3. 聖書の神はどのような存在なのか?|聖書の教え

聖書の神はどのような存在なのか?

もしもあなたが、あまり知らない人から手紙をもらったら、しかもその手紙がラブレターだったら、返事を書く前に、まずはその相手のことを知りたいと願うだろう。

前回の記事「聖書は本当に神の言葉なのか」で学んだ通り、聖書は神からのラブレターである。だから、あなたがその手紙に返事を出すためには、まずその差出人について知る必要があるだろう。

そこで今回の記事では、あなたを愛する神がどのような存在なのかについて、その役割や性質を詳しく学んでいく。

神の名前~ヤハウェ

モーセに出現したヤハウェ

神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。(出エジプト3:14

聖書の神の名前:ヤハウェ

  • 日本語表記:ヤハウェ、エホバ[i]
  • 英語表記: Yahweh, Jehovah
  • ヘブル語表記(原語):יהוה ※専門的にテトラグラマトンと呼ばれる子音から成る四文字である

聖書の神の名前は、「ヤハウェ」であり、この神の固有名詞は、ヘブル語の聖書の中におおよそ6800回も登場する。

名前の意味: わたしはある。

かつてモーセという人物が神に名前を尋ねた時、神は「わたしは、『わたしはある。』という者である。」とお答えになった。(英語では、 I am who I am となる)この「わたしはある」が、ヤハウェという名前の意味を表す部分である。

この名前はヤハウェの本質を表しており、そこには、「自立自存」「いかなる限界もない」「永遠の存在」としての意味が込められている。ヤハウェは、万物の根源であるため、他のいかなる物にも依存しておらず、完全に自立自存している。そして、いかなる能力の限界に制限されることなく、永遠に存在しているのである。[ii]

「わたしは在る」この神名は、まさに万物の創造主だけが持つことのできる、ユニークなものであることがわかる。

聖書の神の役割

神は万物の創造者

創造者

初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1

聖書の最初の言葉は、ヤハウェによる万物の創造者としての宣言で始まる。地球とそこに存在する全ての生命、宇宙とその中にある全ての星々は、ヤハウェによって創造された創造物である。万物は、ヤハウェの創造の働きなくしては、存在すらしていなかった。

さらに聖書は、創造された万物が、今もこうして存在し続けているのは、創造主の意志と力による、と教えている。

主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」(黙示録4:11)

創造主と被造物の関係:

ここで、神と人間の関係が明らかになってくる。私たち人間は、100%神に依存しており、神の創造無くしては、はじめから存在していない。さらに、今もなお神の力に支えられなければ、片時も存在を続けることができない。このように、私たちには、無条件に神に感謝をし、誉め称えるべき十分な理由があるのだ。

父親

「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」

聖書の中で、神は繰り返し「父親」として表されているが、これは極めて適切な表現だと言える。どんな人間の子供も、親がいなければ生まれてくることはできないが、同じように、全ての人間は、父なる神によって命を与えられたのでなければ、生まれてくることはできなかった。

父親が子供に対して担う役割

神が父親として表現されている基本的な理由は、古代中近東における父親の役割が、聖書の唯一神が人間に対して持っている役割と、とてもよく似ているからである。

父親は、家族全体に目を配り、養い、守り、育てる役割を持っている。同じように、神も子供である人間に対して、同じような役割を担っている。

私たちは、地球上の環境から、あらゆる恩恵を受けているが、それは神が人間を養っているからだ。また、神は世界中の人間を教育するために、聖書を通して、正しく生きる道を示している。

このように、神は単に人間を創造して、放置しているわけではない。父親が子供を愛するように、様々な形で働いてくれているのである。

では、なぜ神が父親のような存在ならば、この世界に多くの苦しみが存在するのだろうか?それは、人間が全体として、父親である神の愛や教えを退けて、自分の願望や欲望に沿って生活しているからだ。

神は人間に自由意志を与えた。そのため、もしも人間が神を父親と認ないなら、たとえ苦しみに遭うとしても、教訓を学ばせるために、その選択に介入しないのである。自由意志については、また次の記事で、もう少し詳しく取り上げる。

※こちらの記事も合わせてお勧めしたい。「神を父なる神と呼ぶのはなぜですか?

至高者(いと高き方)、王

「すべての国々の民よ。手をたたけ。喜びの声をあげて神に叫べ。まことに、いと高き方【主】(ヤハウェ)は、恐れられる方。全地の大いなる王。」(詩篇47:1-2

いと高き方(至高者)、大いなる王、主の中の主、これらの称号によって、ヤハウェは万物の中にあって最高・絶対的な権威を持っている存在として、啓示されている。それは、神が創造者である、という事実を考えれば、当然のことだと言える。

ヤハウェは普遍的な意味において永遠の王だが、これまでの数千年間の人類史においては、人間が神から独立した道を行くことを許してきた。しかし、聖書の預言によれば、神は近い将来、実際的な意味において、王として地上を支配する永遠の王国を確立することを約束している。

至高者・王と人間の関係

王の存在は、その王国の住民に、王に従う責任があることを示している。したがって、ヤハウェが万物の王であるという事実は、その国の住民である人間に、ヤハウェに従う責任があることを示している。全ての人間は、至高の神である王に従うかどうかを試されているのである。

裁き主、法令授与者

まことに、主は我らを正しく裁かれる方。主は我らに法を与えられる方。主は我らの王となって、我らを救われる。」(イザヤ33:22

神は創造主、王であると同時に、万物に法を与える法令授与者、その法に沿って裁く最高裁判である。例えば、この宇宙を支配している物理法則は、神が物質に与えた「法」である。同じように、神は知性にしたがって生きる人間に「法」を与えたが、その法が記されている書物が、「聖書」である。

裁き主と人間の関係

全ての人間は死んだ後に、最高裁判官である神の前に立たされ、地上生涯における全ての行いとその動機を裁かれる。裁きの基準は聖書に記されている神の律法であり、その内で最も大切なものは、「心を尽くして神を愛すること」「隣人を自分自身のように愛すること」である。その裁きは完全に公正である。

神の裁きは完全に公正であり、良いことであれ悪いことであれ、一人一人は、必ずその報いを与えられる。多くの人が、正しく裁かれる神の存在を知らず、ただ自分の欲望にしたがって生きているのは、悲しいことである。全ての人間が、裁き主である神の存在を知れば、この世界の悪は激減するだろう。

神の道徳的属性

神は聖なる神

聖(神聖さ)

聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」(イザヤ6:3

ヤハウェは完全な聖さを持つ神であるため、どんな汚れも容認することができない。ヤハウェがかつてモーセを通してイスラエルに与えた律法には、清めに関する多くの規定が設けられていたが、その理由について、神はこのように語った。

あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。」(レビ19:2

神が忌み嫌う汚れの本質とは、物質的なものではなく、霊的なものであり、聖書はそれを「罪」と呼ぶ。聖書の中では、具体的な罪の行為として、偶像礼拝、不道徳、貪欲などが挙げられているが、罪の本質的な定義とは、創造主を信頼しないことである。

神は聖なる者であるために、罪の汚れを持つ人間は、いかなる努力によっても、そのままで神に近づくことはできない。しかし神は、人間が聖さを取り戻し、再び神に近づくことができるようにと、特別な方法を用意している。

愛(憐れみ、慈しみ)

「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、」(出エジプト34:6-7

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16

神の道徳的な性質の中で、最も重要なものは、「愛」である。神の愛には様々な側面があり、それは、憐れみ深さ、情け深さ、怒りに対する遅さ、罪の赦し、恵み深さ、となって表れる。

神は愛であるが故に、他者との人格的な交流によって、愛を育むことに喜びを見出す。

神は一人一人の人間を、深く愛しており、その愛の大きさは、人間の想像を遥かに越えている。神の愛は無条件の愛であり、それは私たちが置かれた状況、能力や社会的地位に、一切左右されることはない。だから、神の愛を本当に理解した人は、周りの人間からの評価に囚われなくなり、神と同じような無条件の愛を、周りに示すことができるようになる。

神は今から約二千年前に、独り子を通して人類の歴史に介入した。それは、汚れによって神と断裂した人間の全ての罪を、独り子に背負わせて、罪の赦しを与えるためであった。この行為によって、人間が聖なる神に再び近づく道が開かれたと同時に、独り子の命を惜しまぬほどの、人類に対する神の愛が明らかにされた。

義(神の義)

「主は正義と公正を愛される。地は主の恵みに満ちている。」(詩篇33:5

「義」とは、正しいこと、正しい状態を表す言葉である。ヤハウェの属性は「完全な義」であり、聖書では「神の義」とも呼ばれている。善悪を識別する倫理観は、神の属性の重要な部分である。

神の義の基準は、人間の義の基準よりも遥かに高い。したがって、人間が神の前で義(正しい)とされるためには、人間の義(人間が考える正しさの基準)を捨てる必要がある。

神は自身が義であることを、以下のような行動によって具体的に示される。

1:常に真実を語る(偽りを語らない)

聖書には、「神は真実である」と書かれている。神は偽ることができず、どんな時でも真実を語る。神が真実であるが故に、私たちは神を信頼することができるのだ。

2:約束を必ず守る。

神は預言者たちの口を通して、多くの約束を人間に語ってきた。それらの約束がことごとく果たされてきたことは、聖書の預言と歴史を調べれば確認することができる。かつてパレスチナの土地の征服を成し遂げたイスラエルの指導者ヨシュアは、晩年に次のように力強く語った。

あなたがたは、心を尽くし、精神を尽くして知らなければならない。あなたがたの神、主が、あなたがたについて約束したすべての良いことが一つもたがわなかったことを。それは、一つもたがわず、みな、あなたがたのために実現した。」(ヨシュア23:14

3:公正である。

神は全ての物事を完全に公正に扱い、そして裁く。人間は弱い生き物であり、時と場合によって不公平な判断をしてしまうが、神はそのような失敗を犯すことはない。

神は公正であるが故に、良い行いに対して必ず報いを与えるが、同時にいかなる罪に対しても必ず罰を設ける。神が愛によって罪人を赦すために、罪の身代わりとしてイエスを十字架にかけたのは、神の義を貫くためであった。

神の自然的属性

全知

主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる。」(歴代誌第二16:9

この世界に、神の知らないことは何一つ存在しない。人の心の中の状態でさえ、神は全てを把握している。したがって、真実であり、全知である神の前には、いかなる偽善も通用しない。しかし神は、心の正しい者が誰かをよく知っており、そのような心で神を求める人々のためには、強大な力をもって救いを与えることができる。

神は、過去から現代だけでなく、遠い未来に起きることも、完全に知っている。神が、遠い未来の出来事を正確に預言することができるのは、このためである。

全能

神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1:37

主はアブラムに現われ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。」(創世記17:1

ヤハウェには、いかなる限界も存在しない。神が全能であるということは、神にとって、この世界で成し遂げられないことは、何一つ無い、という意味である。その全能性は、宇宙の広大さやそこに満ち溢れている巨大なエネルギー、また地球上の生命の驚くばかりの精巧さによって、明らかにされている。

神が全能の力で宇宙を創造したことを理解できれば、聖書の記されている奇跡を疑うことは無くなるだろう。聖書の預言によれば、近い将来、神は地上に楽園を回復させる。神が全能であるために、私たちはその約束に、希望を置くことができる。

永遠

わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」(黙示録22:13

今おられ、かつておられ、やがて来られる方から」(黙示録1:4

神は永遠の存在である。神には始まりがなく、終わりも無く、常に今この時に存在する。神の永遠性に比べると、百年足らずの人の一生は、あまりにも短い。しかし、神は人間に、再び永遠の命を与えると約束している。(ヨハネ3:16)。神が永遠の存在だからこそ、私たちはその約束を信じることができる。

唯一

神は唯一、永遠である

「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。  5 あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:4-5

「神は唯一である」、これは、ヤハウェにとって極めて重要な宣言である。これまでに考慮してきたヤハウェの役割や属性を考えれば、神が唯一の存在であるという結論は、必然的に導き出される。

世界には、人間から拝まれている様々な偶像が存在するが、それらは実在しない神々である。万物を創造した神は唯一の神であり、ヤハウェだけが、生きていて、私たち人間と人格的な交流を持つことができるのである。

 

今回までの一連の記事で、創造主なる神が、聖書という手紙を人間に書き送っていること、そして、その神がどのような存在なのかについて詳しく学んできた。

では、神は人間をどういう目的で、どのような存在として造ったのだろうか?神が創造したのなら、なぜ世界には苦しみが蔓延しているのだろうか?これらの点は次の記事で取り上げる。

⇒アダムの創造から始まる本当の人類史

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脚注

[i]または「エホバ」とも訳される。聖書の神の名前の正確な発音は、現在失われており、それを知る人は世界には存在しない。「エホバ(Jehovah)」という発音の仕方は、長い間神の名前として世界中で受け入れられてきたが、現代の聖書学者の見解では、「ヤハウェ」という発音が最も正確である可能性が高い、という結論に達している。

日本語訳の多くの聖書では、「主」という表現に置換えられている。

[ii] ここにでてくる「ある」は、ヘブライ語の動詞「ハーヤー」で、これには「ある」「成る」「居る」「生起する」などの意味が含まれている。またここでの動詞には、1人称単数「未完了形」が用いられており、過去から未来に向けて絶えず継続して働き続けている状態を表している。

 

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