21. 二つの木、良い実と悪い実―偽預言者に気をつける|山上の説教の解説


21. 二つの木、良い実と悪い実―偽預言者に気をつける|山上の説教の解説

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二つの木―偽預言者に注意する(マタイ7:15-19)

15 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。16 あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。

17 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。18 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。20 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。

前回の記事では「狭い門」について学んだが、なぜ命に至る道を行く人が少ないのだろうか?その理由の一つとして重要なのが、今回の教えで語られる「偽預言者の存在」だ。

偽預言者―どんな人たちか?

15 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。

聖書における「預言者」の基本的な定義とは、唯一神ヤハウェから啓示された神の意思を伝達することによって、神と人とを仲介する者を意味する。したがって「偽預言者」とは、ヤハウェから語られてもいないのに「語られた」と主張したり、神の言葉を偽って語ったりすることにより、民衆を惑わす者のことを指している。

また、イエスが言及した「偽預言者」のより広い定義・適用としては、神の言葉を歪めて解釈し、それを教える宗教指導者たちを指すと考えても良いだろう。紀元一世紀当時で言えば、パリサイ人やサドカイ人がこれに当てはまる。

偽預言者の特徴について、イエスは「羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼」だと語った。つまり彼らの心は悪に満ちているが、その外見自体は偽物のようではなく、むしろその姿や言葉は本物のように見える。そのため人々は騙されて、やがて破滅と滅びの道へと導かれるようになるのだ。

イスラエル・教会史における偽預言者の実例

偽預言者の出没については、かつてモーセも予め警告をしていたが、イスラエル人はその後の歴史において、繰り返し偽預言者たちに惑わされていった。

13:1 あなたがたのうちに預言者または夢見る者が現われ、あなたに何かのしるしや不思議を示し、2 あなたに告げたそのしるしと不思議が実現して、「さあ、あなたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう。」と言っても、3 その預言者、夢見る者のことばに従ってはならない。あなたがたの神、主は、あなたがたが心を尽くし、精神を尽くして、ほんとうに、あなたがたの神、主を愛するかどうかを知るために、あなたがたを試みておられるからである。(申命記13:1-3)

このような偽預言者たちが現れる理由は、神の計画を妨害し、人を滅びに陥れようとする悪魔と悪霊の働きがあるからだ。また、神の言葉を曲げて利得を得ようとする貪欲な者たちがいるからだ。

エレミヤの時代の偽預言者たち

預言者エレミヤが活動していた、エルサレム崩壊の直前の時代、イスラエルの民は深刻な堕落に陥っていた。彼らに必要なのは罪の認識と悔い改めだったが、偽預言者たちは、民衆に偽りの平安を語り、彼らを惑わしていた。

13 なぜなら、身分の低い者から高い者まで、みな利得をむさぼり、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行なっているからだ。14 彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ。』と言っている。15 彼らは忌みきらうべきことをして、恥を見ただろうか。彼らは少しも恥じず、恥じることも知らない。だから、彼らは、倒れる者の中に倒れ、わたしが彼らを罰する時に、よろめき倒れる。」と主は仰せられる。(エレミヤ6:13-15)

イエスの時代の偽預言者たち

キリストの時代に適用できる偽預言者たちと言えば、パリサイ人やサドカイ人が挙げられる。彼らは「主が語られた」とは主張しなかったが、神の言葉を歪めて解釈した口伝律法によって、民衆に必要以上の重荷を負わせ、その心を惑わしていた。

このような霊的指導者の存在が大問題である理由は、彼ら自身が救われないばかりか、彼らの教えに従う民衆もまた救われないからだ。

「14 彼らのことは放っておきなさい。彼らは盲人を手引きする盲人です。もし、盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むのです。」(マタイ15:14)

結局、パリサイ人たちがイエスを公に拒否したため、民衆の多くもその決定に従ってしまい、その霊的盲目が、紀元70年のエルサレム崩壊へと繋がることとなった。

教会時代の偽預言者たち

教会史においても、偽預言者たちの影響は決して小さくはない。中世のカトリックでは、免罪符を買えば誰でも罪が赦されると教えられたが、人を破滅へ導く偽りの教えだったことは明らかだ。

昨今の1~2世紀では、キリストの再臨の日付を特定するような教えを語る数多くの偽預言者たちが現れた。エホバの証人は、その点で顕著な団体と言えるだろう。

また、統一教会のように、指導者自身がキリストの再来であると主張するような団体も数多くある。

他にも、初代のクリスチャンたちによって受け継がれてきた純粋な福音の真理を歪める数多くの宗派や指導者たちが起こされ、現代でも続いているが、いずれの教えも、信者たちを滅びへと通じる広い門へ導くものだと言える。

偽預言者の見分け方―その実を見る

16 あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。17 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。18 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。20 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。

以上のことを念頭に置けば、私たちが偽預言者たちを見分けることがいかに重要な問題なのかがわかるだろう。そこでイエスは、彼らを見分ける最善の方法として、「その実を観察するように」と警告した。

「木」と「実」のたとえは、人の霊的な状態と、その結果として外に現れる資質や行いを表すために、聖書の中でしばしば用いられる。(マタイ12:33、ヤコブ3:12)内側が貪欲であれば、それは必ず悪い資質や行いとなって現れてくる。一方、良い心を持っている人は、それが必ず良い資質や行いとなって現れる。

一時的に外見を取り繕うことができても、長期的に見ていれば、人の内側にあるものは必ず表に出てくるのだ。

良い実と悪い実の例―霊の実と肉の行い

パウロは、ガラテアの信徒への手紙の中で、良い実と悪い実の具体的な要素を、次のように列挙した。これらの要素は、私たちが偽預言者と真の預言者とを見分ける上で、大いに助けとなるだろう。

肉の行い(悪い実):
「19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。」(ガラテア5:19-21)

霊の実(良い実):
「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」(ガラテア5:22)

悪い木から離れ、良い木の内に留まる

イエスが「良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」と語ったのだから、私たちは偽預言者たちから離れ、彼らの教えをきっぱりと退ける必要があるだろう。

一方、キリストに従う者は誰でも、イエスという立派なぶどうの木についている枝である。良い実を結び続けるために、良い木の内に留まることを決意しよう。

4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ15:4-5)

クリスチャンが結んだ良い実の例―ドイツの犬猫の殺処分0の背景

ドイツは、日本と違って、犬猫の殺処分件数が0であることで有名だ。法的な制度が整っていることがその理由だが、そのような制度が実現した背景には、キリストという木の枝が結んだ良い実の存在がある。

1837年、ドイツのシュトゥットガルトで、最初の動物保護団体「Tierschutzverein Stuttgart」が創立された。この団体は、動物保護に強い思い入れを示していたアダム・ダン牧師の死後に、友人のアルバート・クナップ牧師がその遺志を受け継いで創立したものだった。

彼は、聖書の教えを元に「動物は人間の所有物ではない。人間と同じ痛みを感じる存在である。」と唱えて活動を広め、その運動はドイツ各地に広がっていった。その結果、「動物は社会に欠かせない一員だ」という考えがドイツ市民に根付き、今のような動物愛護の法制度に成立に繋がった。

良い木に繋がった枝が確かに良い実を結ぶという真理を示す、興味深い事例の一つと言えるだろう。

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6件のフィードバック

  1. 通りすがり2 より:

    御紹介いただいた「”聖書の誤り”の誤り」に目を通しました。
    このサイトによると、
    聖書の記述はところどころ”断絶”があり、例えば”ノアの大洪水”は
    日本の縄文時代よりかなり以前の、紀元前数万年としています。
    これならピラミッドや”水月湖の年縞”問題などは合理的に説明できますね。

    True Arkさんは今までの説を捨てて、こちらを支持するということで宜しいでしょうか?

    しかしこれが正しいとすると、
    これまでのTrueArkさんが述べてきた多くの”科学的説明”は誤りだったということになります。
    また創世記の記述も不正確といことになります。
    たとえば、ノアの年齢はアブラハムが生まれたころまで生きていたので、
    その寿命は数千年~1万年を超えることになりますね。

    • true-ark より:

      そちらのサイトは参考程度に載せました。おそらく、聖書に関する幾つかの誤解を解くためには有益だったとは思います。
      ただ、このサイトの著者の全ての主張と同意しているわけではなく、たとえば年代に関する著者の主張は、聖書の記述と相容れない部分があると、私は考えています。

  2. 通りすがり より:

    ”悪い木”とは? こんな人ですか?
    発言に矛盾のある人。
    質問に向き合わず、はぐらかす人、無視する人。
    すでに論破されているのに、別の場所でその説を説く人。
    根拠が無いのに、あたかも”真実”ように語る人。
    自分に都合の悪い事実や説を、初めから無かったように消し去る人。

    • true-ark より:

      発言の矛盾は謹んで訂正致します。
      質問には、これまでかなりのボリュームで回答をしてきました。
      その中の幾つかは、専門的な内容であるため、すぐに回答ができない性質のものです。
      根拠はありますが、神を信じない人には、その根拠すら見えないのです。

      通りすがりさんのこれまでのコメントの雰囲気やボリュームは、
      聖書の神・イエスに対しての怒り、どうにかして論駁してやろう、という気持ちを露わにしています。
      すでに、神がいかに通りすがりさんを愛しているか、ということは再三記事からも伝えて参りましたが、聖書の悪い点にしか目がいっていないように思えます。

      イエスは弟子たちに対して、そのような人と、必要以上に向き合うことはない、と明確に教えています。
      ですので、今後はそのように対処させて頂きます。マタイ10章や、7章、などをお読み下さい。その理由がわかると思います。

      なお、聖書に対する解釈や誤解から来ている指摘もかなり多いのですが、気になる点があれば、ご自身で、ハーベストタイムのメッセージステーションで、詳しく解説されていたりしますので、そちらをご覧下さい。また「聖書の間違い」の間違い、というサイトも参考にできます。

  3. 大切なのは”発言に一貫性があるか?”、”発言に矛盾が無いか?”ですね。
    神は天地創造の時代もイエスが活動した時代も、そして現代でも唯一、全能にして、ただ一つの完全なパーソナリティをお持ちです。
    神に矛盾はあり得ませんね。
    当然、モーセに示した神の正義は中世でも現代でも全く同じですよね。
    そして、西洋でも中東でもアジアでも日本でも、宇宙全体で全く同じですね

    • true-ark より:

      はい、神さまは時代を通じて一貫性を持って、人間を扱われていると確信します。
      時代によって命令の内容が異なるのは、状況が異なるからですね。

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