からです。
情報はどこから来るのか
科学の最強の論拠は、科学法則に従ってある過程や出来事が起こり得ないことを証明できることにあります。科学の法則は例外を許しません。エネルギーを供給しなくても運動を続ける永久運動機関なるものは存在しない、と言えるのはそのためです。(訳者注:エネルギー保存の法則より)
今日、私たちはダーウィンが知り得なかったことを知っています。それは、全生物の細胞には想像を絶する量の方法が保存されていて、それらの情報が実にコンパクトな形で保存されている(知られている中で最も密度が高い)ということです。全ての臓器の発達や、生物の体内に見られるあらゆる機能と過程は、これらの情報によって制御され、私たちの体の材料である全ての物質(例えば5万種類以上のタンパク質)の生成も、これらの情報によって正確に行われます。
進化論という考え方が現実味を持つためには、物質の性質の中に、偶然の過程で情報が生成されている可能性があるかどうかにかかっています。これは絶対不可欠なことです。なぜなら、各細胞に見られる全ての複雑な過程と、各生物の身体のあらゆる成り立ちは、情報に統制されて行われているからです。
情報は物質ではない。ゆえに物質の性質を持たない
しかし、科学法則は、「非物質な存在である情報を物質が生み出すことは不可能である」と言います。また「情報は知性と意思を持つ発信者によってのみ生み出されるものである」とも言います。ですから、進化論が可能であると考えることは、永久運動機関が可能であると考えることに等しいのです。これが、ダーウィンの進化論のアキレス腱なのです。この時点で、進化論とは、科学法則を否定しない限り成り立たない説であることが明らかになります。これらのことは、私の著書『初めに情報ありき 情報―自然と科学を理解する鍵』にて詳しく説明しています。
生命はどこから来たのだろうか?
今日、進化論を推進する学者で、生命がどこから来たかという質問に適切に答えれる人は一人もいません。生命を持たない物質がどのようにして生命を持つようになったかについて、進化論者は答えを持っていません。
生化学者スタンレー・ミラー(1930~2007)が、1953年に行った「原始スープ」の実験は、あらゆる生物学の教科書に登場しています。しかし彼自身は、進化論に基づいた生命の起源に関するいずれの仮説も科学の検証に耐えられるものではないことを、その実験から40年後に認めています。そして、これまでの進化論に基づいた試みを「無意味」な「紙面上の科学」だと表現しています。
一方、微生物学者のルイ・パスツール(1822~1895)は微生物レベルで科学的な検証を行い、「生命は生命からしか生まれない」という今日でいう生命遺伝学の基本法則を確立しました。
イエス・キリストは、「わたしがいのちなのです」(ヨハネ14:6)とご自身を指して言われました。また「万物は御子(イエス)にあって造られた・・・天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、・・すべて御子(イエス)によって造られたのです。」(コロサイ1:16)「すべてのものは、この方(イエス)によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つのない」(ヨハネ1:3)とあります。
聖書は、イエス・キリストがこの宇宙、そして生命の源であると証言しています。生命の起源に関して、イエス・キリストが創造者であるということを無視した仮説を立てるなら、それは最初から真理へと辿り着く可能性を放棄していることになります。
進化論は、世界の歴史上もっとも偉大な過ちといってもよいでしょう。進化論は、何億人もの人々を創造主を否む不信仰へ追いやりました。不幸なことに、今日多くの人々はそのような不信仰が、死後、永遠の滅び(地獄)というどん底に至る、ということを知らされないでいます。真の悲劇は、今日の世界が万物の創造者であるイエス・キリストに感謝と敬意を捧げることを忘れていることにあります。ジャーナリストは「ダーウィンありがとう!」と言う代わりに「イエス・キリストありがとう!」と伝えるべきなのです。
また多くの人は、イエス・キリストが私たちに偉大な贈り物を用意しておられることを知らずにいます。イエス・キリストは、「わたしは門である」(ヨハネ10:9)と言われました。それは、天国への門という意味です。誰でも創造主であり救い主であるイエス・キリストに立ち返れば、天国に入り、永遠のいのちを得ることができます。これを読んで下さったあなたも、イエス・キリストにより頼んで、天国に至る永遠の命という贈り物を受け取っていただきたいと、私は心から願っています。
ヴェルナー・ギット 工学博士
元ドイツ連邦物理学・科学技術研究所教授兼所長
【最近のコメント】