2. 聖書は本当に神の言葉なのか?|聖書の教え
人類史に存在してきた無数の本の中で、最も読む価値のある本とは何だろうか?多数決をとって決めるとすれば、それは間違いなく「聖書」だと言える。
日本でこそ馴染みのない聖書だが、世界的な規模で見れば、その頒布数や影響力はいかなる書物とも比べものにならない。そして、聖書がそこまで多くの人を魅了している最大の理由は、この本が「神の言葉」として、広く認められている点にある。
では、聖書とはどんな本なのか?それが本当に「神の言葉」だと言える、どんな根拠があるのだろうか?そして、聖書が書かれた目的とは何だろうか?今回の記事では、これらの点を取り上げる。
聖書とはどんな本か?
66冊からのなる書物群
聖書とは単一の書物ではなく、合計66冊からなるいわば書物郡である。その内容は、大まかには前半の旧約聖書(39書)と、後半の新約聖書(27書)に分かれる。
執筆年代
執筆され始めた年代は古く、約3500年前から、おおよそ1600年の期間にかけて、徐々に完成していき、最後の書簡であるヨハネの黙示録は、紀元1世紀の末に書き終えられた。
執筆言語
書かれた言語は、旧約聖書はヘブライ語(一部はアラム語)、新約聖書はギリシャ語である。
四十人の著者
聖書には、合わせて40人の筆者がいる。全員がユダヤ人だが、それぞれの書簡が書かれた時代背景や、著者の職業的背景は全く異なる。例えばその中には、王や祭司、戦士、預言者、漁師など様々な職種の人がいた。
神の霊感を受けた書物
「聖書は、神の霊感に導かれて記された」(第二テモテ3:16)と言われるが、これはどういう意味だろうか?例えば、社長が誰かに手紙を送る際に、秘書に自分の意図を伝え、その手紙を書かせる場合がある。聖書もこれと同様で、完成の背後に、社長役である神が存在し、その神の意図によって、秘書である霊感を受けた著者たちが、聖書を書いていったのである。
では聖書が、確かに神の霊感によって書かれたものだと言える、どんな根拠があるのだろうか?
聖書、神の言葉としての比類無き特徴
1. 人類史上、圧倒的なベストセラー
聖書は人類史上、最も多くの人々に読まれてきた書物である。1815年~1998年だけでも、約39億冊が販売・配布されたと推定されており、他のいかなるベストセラーとも比較にならない。現在の世界人口が約70億であることを考えれば、この数字がいかに大きなものかを理解できるだろう。
聖書の比類なき価値は、他の追随を許さない圧倒的な頒布数によって、証明されている。
2. 翻訳数、歴代第一位
最新のデータによると、聖書はこれまでに2,798の言語に翻訳されており、知られているほぼ全ての言語で入手可能で、世界中のあらゆる人々が読めるようになっている。このような本は、聖書を除いて他には無い。
http://u777u.info/npF4
一般的に、ある本が他の言語へ翻訳されるためには、翻訳や出版に要するコストが回収できるかが、まず吟味される。そのため、人口や需要の少ない地域の言語へ翻訳される本は、ほとんど無い。では、聖書がここまで多くの言語に翻訳されている理由は何だろうか?それは多くの人々が、お金には代えられない優れた価値を、聖書に見出しているからである。
3. 多くの迫害に勝利してきた。
聖書ほど、厳しい迫害を経験してきた書物はない。聖書は歴史上、何度か抹殺の危機に直面してきた。例えば、紀元1~4世紀までに、ディオクレティアヌスをはじめとする幾人かのローマ皇帝によって、聖書は迫害され、大量に処分された。しかし、どの支配者の試みも成功することはなく、結果的に聖書は、世界のベストセラーの地位を不動なものとしていった。
4. 著者たちの正直さ
聖書の記録が信頼に値すると言える別の側面は、著者たちの正直さにある。どの時代、どの国でも、勝者が自分にとって都合の悪い真実を封印し、都合の良い歴史だけを描いて、それを広める傾向がある。ところが、聖書の記録には、そのような不公平さはなく、著者や自国についての失敗が、克明に記録されている。
例を挙げると、イエスの一番弟子のペテロという人物がいたが、彼はイエスが捕縛された時に、自分の主であるイエスを三度否認する、という大失敗を犯した。この失敗は、間違いなく彼の人生における最大の失敗だったのだが、彼はその時の失敗を隠すことなく、後世に伝えられるようにした。その結果、新約聖書の福音書の全てに、ペテロが否認した時の様子が繰り返し記録されることとなった。
5. 全体の統一性と調和
聖書は、1600年もの時間をかけて、様々な著者によって書かれていった。ところが、全体の内容に、見事な統一性と調和が見られる。それはまるで、創世記(冒頭の書簡)から黙示録(巻末の書簡)に向かって、ジグソーパズルのピースが一つ一つ埋まっていくような構造である。
例えば、愛、憐れみ、義、公正、全知全能、永遠、といった神のご性質や能力は、創世記から黙示録に至るまで見事に一貫して啓示されており、全くぶれることが無い。
また、創世記3章で、最初の人間夫婦が堕落して食べれなくなった「いのちの木の実」は、黙示録の最後で預言されている神の計画の完成において、救われた人類が再び食べることを許されることになる。
1600年もの長い期間に、異なる人間が執筆していった書物郡が、矛盾の無い一貫した内容となることは、まずあり得ない。では、聖書全体に驚異的な統一性が見られる理由は、何だろうか?それは、聖書の完成の背後に、一人の真の著者が存在しているからである。
「聖書はすべて、神の霊感によるものです」(第二テモテ3:16)
6. 絶対的な信頼性を持つ古代文書
聖書は、約二千年前に書き終えられた古代文献だが、現代私たちが読んでいる聖書の内容は、原本の内容をほぼ正確に再現できている。その根拠は、(1)写本の数が多いこと、(2)原本と現存する写本の時間的隔たりが少ないこと、の二つである。
聖書の写本数は、ギリシャ語・ラテン語を合わせれば、約25000もの数に上り、他のいかなる古代文献とも比較にならない。例えば、タキトゥスやガリア戦記などの著名な古代文献でさえ、その写本数は僅か20程度である。
また、聖書の原本と写本との時間的隔たりについては、上に挙げた他の古代文献がおよそ900年なのに対して、聖書の場合は、30~300年程である。
以上の点から、聖書の伝達の信頼性は格別なものであり、仮に聖書が信頼に劣ると見做されるのであれば、すぐさま他の全ての古代文献も破棄されなければならなくなる。
7. 科学的に正確な記録
一般的に、古代文書の多くには非科学的な記述が見られるものだが、聖書の記録は、最先端の科学と照らし合わせても、驚くほど正確である。
一例を挙げれば、ノアの方舟に似た話は、バビロニア神話にも見られるが、そこに記録されている箱船のサイズは、船舶の形としては全く理に適っておらず、浮かばせれば、すぐに転覆してしまう。ところが、聖書に出てくるノアの箱船は、現代の巨大タンカーなどにも用いられる黄金比「30:5:3」で設計されており、高さ30メートルの高波に遭遇しても、浸水・転覆・破損をしない強度である。ノアの箱船(方舟)と大洪水の伝説は、歴史的事実なのか?
8. 歴史的に正確な記録
聖書の歴史記録の信頼性は、これまで批判の的となってきたが、考古学の発掘調査による新たな発見によって、その記録の信頼性は常に立証されてきた。
例えば、創世記19章には、ソドムとゴモラの滅亡に関する記録がある。聖書によれば、「神はかつて、道徳的に退廃の極みに達していたこれらの町々を、天からの火と硫黄によって滅ぼした」とあるが、この話は多くの人からその信憑性を疑われてきた。
ところが、1924年に、W・F・オルブライト博士とM・G・カイル博士が探検隊を組織して、死海付近を探索したところ、その地域から多数の土器やその他の遺物と、硫黄の混じった泥灰層を発見した。
それらの発見は、紀元前二千年頃に、繁栄していた住民が突然消え失せたこと、その原因が火と硫黄であったことを示していた。ソドムとゴモラの滅亡に関する聖書の記録は、歴史的事実だったのである。創世記の真実―ソドムとゴモラの滅びは神話か?
9. 成就した聖書預言の数々
聖書が神の言葉であることを示す最大の証拠は、過去に成就してきた預言の数々である。
「『遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。」(イザヤ46章9-10節)
例えば旧約聖書には、救い主に関する111もの預言があったが[i]、それらは全て、イエス・キリストの生涯を通して成就した。また、イエスは地上を去る 前弟子たちに、「あなたがたは・・地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒1:8)と告げたが、この預言通り、イエス・キリストを中心テーマと する聖書は、世界で最も広く頒布される本となっている。
ちなみに、歴史上の特定の人物に、聖書にある「8つ」の預言が偶然に成就する確率でさえ、十京分の一(10の17乗)という、途方も無い数字となる[ii]。したがって、イエスによって預言が成就したことは、偶然ではなかったことがわかる。
遠い未来に起きる事柄を正確に告げることは、絶対的な力を持つ神でなければできない。聖書の預言とその成就は、その預言の源が、全知全能の神であることを証明している。
聖書の預言についての詳細はこちら
聖書が書かれた目的とは
聖書は神からのラブレターである。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)
聖書は神からのラブレターである、とよく言われるが、それは本当の話である。神の最大の性質は愛であり、神は父親が子供を愛するように、一人一人の人間を深く愛している。神の深い愛は、神の御子イエスの捧げた犠牲を通して、惜しまず明らかにされた。
神は、全ての人間が神の愛に応え応じることを強く望んでいる。なぜなら、人間は本来、神との愛の関係を喜びとするために創造されたからである。
聖書は人生のマニュアルである。
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(第二テモテ3:16)
「聖書は人生のマニュアル」と言われる。誰でも精密な機械を購入したら、まずメーカーが用意したマニュアルを読んで正しい使い方を学ぶだろう。人間が、メーカーである神が用意したマニュアル「聖書」を読んで、正しい生き方を学ぶ必要があるのも、これと同じ理由である。
人間の思考や感情は複雑だが、創造者である神は、どんな人間よりも、その造りを理解している。したがって、聖書が教える人間の生き方に関する指針は、普遍的にどの時代、どの民族にも通用できる、極めて優れたものである。聖書の教えに沿って生きることにより、人間関係や感情の問題を改善した人は、あまりにも多い。聖書は人間にとって、最高のマニュアルなのである。
永遠の命を与える
「しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、 あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである」(ヨハネ20:31)
聖書の中心的なテーマはイエス・キリストであり、全ての人間は、イエスに対する信仰を通して、永遠の命を得るよう招かれている。
神は本来、人間を、永遠のいのちを持つ存在として、永遠に神や隣人との幸福な関係を楽しむようと創造したが、それは損なわれてしまった。しかし、イエスを通して神との関係を回復する全ての人には、その素晴らしいいのちを回復する道が与えられている。聖書は、この重要な真実と希望を伝えるために、完成し広められていったのである。
では、聖書の真の著者であり、人間を創造した創造主である神とは、一体どのような存在なのだろうか?この質問に対する答えは、次の記事で取り上げる。
⇒聖書の神はどのような存在なのか?
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聖書を読んでみたい方へ
聖書を読む三つの方法
日本語の聖書には複数の訳があるが、現代日本で一般的に用いられているのは、「新改訳聖書」か、「新共同訳聖書」である。これらのどちらかを購入し、お読みすることをお勧めする。また、聖書を読んでみたいと思われる場合、以下の三つの方法がある。
(1)本を買って読む
本屋やネットで売っている聖書を購入する。
(2)インターネットで読む
こちらのサイトでは、無料で聖書を読むことができる。
(3)スマホやタブレットのアプリで読む
聖書を無料で読めるアプリが色々あるので、ダウンロードしてすぐに読むことができる。なお、無料アプリで読む場合は口語訳が多くなる。口語訳とは一昔前によく読まれていた日本語訳聖書だが、こちらも十分に問題無く読むことができる。
脚注
[i] 成就した111の預言とは、救い主の最初の到来「初臨」に関するものである。詳しくは、「イエスは預言されていたメシアなのか?」で説明している。
[ii]こ の確率を計算した専門家は、この件について、次のようなコメントを残している。「もしそれだけの数のドル銀貨を敷き詰めるなら,テキサス州全体(69万平 方㌔ 日本の2倍)が覆われ,その高さは60㌢に達するだろう。その1枚に印を付け,目隠しをした人に州全体を歩き回って銀貨を一つ拾い上げてもらうとしよう。 印の付いた銀貨を拾い上げる確率はどれくらいだろうか。メシアに関するわずか八つの預言が歴史上のある人物に成就する確率は,それと同じである。」
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