大患難時代―携挙、反キリスト、キリストの再臨|聖書預言―終わりの日
携挙―キリストの空中再臨
「16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(第一テサロニケ4:16-17)
携挙とは、「キリストが空中に再臨する時に、地上にあるすべての真のクリスチャンが天に挙げられ、不死の体を与えられる」ことを表す、神学用語である。携挙の時期や有無に関しては、キリスト教内でも議論があるが、聖書を含む一連の情報を精査した上で、私は携挙が大艱難時代の前のある時点で、突然生じる、と確信しているので、その前提で話を進めていく。[a]
生きている状態で、天に挙げられていく、という現象は、救済史においては初めての現象ではなく、旧約聖書時代の預言者エリヤや、イエスの昇天においても見られる現象である。終末期に生じる携挙は、キリストを信じる信者にとっては、歓喜に満ちた出来事である。彼らは携挙に伴って朽ちることのない栄光の体を与えられ、天の御国における永遠の祝福が受け取り始める。
「16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」(黙示録7:16-17)
携挙では、全ての真の信仰者は天に挙げられるが、うわべのクリスチャンは皆取り残される。彼らは、取り残された人々に待ち受ける大艱難を知り、激しく後悔をすることになるだろう。
また携挙は、地上に取り残された人間から見れば、かつて経験したことのない、謎の大量人間消失事件である。世界中のニュースでは、この事件が報道され、パニックに陥る人も少なくないだろう。
なお、ニコラス・ケイジ主演の映画「レフトビハインド / Left Behind」は、まさに携挙をテーマにした映画である。聖書を読むだけでは想像が難しいかもしれないが、映画を見ることで、多少の雰囲気を掴むことはできるかもしれない。※現在、Youtubeでも無料視聴できるようになっている。
『レフト・ビハインド』映画オリジナル予告編
『レフト・ビハインド』後半部分全てが公開されています。
携挙についてより詳しくは、「携挙の真実」をお読みすることをお勧めする。
大艱難時代の始まり~反キリストの七年契約
「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」(ダニエル9:27)
ここで、多くの者と堅い契約を結ぶ「彼」とは、「反キリスト」という称号で呼ばれる人物である。終末期(大艱難時代)に独裁的な権威を行使する「反キリスト」の台頭は、古代から聖書で繰り返し預言されており、その役割はキリストとは対照的で、全世界に滅びを招くことである。(創世記3:15、ダニエル8:23-25)
彼が結ぶ契約は「一週(七年)」に渡るものなので、7年間の大艱難時代は、反キリストがイスラエルの指導者たち[b]と結ぶ平和条約と共に、始まることになるだろう。この時点で、反キリストはある程度の政治的権力の座にいることは明らかだが、まだ世界を支配し、独裁的な権力を振るうほどではない。
しかし、丁度患難時代の中期に、彼は契約を破り、自らを神の座に掲げ、独裁的な支配を開始することになる。彼が地上を支配することを許されている期間は、丁度三年半である。(ダニエル9:27、黙示録13:5)反キリストの独裁支配の詳細は、追って明らかにしていく。
不法の増加、クリスチャンの迫害
「9 そのときあなた方は苦しめられ、殺されよう。そしてわが名のゆえにすべての民に憎まれよう。10 そのとき多くのものがつまずき、互いに裏切り互いに憎もう。11 多くの偽預言者がおこって多くの人々を迷わそう。12 不法が満ちるので多くの人の愛が冷えよう。13 しかし終わりまで忍ぶ人こそ救われよう。」(マタイ24:9-13)
不法の増加やクリスチャンの迫害は、大艱難時代を通して、世界的に見られる現象である。携挙をもって、地の塩・世の光としての役目を果たしていたクリスチャンが居なくなり、聖霊も地上から存在しなくなる。その代わり、地上では悪霊の働きが活発化する。
これらの理由により、地上の人々の間では愛が冷え、不法が増加することになる。またそれに伴い、この時代に神を信じるようになる人々に対しては、迫害が生じることになる。しかし、真に神を信じる人々には忍耐する力が与えられ、彼らは終わりまで耐え忍び、救いを勝ち取ることになるだろう。
福音が全世界に宣べ伝えられる
「そしてこのみ国の福音が全世界にのべ伝えられて、すべての民への証となろう。そのときにこそ終わりが来よう。」
(マタイ24:14)
「御国の福音」とは、イエスによる救いのメッセージである。このような患難の時代にあっても、人々から希望が無くなるわけではない。既に現代でも、福音は世界の隅々にまで伝えられているが、患難時代には、「二人の証人」と「144,000人」の特別な奉仕者が神によって任命され、福音はかつて無い規模と力で、世界中で伝えられる。イエスの預言通り、この福音が全世界で伝えられるまでは、終わりが来ることは決して無い。
反キリストと偽預言者による世界統一支配・666
大艱難時代の中期になると、反キリストはその本性を表し、三年半の間、世界を支配する。彼は世界中の人間に、自分を神として礼拝するように要求することになるだろう。
またこの期間、反キリストと共に世界支配の権力の座に就く、「偽預言者」と呼ばれるもう一人の人物が登場する。この人物は、超自然の力を用いて世界中の人々を惑わし、反キリストを礼拝させる。彼らが世界を独裁的に支配する程の力を持つことのできる理由は、竜(悪魔・サタン)が、彼らに全ての力を与えるからである。
また偽預言者は、全ての人間に、666という数字を、額か右の手に受けさせる。その名の数字を持つ者以外が、何も売ったり買ったりできないようにするためである。つまり事実上、この処置は、666を拒否する者から、生きる術を完全に奪うことを意味している。拒否する者は、例外なく厳しい状況に直面し、殺される者も多く出ることになるだろう。(黙示録13章)
5 この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。6 そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。7 彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。(黙示録13:5-8)
15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。16 また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。
17 また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。18 ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。(黙示録15-18)
ここで、大艱難時代を通過することになる全ての人に、厳重に警告しておくべきことがある。反キリストは、あなたの生活の保障をする代わりに、彼を崇拝し、獣の数字を受けることを要求してくるだろう。しかし、たとえ命を失うとしても、獣の数字(反キリストを示す666のこと)を受けてはならない。
なぜなら、あなたがひとたび獣の数字を額か右の手に受けるならば、あなたの永遠の運命は、反キリストや偽預言者と共に、火と硫黄の燃える湖になるからである。つまり、666の印を受けることは、回帰不能点を意味し、あなたの永遠の運命を地獄へと導くものとなるからである。
しかし、もしあなたが神の言葉を守り、獣の印(666)を拒否して迫害に耐えるならば、たとえ殺されたとしても、あなたの永遠の運命は、祝福された神の国となり、その素晴らしい地を永久に相続することになる。
神の怒り~ラッパと鉢の裁き
大患難時代に下される神の裁きは、終わりに向かって徐々に重みを増していく。ヨハネの黙示録の預言の中では、患難時代の後期に向かって、「ラッパの裁き」と「鉢の裁き」が、段階的に下されて、最終的には、人間が築き上げてきた地上の文明の多くは、壊滅的な状態となるだろう。以下に、裁きの内容を幾つか抜粋して紹介する。
第三、第四のラッパの裁き(黙示録8:10-12)
10 第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちて来て、川々の三分の一とその水源に落ちた。11 この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。
第四の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一とが打たれたので、三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、また夜も同様であった。
第一、第四、第五の鉢の裁き(16:2-9)
16:2 そこで、第一の御使いが出て行き、鉢を地に向けてぶちまけた。すると、獣の刻印を受けている人々と、獣の像を拝む人々に、ひどい悪性のはれものができた。・・・
8 第四の御使いが鉢を太陽に向けてぶちまけた。すると、太陽は火で人々を焼くことを許された。9 こうして、人々は激しい炎熱によって焼かれた。しかも、彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしなかった。
10 第五の御使いが鉢を獣の座にぶちまけた。すると、獣の国は暗くなり、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。11 そして、その苦しみと、はれものとのゆえに、天の神に対してけがしごとを言い、自分の行ないを悔い改めようとしなかった。
獣のしるしを受ける人々は、一時的に生活の安心を得ることになるだろう。しかし、それはつかの間のことである。獣のしるしを受ける人々には、もはや悔い改めの余地は残されていない。彼らは、反キリストと共に永遠の運命を共にすることになり、神からの厳しい裁きを受けることになる。
栄光の王・キリストの再臨―ハルマゲドンの戦い
これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。30 そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
31 人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。(マタイ24:29-31)
25 そして、日と月と星には、前兆が現われ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、26 人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。27 そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。 28これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。(ルカ21:25-28)
大艱難時代の一連の患難の後、キリストの再臨の直前の時点で、「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かさ」れる。おそらく、私たちが想像もつかないような、驚異の天変地異が、文字通りの形で天に現れるのだろう。
丁度その時、イエスは栄光の王・裁き主として、輝かしい栄光を伴い、稲妻のような速さと威力で地上に到来する。獣(反キリスト)を崇拝し、イエスの王権を支持しなかった、地上のあらゆる種族の人間は、自分たちに裁きが下される時が来たことを悟り、激しく嘆き悲しむことになる。
しかし、大艱難時代の中で、イエスの王権を支持し、迫害に耐え忍んできた者たちは、自分たちの信仰と忍耐が報われる救いの日が来たことを悟り、歓喜することになるだろう。
以上が、聖書が教える、大艱難時代に生じる、一連の出来事だが、多くの人々は、様々な理由によって、聖書が教えるこれらの終末の患難と裁きを、信じようとはしない。なぜなら、このような出来事があまりにも非現実的、非科学的だと考えたり、今生きる人生を謳歌することに夢中だったりするからである。しかし、キリストの再臨について考える時に、私たちが忘れてはならない、歴史上の重大な教訓がある。
人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。
「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。38 洪水前の日々は、ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。39 そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。」(マタイ24:37-39)
イエスは、自身の再臨の時を、「ちょうどノアの日(ノアの大洪水と方舟)のようだ」と語った。聖書によれば、かつて、ノアという人物が生きていた時代に、世界の人々の悪は極みに達し、神は当時の世界を大洪水によって滅ぼした。しかし、神を信頼して歩んだノアを含める八人の家族は、神の命令通りに箱船を建造し、無事に大洪水を切り抜けた。洪水が起きるまでの約120年の間、ノアは当時の世界の人々に、回心と悔い改めを訴え、大洪水について警告し続けたが、神の言葉を信じて箱船に入ったのは、彼とその家族だけであった。
ノアの方舟と大洪水は、架空の神話ではなく、実話であり、キリストの再臨の直前の時代に生きる全ての人々に、重要な教訓を与えている。なお、ノアの方舟の史実性の根拠については、以下の記事で説明している。
「旧約聖書の『ノアの方舟(箱船)と大洪水の伝説』は実話なのか?」
「創世記(聖書)の歴史がなぜ正しいと言えるのか 」
大洪水によって、滅ぼされた人々は、ノアの警告を無視して、「飲んだり、食べたり、めとったり、とついだり」して、日常の生活に没頭していた。また当時、あのような大洪水が起きたことは一度も無かったので、ノアの警告が非現実に聞こえ、信じようとしなかったのである。
キリストの再臨の直前の時代に生きる、現代の私たちも、まさしくノアの時代の人々と全く同じ状況に直面している。聖書が再臨に伴う患難と裁きについて与えている警告を、真剣に受け止めず、同じような日常生活を送り続けている。
聖書の預言は、これまでその通りに成就してきた。したがって、キリストの再臨に関する預言も、その言葉通りに成就することになるだろう。かつて大洪水を逃れるために、人々は箱船に入る必要があった。では、現代において、キリストの再臨を生き残るために必要なことは何だろうか?聖書は次のように教えている。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)
最後に、イエスの一番弟子であったペテロが、ノアの日とキリストの再臨について語っている、以下の聖句を紹介する。
「終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、3:4 次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」
3:5 こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、・・6 当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。7 しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。
8 しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。・・9 主は、・・あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
10 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。11 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。・・しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」(第二ペテロ3:3-13)
次の記事では、キリストの再臨の裁きの後に始まる神の国の祝福について取り上げる。
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脚注
[a] 根本的に、聖書をどのような言葉として読んでいくかによって、携挙を含む終末論の理解は大きく変わってきます。原則字義通りに読んでいく立場においては、大艱難時代の前に携挙があるとする「患難前携挙説」で一貫しており、それ以外の神学の立場では、聖書の言葉を大なり小なり比喩的に読んでいくことになるので、携挙の時期や携挙の有無については幾通りもの説が提唱されています。
昨今、イエスがクリスチャンたちに実際に現れ、直接的にメッセージを語る事例が増えています。これらの現象においては、大患難直前の携挙が現実であることが明確に告げられており、全てのクリスチャンが備えをするよう、繰り返し警告されています。
[b] 文脈上、反キリストが契約を結ぶ権力者たちは、基本的にイスラエルの指導者を意味していると考えられますが、他にも世界各国の指導者たちと、平和に関する契約を結ぶ可能性は十分にあります。
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