創造論のアダムとイブ、猿からの進化論、どちらが人類誕生の真実か?


創造論のアダムとイブ、猿からの進化論、どちらが人類誕生の真実か?

最初の人類―アダムとイブ(エバ)の創造、エデンの園の伝説は、誰もが一度は耳にしたことのある有名な話だ。このアダムとエバの伝説は、ほとんどの日本人から単なる神話と見做されているが、その最大の理由は幼い時から進化論を科学的真理として教えられているからだ。つまり、進化論は科学的事実だが、アダムとイブの伝説は非科学的な神話だと考えられているのだ。(「イブ」と「エバ」は訳し方の違いであり、どちらの同じ女性を意味する)

ところが、世界的な規模で見れば、アダムとエバの伝説を科学と調和した真実だと見做している人も少なくはない。例えば、キリスト教とイスラム教人口を合わせると、世界人口の過半数にもなるが、これらの宗教ではアダムとエバの伝説は神話ではなく歴史的事実として信じられている。また、世界の著名な科学者の中でも、神による創造説(創造論)を科学的事実として認める人は多い。

「進化論かと創造論か」「猿からの進化か、アダムとイブか」―どちらの説を信じるかは、私たちがなぜ生まれ、何のために生き、どこへ向かっているのかを理解する上で、極めて重要な問題だ。そこで今回の記事では、この問題の答えを理解するための十分な証拠を提出していきたい。そして、どちらの説が科学的・論理的に矛盾のない説なのかを、ご自身の目で確かめてみることをお勧めする。

目次

進化論と創造論の違い理解する

進化論とは

「生物は造物主によって現在の形のまま創造されたとする種の不変説に対して、原初の単純な形態から次第に現在の形に変化したとする自然観。一九世紀後半ダーウィンらによって体系づけられ諸科学に甚大な影響を与えた。」(大辞林 第三版)

進化論は、日本ではあたかも科学的真理かのように教えられているが、実は証明された説ではなく、あくまで仮説の域を出ない。また上記の定義からもわかる通り、進化論とは創造主による介入を抜きにして生命の起源を説明しようとする説であるため、その考え方の本質とは「無神論」だと言える。

しかし、神が存在しないことは科学では証明できないので、突き詰めれば、進化論には特定の信仰を前提とした宗教的な性質があることがわかる。

創造論とは

創造論とは、宇宙や生命などの起源を、聖書の創世記にある「創造主なる神」に置く考え方であり、その神によって天地万物の全てが創造されたとする様々な議論を意味する。

創造論は「創造主なる神」を元に考える説であるため、進化論の場合と同じく、その前提には特定の信仰が関係していると言える。とはいえ、追って説明をしていくが、生命に関して観察できる事実は、創造説と実によく調和する。

これらの議論がなぜ重要なのか

もしも進化論を信じる場合、私たちの多くは、次のような人生観・世界観を持つことになる。

  • 人間の存在自体には、特定の目的があるわけではなく、全ては偶然の結果である。
  • 全ての人に道徳的責任を求める神は存在しない。そのため、究極的には、人は自分の好きなように生きれば良いとなる。
  • 人は死んだら無になる。そのため、人生の目的は今をいかに良く生きるか、ということに集約される。
  • 老化や死や苦しみは、自然淘汰の中で遠い昔から繰り返されてきたのであって、避けられるものではなく、これからも同様である。

しかし、創造論を信じる場合、私たちの人生観・世界観は、次のように大きく変わることとなる。なお、神による創造説を信じる多くの人は、解釈の程度はあれ、創世記の記録を史実と見做している。

  • 人には、創造された目的と確かな意味があり、それは神と共に永遠に歩むことである。
  • 人には責任を負うべき神が存在するため、人は神を意識して、神に対して生きる必要がある。
  • 人は死んでも無にはならず、死後には裁きある。そのため、地上の人生では永遠の未来を見据えて、良い生き方を選ぶ必要がある
  • 死や苦しみの原因は、アダムとイブに始まる「創造主に対する反逆」である。そのため、神に従うことによって、創造主の恵みによる「永遠の命への道」を選ぶことが、根本的な解決策となる。

以上の点から、創造論・進化論・どちらの立場を信じるかは、私たちの人生の生き方を大きく左右する、極めて重要な問題だと言えるのだ。

世界中に存在するアダムとイブ、楽園の伝説

猿からの進化ではない~最初の人間・アダムの創造から始まる本当の歴史

興味深いことに、アダムとイブ、エデンの園に関する楽園伝説は、聖書の創世記だけでなく、世界中の伝承にも存在する。これらの伝説を紹介する前に、まずは創世記にある最初の人類―アダムとエバの記録を紹介したい。

創世記のアダムとイブ、エデンの園の伝説の内容

はじめに神は天と地を創造した。創造主は、六日に分けて、段階的にこれらを創造していき、第六日目に最初の人間を創造した。

「そして神は、『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。』と仰せられた。27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」(創世記1:26-28)

神は最初の人間「アダム」を、「エデンの園」と呼ばれる美しい園に住まわせ、次のように彼に命じされた。

15 神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。16 神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:15-17)

「食べたら死ぬ」と言われたことから、最初の人間は、神との約束を守り続ければ、永遠に生きるよう創造されていたことがわかる。続いて神は、アダムの妻となるイブ(エバ)を、アダムのあばら骨の一つを取って創造し、彼らを夫婦として結び合わせた。

彼らは何不自由のない暮らしをしていたが、ある日のこと、イブの元へ蛇が現れた。この蛇は女を欺いて創造主を偽り者であるとし、善悪の知識の木から取って食べても死ぬことはないとそそのかした。(ここで蛇を通して実際に女に話しかけているのは悪魔である)

「そこで、蛇は女に言った。『あなたがたは決して死にません。5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。

3:6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。」(創世記3:4-6)

残念ながら、最初のアダムとエバは、神との約束を守らず禁じられた木から取って食べたので、罪を持つようになり、苦しみや死を経験するようになってしまった。そして、彼らはエデンの園から追い出された。

(神は)また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」(創世記3:17-19)

世界各地の楽園伝説とその共通要素

上記でご紹介した、創世記にあるアダムとイブ、エデンの園に関する楽園伝説は、聖書だけでなく、世界中の伝承にも存在する。例えば、バビロニアで発見された碑文には次のような内容の伝承が記録されている。

「人類の最初の人は、はじめは罪がなかったが、彼は神々を怒らせてしまったために「死ぬ者」となり、それ以来人類に病気や死などの災いが入った」(ヘンリー・H・ハーレー著『聖書ハンドブック』六九ページ参照)

他にも、ペルシャ、ヒンズー(インド)、中国、ギリシャ、オーストラリア、など世界中の国々や地域の伝承に、同じような伝説を見ることができる。

ギリシャ:黄金時代の最初の人は「裸」であり、悪も労苦もなく、神々と自由に交わっていた。そしてある「女の不従順」によって、病・狂気・老化・その他の災いが解き放たれた。

ペルシャ:我々の最初の両親は、「蛇の形をした悪霊」が現れる前は、罪がなく、美しい性格を持っており、幸福で、「不死の木」のある園に住んでいた。

これら世界中に見られる楽園伝説は、創世記のアダムとイブの伝説と実によく似ており、次のような共通の要素を挙げることができる。

  1. 最初の人間は不老不死だった。
  2. 最初の人間には罪や災いが無かった。
  3. 美しいパラダイスに住んでいた。
  4. 欺きをもたらす蛇が現れた。
  5. 女の不従順によって災いがもたらされた。
  6. 不従順は「一本の木」に関するものであった。

では、このような聖書の記録と類似する伝承が世界中に残っている事実は、アダムとイブの伝説の史実性について、何を明らかにするだろうか?

共通する伝承の存在は何を意味するのか

(1)世界中に存在する類似した伝説の存在は、世界中に広がっている民族には共通の祖先がおり、その子孫が世界に増え広がっていく過程において、共通の祖先から聞いた伝承が携えられていったことを明らかにしている。

そしてこの推論は、大洪水後のバベルの塔の事件の後、ノアの子孫が世界中に広がっていったとする聖書の記録と一致する。

(2)世界中に離散した子孫の多くが、その伝説を共通して継承していったという事実は、その伝説の内容が、共通の祖先と離散していった先祖たちにとって、非常に重要なものであったことを示唆している。

以上の点から、アダムとイブの伝説は、人類共通の伝承・記憶として刻まれているものであり、単なる神話として片付けられるようなものではないことがわかる。さらに、追って明らかにしていく科学的な証拠の数々を踏まえれば、神によるアダムとエバの創造説は、極めて現実的な説であることが理解できるだろう。

進化途上の生物は生き延びることができない

ウェルナー・ギット博士 ダーウィンが知り得なかったこと

ドイツ連邦物理学・科学技術研究所(ドイツ最先端の研究機関)において、所長を務めた経歴を持つウェルナー・ギット博士は、情報科学的な側面から、進化論が科学的に不可能な説であること、生命の背後に知性を持つ情報発信者(創造主)がいることについて、その証拠と論理を説明している。以下に、博士の見解を要約していく。

進化論では説明不能―赤血球の驚くべき仕組み

全ての生命の造りやデザインは、細胞内に収められたDNA情報によって決定されているが、その全ての情報が人間の知恵・知識を遥かに越えるほど高度なものであることは、今日の科学者の間では知られた事実となっている。今回は、そのDNA情報によって造られる赤血球の驚くべき仕組みについて考えてみたい。

私たちの血液の中に存在する赤血球は、特化した専門的な機能を持っており、生命の維持に不可欠な重要な役割を果たしている。赤血球の中には、ヘモグロビンというタンパク質が含まれているが、これには実に優れた仕組みが備わっているのだ。

人間の子供は、次の三つの段階「胚の段階」「妊娠約9週以降の胎児の段階」「誕生後の段階」において、それぞれ化学的に異なる構造のヘモグロビンを必要とする。そのため、適切なタイミングに、適切な種類と量のヘモグロビンが生成されるような仕組みを、人体は初めから備えているのだ。

このような3タイプの異なるヘモグロビンが、進化の過程で試行錯誤を繰り返しながら自然発生するということはあり得ない。なぜなら、これらの仕組みが完全な形で初めから備わっていなければ、胎児は生き残ることができず、命を落としてしまうからだ。

赤血球還元不可能な複雑さは、創造主を明らかにする

このように、完成された状態で無ければシステム全体が機能しないような複雑さのことを、専門的には「還元不可能な複雑性(Irreducible Complexity)」と言うが、これは動物の免疫機能にも当てはまるし、バクテリアが動き回るのに必要な鞭毛にも当てはまる。いずれの場合においても、機能が未完成の「途中の段階」にある生物は生き延びることができないのだ。

以上の点から「これらの構造は最初から完成した形で存在した」と考えるのが、事実と調和した説明であり、「最初から完成した形で存在する」ということは、「知性ある創造主がそれを最初から完全に機能するよう設計し、創造した。」ということを明らかにしている

情報の自然法則は進化論を否定する

DNA

同じく、ウェルナー・ギット博士による見解を以下に要約していく。

科学の基本原理

科学の最強の論拠とは、科学法則に従ってある過程や出来事が起こり得ないことを証明できることにある。つまり、科学の法則は例外を許さない。

例えば、今日の科学で明らかになっている自然法則の一つに「エネルギー保存の法則」というものがあるが、この法則の普遍性によって、エネルギーを供給しなくても運動を続ける永久運動機関なるものは存在し得ない、と断言することができる。

自然法則の有効性について

ウェルナー博士は、自然法則の有効性について、次の基礎的な点を明らかにしている。(実際にはもっと多くの特徴があるが、必要な点のみを抜粋する)

  • 自然法則は、観測及び実験に基づき与えられた正確な表現である。
  • 自然法則は普遍的な有効性を持つ。
  • 自然法則は時間経過とともに変化しない。
  • 自然法則はシンプルである。
  • 自然法則に例外は存在しない。

この中で、(2)と(5)については、本テーマとの関連で特に重要な意味を持っている。自然法則は、無限に多くのケースで有効であるという意味において、普遍的に有効である。この普遍的有効性の程度は、ただ単に地球上のことに限定されるものではなく、全ての天文学的経験に基づき、宇宙全体にも当てはまる。それゆえ、月への飛行において、着陸が無事に成功した時に、自然法則が普遍的に有効であるという想定が正しいことが明らかになったのだ。

そして、自然法則のこの普遍性は、例外の存在を一切許すことはない。だからこそ私たちは、この自然法則に照らし合わせた時に、物事が起こり得る可能性について、実験無しに正確な予測を立てることが可能となるのだ。

情報に関する自然の法則

前の見出しで、全ての生命に驚くべき情報が含まれていることについては既に述べたが、ではその「情報」とは一体何だろうか?ウェルナー博士は、情報に関する四つの自然法則について、次の点を明らかにしている。

  • 情報は非物質なものであり、物質ではない
  • 物理的・化学的なプロセスは、非物質的なものを生み出すことはできない。
  • 統計学的なプロセスは、非物質的なものを生み出すことはできない。
  • 情報は、知的な発信者のみが生み出せるものである。

進化論の前提とは、物質が統計学的なプロセス(自然選択や突然変異など)によって、非物質なものである「情報」を生み出すと考えるものだが、上に挙げた通り、その考え方は情報に関する自然法則に反しているため、決して起こり得ないと断言することができる。

そして、全ての情報は「知的な発信者」を必要とする。ここで言う知的な発信者の定義は、(1)意識を持っていて、(2)自分自身の意志を有しており、(3)創造的であり、(4)自律的に思考する発信者を意味する。

したがって、情報に関する自然法則に従って考えれば、全ての生命の背後には、知的な発信者―創造主が存在する、と結論できるのだ。

ウェルナー・ギット博士の著作の紹介

猿人の化石は見つかっていない

もしも進化論が真実であり、人間が長い年月をかけて猿から進化してきたのなら、猿と人間との間を繋ぐ中間型化石(猿人の化石)が見つかってもよいはずだ。

ところが、一般的に猿人の化石と認識されているものは、よく調べてみると、猿か人間のどちらかの化石だということがわかっている。つまり、進化論を裏付ける猿と人間の中間型化石は、実際には全く見つかっていないのだ。

アウストラロピテクス:猿の一種だった

進化論では、アフリカで生まれた初期の人類、約400万年前~約200万年前に生存していたと考えられている。しかし今日では、アウストラロピテクスは多くの著名な学者の手によって、その考えが間違いであることが明らかにされている。例えば、著名な人類学者であるラトガース大学のアシュレー・モンテギュー博士は次のように述べている。

「アウストラロピテクス類は・・・・人の直接の祖先にも、人に至る進化の系列にもなり得ない」(『インパクト』八二号、三ページ)

アウストラロピテクスで有名なのは、1974年にエチオピアで発見された「ルーシー」と名付けられた化石だが、現在はボノボというピグミーチンパンジーによく似た動物(猿)であったと結論されている。

アウストラロピテクスの化石

約40%が発掘されたルーシー(アウストラロピテクス)の化石。 猿の一種だった。

ホモ・エレクトゥス:完全なヒトだった

進化論では20万年前~7万年前に生存していたと考えられており、ヨーロッパを中心に西アジア・中央アジアからも発掘されている。有名な北京原人やジャワ原人はここに分類される。身長は推定約170cm、直立歩行をしており、脳容積が1000cc(平均)と小さめであるため、現生人類への進化の前段階と考えられていたが、現在は完全な人であることが判明しており、ヒト科に分類されている。

ジャワ原人:1891年、進化論に感化された若者ユージンデュボアが発見したとされるが、発掘された骨は、頭蓋骨と歯と大腿骨の3つだけであり、それぞれの骨が十数メートル離れたところで発見されたため、専門家たちの批判を受け、猿人の証拠として見做されていない。

北京原人:多くの科学者は、ヒトとサルの骨が組み合わされたものと見ている。中国では猿の脳みそを食べる習慣があり、人とサルの骨が一緒に見つかることが、特に北京ではよくあるからだ。

ネアンデルタール人:完全なヒトだった

進化論では、ヨーロッパから西アジアにかけて分布した更新世中期から後期(約25万〜3万年前)の旧人類だったと考えられている。化石は200体以上見つかっており、脳容量は現代人と変わらず約1500立方センチで、直立歩行をしており、死者の埋葬を行うなど精神的発達が認められる。

20世紀初頭に発見されたネアンデルタール人の化石が、たまたま曲がったひざをもっていて、前かがみで歩いていたと誤って解釈されたため、この種はヒトに進化する一歩手前の生き物として、非常に原始的なイメージで紹介されてきた。

しかし今では、曲がった膝の原因が「くる病とか関節炎などの病気」であったことがわかっており、ネアンデルタール人は、完全なヒトとして分類されるようになっている。

「今では、これらの『原始的特徴』は、栄養上の欠陥と、病的状態に起因するものであることが明らかとなっており、ネアンデルタール人は『完全なヒト』として分類されている」(生物学者デュアン・T・ギッシュ博士)

ネアンデルタール人と現代人の頭蓋骨の比較

ネアンデルタール人の頭蓋骨は、現代人とほとんど変わらない。

クロマニョン人:完全なヒトだった

クロマニヨン人(別名:ホモ・サピエンス)は、進化論では4万年~1万年前に生存していたとされ、ヨーロッパ地方で多数発掘されており、ヒトに直結する「新人」と呼ばれている。平均的な体型は、身長180cm、体重75kg、脳容積1450cc(現代人の平均と同じ)で、骨格形態は現代人と区別ができず、進化論者も完全な人間、あるいは人間に直結するものと認めている。

なお、クロマニョン人が高度な技術や文明を持っていたことは有名な話であり、動物の骨を精巧に加工したり、優れた壁絵を洞窟に残したりしている。

ミッシング・リンク―中間型の化石は存在しない

これまでに見てきた通り、猿からヒトへの進化説が一般的に受け入れられている一方で、その説の証拠となる中間型の化石「ミッシング・リンク」は、何も見つかっていない。

さらに、猿人の化石だけでなく、あらゆる生物進化の種と種を繋ぐ中間型化石もまた、まるで明確な形で見つかってはいないのだ。むしろ、化石上の証拠からいえば、あらゆる生物は、過去のある時代に突然出現したことを示唆している。

そして、観察できるこのような事実は「進化途上の生物は生き延びることができない」と説明するウェルナー・ギット博士の結論を強力に裏付けている。

最後に、世界中の全化石のおよそ20%が保存されているシカゴ・フィールド博物館の館長、デービッド・ロープ氏は、この点について次のように語っている。

「進化論の立場から生命を説明するにあたって、化石がそれを証明してくれると考えている人は多い。さて、ダーウィンが『種の起源』を書いてから120年が経った今、化石記録についての研究は大いに進歩した。しかし皮肉なことに、進化論を支持する実例は、全く出てこないのである」―ジェレミー・リフキン著『エントロピーの法則2』(祥伝社 一九八三年)、128P。

猿からの進化で言語獲得はできるのか

人間の赤ちゃんが言語を習得するのに必要な条件ワシントン大学の学習脳科学研究所所長 パトリシア・クール氏は、以下のセミナー「赤ちゃんは語学の天才」の中で、言語学的・発達心理学的な側面において、人間の赤ちゃんが言語を習得するのに必要な条件を明らかにしている。セミナーの内容を総括すれば、言語獲得に必要な条件とは、次の三つに集約される。

条件1 先天的言語能力
条件2 言葉を話しかける親の存在
条件3 臨界期(七歳)

1)先天的言語能力

パトリシア・クール氏によれば、実験の結果、赤ちゃんは世界中のあらゆる言語の音を聞き分ける能力を先天的に持っていることがわかっている。成長過程で、母語の言語を獲得していく中で、徐々に他の言語を聞き分けられなくなっていくのだ。

またこの点は、「現代言語学の父」とも評されるノーム・チョムスキー氏の研究成果によっても示唆されている。チョムスキー氏よれば、ヒトの赤ん坊は、全ての言語に共通する共通言語規制を先天的に知っており、さらには自分の母語を正確に構築する知識「言語構築力」をも備えているようだ。

2)言葉を話しかける親の存在

赤ちゃんが言葉を覚えるのに必要なこと、それは親が言葉を語りかけることだ。

クール氏はセミナーの中で、この事実を明らかにしたある実験を紹介した。それは、アメリカの幼児に台湾語を聞かせるというものであり、台湾人に教師役をお願いし、絵本を用いて赤ん坊に語りかけてもらう、という内容だった。すると、幼児の脳は台湾語に反応し、第二言語習得の準備を始めた。

ところが、台湾人の教師の代わりにテレビ・DVDなどの機械を用いて教育をした時には、赤ん坊の脳に学習反応は起こらなかった。

このことから、幼児期の母語習得には、言葉を話しかけることのできる生身の人間との人格的交流が必要であることが明らかとなった。

3)言語習得の臨界期

母語の習得には「臨界期」があり、それは7歳であることがわかっている。つまり、赤ちゃんは7歳までは語学の天才だが、それ以降は大きく母語習得力が低下していく、ということだ。この臨界期の歳については実験によって明らかにされているが、以下のようなケースにおいても裏付けられている。

ジニー(Genie Wiley)

1970年、カリフォルニア州で虐待を受けた児童が発見された。ジニーは1歳8ヶ月~13歳までの間、密室に閉じ込められて育ったため、家族と会話をすることが無かった。施設で保護されて教育を受けたが、100語程度の語彙にとどまり、言語習得に至らなかったといわれている。

アマラとカマラ(Amala and Kamala)

1920年、インドのミドナプール(Midnapore)近くの森で、オオカミと暮らす二人の少女が保護された。シン牧師は少女たちを孤児院に連れて行き育てることにした。年下の1歳半くらいの女の子は「アマラ」と名付けられ、年上の8歳くらいの女の子は「カマラ」と名付けられた。

1921年、アマラは腎臓の感染症で死亡した。カマラの方は、30ほどの単語を覚えたが、ことばの獲得には至らなかったようだ。1929年、カマラは結核にかかり死亡した。

他にも、野生動物に育てられた子どもの事例は存在するが、言語習得の臨界期を過ぎてから保護されたようなケースにおいては、言語獲得ができなかったといわれている。

マリーナ・チャップマンさん(Marina Chapman)

推定1950年生まれ、4から9歳までの間、コロンビアのジャングルでオマキザル(capuchins)に育てられた。最初、ジャングルに入ってきたハンターに発見された時は、ことばを話すことができなかった。

ジャングルを出た後は、売春宿の下働き、ギャング一家の召使い、路上生活と、暮らす場所を転々とした。施設で保護されたり教育を受けたりすることはなかったが、生活をする中でことばを回復させていった。

彼女の場合、4歳まで家族と共に暮らした経験が、ことばの回復を可能にしたと考えられる。その後マリーナさんは、イギリスに渡り家庭を築くことができたようだ。

言語獲得の条件を進化論に当てはめてみると、

これまでに考えてきた、ヒトが言語習得できる条件を考慮した時に、進化論の説明でそれが本当に可能だったのかを考えてみよう。

私たちの誰もが知っている通り、人と猿とは似ているとはいえ、両者の間には歴然とした差が存在する。例えば、猿は「キーキー」としか鳴かないが、人の場合は誰もが複雑な言語を駆使することができる。したがって、普通の猿から普通の猿が何度生まれようとも、両者の壁を越える足掛けにもならない。猿から人間への進化を想定するなら、ある程度の「突然変異体」の出現が不可欠となってくる。

今日の科学の研究成果においては、生物の突然変異体が進化をもたらさないことは明らかとなっているが、百歩譲って、猿から人間・あるいは猿人への突然変異が起きたと仮定してみよう。

猿から突然変異でヒトが生まれた場合

この場合、言語獲得の第一条件である「先天的言語能力」はクリアすることになる。(しかし、先天的言語能力に関するDNA情報がどこから来るのか?という問題はつきまとうことになるが)

しかし、第二・第三条件である「言葉を話しかける親の存在」と「言語獲得の臨界期」の点で、決定的に問題が起きることとなる。せっかく先天的言語能力を持ったヒトの赤ん坊が生まれてきても、周りにサルの親しかいなければ、何世代それを繰り返そうが、永遠に言語習得をすることは不可能だからだ。

さらに百歩譲って、突然変異で複数のヒトの赤ん坊がサルから生まれてきたとしても、やはり言葉を話しかける親がいないので、どれだけそれを繰り返しても、言語の習得はできない。

以上の理由から、進化論の説明では、ヒトの言語能力の起源について筋の通った説明をすることが不可能であることがわかる。

最初の人間はどのように言語習得したのか?

言語獲得の条件を踏まえれば、最初の人間ははじめから完全な言語能力を持って出現したとする考え方が、最も筋が通った説明となる。そしてこの結論は、聖書に記録された創世記の内容とよく調和する。

神は創造の第六日目に、最初の人間アダムを創造したが、創造された当初から、神とアダムの間には人格的な交流があったからだ。そして、神がアダムに善悪の知識の木に関する命令を与えたことや、様々な動物を連れてきて名前を付けさせたことなどからも、アダムが最初から完全な言語能力を持って生まれてきたことは明らかにされている。

「神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:16-17)

「神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。」(創世記2:19)

最初の人間のアダムとイブが完全な言語能力を持っていたのであれば、その子供たちに言語能力を継承させていくのも問題とはならなかったはずだ。このように、言語能力習得の観点で考えれば、進化論よりも創造論の方が、遥かに理に適った説であることが明らかとなるのだ。

結論―5つの理由の要約

最後に、これまでに明らかにしてきた結論の要点をまとめたい。

  1. 進化途上の生物は生き延びることができない
    あらゆる生命のシステムには、「還元不可能な複雑さ」があり、最初から完成した形で存在する必要があるため、機能が未完成の「途中の段階」にある生物は生き延びることができない。
  2. 情報の自然法則は進化論を否定し、知的発信者の存在を明らかにする
    情報の自然法則は、(1)自然選択や突然変異(統計学的なプロセス)は情報を生み出さないこと、(2)情報には知的な発信者が必要であること、を明らかにしている。つまり、生命の情報の起源は、進化ではなく、創造主による創造であることが証明される。
  3. 猿人の化石を含むあらゆる中間型化石は存在しはい
    人が猿から進化したのであれば、進化途上の中間型の化石が見つかるはずだが、そのようなものは一つも見つかっていない。さらに、猿人だけでなく、他のあらゆる生物の中間型化石も同様に、全く見つかっていない。
  4. 進化では言語獲得が起こらない
    ヒトが言語習得をするためには、7歳の臨界期までに、言葉を話しかける親によって育てられなければならない。しかし、たとえ突然変異で猿からヒトの祖先が何度生まれたとしても、言葉を話せない猿が親であれば、いつまでも言語獲得は起こらない。
  5. アダムとイブに関する楽園伝説は世界中に存在する。
    創世記に書かれたアダムとイブの話と似た要素を持つ伝説は、ペルシャ、ヒンズー(インド)、中国、ギリシャ、オーストラリア、など世界中の国々や地域に存在する。この事実は、楽園伝説が、人類共通の記憶として刻まれた史実であることを示唆している。

以上に挙げた五つの理由から、進化論が科学法則や観察される事実に反する説であり、聖書の創世記に記録された神による創造説が、生命の起源を説明する上で最も信頼性のある考え方であることがわかるだろう。

聖書は、人類が歴史的に経験してきた苦しみの本当の原因と、それに対する根本的な解決策を示してきた唯一の書物だ。それは、私たちの真の創造主からの啓示であり、人生のあらゆる問題に対する確かな答えとなるものなのだ。

永遠の命を取り戻すために

人類の誕生の真実―それは聖書の創世記に記録されている通り、アダムとイブの創造に遡ることができる。彼らは、創造主の愛の中で、その交わりを楽しみながら永遠に生きるようにと造られた。しかし、彼らが神との約束を破り、善悪の知識の木から取って食べたことにより、人類の歴史に罪と死が入るようになった。

このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。」(ローマ5:12

しかし、愛ある創造主は、人間を見捨てることはなく、救い主となる一人の人物―キリストを通して、罪によって堕落した世界を完全に回復させる計画を、歴史を通して示してきた。それは、キリストを信頼し、神の名に助けを求める全ての人々に、かつてアダムが失ったもの「永遠の命」を再び与えるためなのだ。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16

▶ 聖書の教えを学ぶ >> 進化論の限界~生命は創造されたのか?

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▼アダムとエバの話の史実性について
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