千年王国~キリストが実現する神の国|聖書預言―人類の未来
「愛する家族や友人といつまでも楽しく暮らしたい」
「戦争や争いの無い平和な世界で暮らしたい」
「犯罪や災害、病気の無い世界で暮らしたい」
人は誰でも、心の奥底に、このような願いを持っているのではないだろうか?その理由は聖書を読めば明らかである。はじめから人間は、そのような世界で永遠に生きる者として創造されているからである。(創世記1~2章)
どんな人間の指導者も、私たちが持っているこの本質的な願いを完全に満たすことはできない。しかし、私たち全てに、この願いに対する現実的な希望を与えているものがある。それが、聖書預言で明らかにされている「千年王国」と「新天新地」である。(新天新地については、次回の記事で取り上げる)
千年王国(神の国)とは
聖書の中で、千年王国(ヘブル的にはメシア的王国とも呼ばれる)とは、将来のある時点で地上に実現する神の王国である。その国の王は、再臨するイエス・キリストであり、彼はエルサレムから地の果に至る全世界を治め、永遠に渡る平和を確立する。
メシア的王国の支配の特徴は、愛である。王であるキリストは、全ての住民に深い愛情を注ぎ、彼らを守り祝福される。その結果、人々の間には、真実の愛が満ち溢れるだろう。
もう一つの重要な特徴は、義[ii]である。王であるキリストの目は全地を見通し、その腕はあらゆる人間の問題を、義によって公正に裁く。そこではもはや不正が容認されることはなく、人々の間には常に正義が行き渡る。
キリストの再臨によって実現する千年王国は、私たちが絶対的に信頼を置くことが可能な唯一の希望であり、それは地上に永遠の平和を実現することになる。その王国の最大の目的は、堕落した世界の回復を含む、神の栄光の回復である。
黙示録で明らかにされた千年間
救い主・キリストによって実現される神の国の到来については、旧約聖書の中で繰り返し預言されてきたが、ヨハネの黙示録20章では、その具体的な期間が「千年間」であることが明らかにされている。ここでの「千年」が、文字通りの千年間であるかは、キリスト教内において議論のあるところだが、黙示録の預言においては、「千年」という具体的な期間が6回に渡って強調されており、千年王国の前後において生じる出来事(第一の復活~聖徒による統治~サタンの解放、白いみ座の裁きなど)が具体的に示されていることから、筆者は文字通りの千年間の王国が来ると結論している。
※この点に関する詳細は、本記事の下部の脚注をご覧いただきたい[i]
では、千年王国において、私たちを待ち受けている祝福には、他にどのようなものがあるのだろうか?
千年王国(メシア的王国)とその祝福の内容
第一の復活~死に対する勝利~
「また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。5 そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。」(黙示録20:4-5)
「16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、」(第一テサロニケ4:16)
キリストの再臨の裁きが終了し、千年王国へ移行するまでに、それまでの時代に死んだあらゆる信仰者が、肉体の復活を遂げる。そこには、大艱難時代に迫害で殉教した多くの人たちも含まれる。ちなみにここで与えられる肉体とは、朽ちる体ではなく、不滅性を備えた栄光の体である。これらの復活によって、かつてイエスが語った次の言葉がことごとく成就する。
「事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」(ヨハネ6:40)
復活した人々は、王としての権威を与えられ、千年王国の期間中、王の王であるキリストと共に地上を支配する立場を得ることになる。
死人の復活について懐疑的な人がいるなら、当サイトの記事「キリストの復活は事実か?」をご覧頂きたい。聖書の神の力によれば、死人の復活は十分に起こり得ることが、論理的に理解できるだろう。
今から約二千年前、キリストは確かに肉体的な復活を遂げた。彼の復活は、彼を信じる全ての人々が、やがて終わりの日に復活することを意味していた。
イエスが聖書の預言通り確かに復活したのであれば、終わりの日における復活も確実である。私たちは、聖書の言葉を通して、人生に揺るぎない希望を抱くことができるのである。
なお、千年王国において、支配を受ける側の人々とは、大患難時代中にキリストに信仰を持ち、獣の刻印(反キリストのしるし)を受けずに生き延びた人々だと考えられる。
千年王国の住人の特徴
「【主】よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。2 正しく歩み、義を行い、心の中の真実を語る人。
3 その人は、舌をもってそしらず、友人に悪を行わず、隣人への非難を口にしない。4 神に捨てられた人を、その目はさげすみ、【主】を恐れる者を尊ぶ。損になっても、立てた誓いは変えない。5 金を貸しても利息を取らず、罪を犯さない人にそむいて、わいろを取らない。このように行う人は、決してゆるがされない。」(詩篇15:1-5)
上記の聖句は、千年王国の住人の一般的な特徴を表したものである[iii]。そこに住む人々は、正しく歩み、正義を行い、真実を語り、非難をせず、悪を行うことは無い。このような社会では、基本的に深刻な問題が起きることはない。警察は不要であり、防犯カメラもいらず、家の扉に鍵をかける必要はない。心からの信頼し合える人間関係が行き渡り、私たちは本当の意味で、安心して暮らすことができるだろう。[iv]
戦争は無い。普遍的な平和の確立
「2 終わりの日に、【主】の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。3 多くの民が来て言う。「さあ、【主】の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから【主】のことばが出るからだ。4 主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。」(イザヤ2:2-4)
上記で引用したイザヤ書2:4「彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、・・・」の言葉は、国連の広場の壁に刻まれている。国連は世界平和を目的として設立されているが、残念ながら人間だけの力によってそれが成し遂げられることは無い。過去の歴史においても、現代の世界を見てもそうである。
しかし、キリストの支配する神の国では、世界的な平和が確立される。なぜなら、エルサレムから出る主の言葉が、全ての住民に平和を教え、また多くの国々の間に、公正な判決を下すからである。完全な義と、その義を行使する権威と力を持つキリストの元では、もはや人々は争わず、戦いを学ぶことはない。人類が永い間待ち望んできた真の平和の時代、それが千年王国の姿である。
あらゆる病気や疾患が癒される
「5 そのとき、盲人の目は開かれ、耳しいた者の耳はあけられる。6 そのとき、足なえは鹿のようにとびはね、おしの舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ。」(イザヤ35:5-6)
人類は歴史的に、あらゆる病気や疾患で苦しんできた。しかし、千年王国では、神から注がれる祝福によって、あらゆる病を癒やされるようになるだろう。盲人は見えるようになり、耳の聞こえない人は聞けるようになり、足の不自由な人は飛び跳ね、口のきけない人の舌も開かれる。もはやそこでは、不治の病は存在しなくなる。
今から約二千年前のユダヤでも、これと全く同じことが起きた。イエスは、公生涯の間、ユダヤの全域を周り、あらゆる疾患を持つ人々を、片っ端から癒やしていったのである。
「イエスはガリラヤ中を回って、・・民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。24 そこで、・・人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。」(マタイ4章)
イエスが行った奇跡は、千年王国の祝福の前触れである。彼は、やがて自身が王として統治する際に、どのような力によって住民を祝福するのかを証明したのである。
死が激減する
「20 そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。・・・わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。23 彼らはむだに労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは主に祝福された者のすえであり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。24 彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。」(イザヤ65:20-24)
千年王国においては、死が激減する。そこでは、幼くして不幸な理由で死ぬ人は存在しない。キリストの統治に従う祝福された人々の寿命は「木の寿命に等しく」とあるように、永遠に続いていくことになる。彼らは回復される地上の素晴らしい世界で、死ぬことなく、存分に満ち足りた生活を送ることになるのである。
多くの人は、死に対する根源的な不安を持っている。しかし、千年王国で祝福を受ける者たちに、もはや死に対する恐れは無い。
個人的な平和と繁栄
「21 彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。22 彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。」(イザヤ65:21-22)
「地では、山々の頂に穀物が豊かにあり、その実りはレバノンのように豊かで、町の人々は地の青草のように栄えますように。」(詩篇72:16)
現代の世界において、仕事をすることは必ずしも喜びとはならない。むしろ、多くの人々が、過酷な労働環境によって、厳しい生活を送っているのが現状である。これには、社会の不公正や土地の生産性の問題が挙げられる。
ところが、メシア的王国では、これらの問題が解決される。アダムの罪によって地が呪われて以降、大きく下がっていた世界の土地の生産性は、メシア的王国の祝福によって、かつての状態に近づいていく。また社会から不公正が無くなるので、仕事には苦しみが伴わなくなる。
誰もが、それぞれ自分の家を持ち、その権利が侵されることは決して無い。全ての人々には、適切な仕事が与えられ、その労働は実り豊かで喜びのあるものとなる。
動物と人間との間の平和
「6 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。7 雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。8 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。9 わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。【主】を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。」(イザヤ11:6-9)
人類は歴史的に、動物を虐待してきているが、現代の汚染や過剰な資源消費は、その最たるものである。ある生物の絶滅に関するデータによれば、2~300年前には四年で一種程度だった絶滅のスピードが、1975年には1年間で1000種、今では1年間に4万種以上だと言われている。
また、人間側の虐待だけではなく、蚊や蛇などをはじめとする、動物側の攻撃によって死亡する人間も後を絶たない。
しかし、千年王国では、人間と動物の間で、また動物同士の間で、平和な関係が回復される。狼やライオン、牛や熊は、共に草を食べ、人間を含める他の動物を攻撃し合うことはない。ほんの小さな子供でも、マムシや熊と戯れることができるようになるだろう。
千年王国の祝福を受ける人となるために
以上が、メシア的王国の住民が受けるようになる祝福の数々である。これらの希望は、不確かなものではない。キリストの再臨とメシア的王国の支配は必ず起こるものであり、その時は近づいている。
本サイトでは、聖書の預言やその他の複数の記事を通して、これらの希望が真実であり、現実であることの論理的な根拠を提示してきた。
聖書の預言通りの出来事が、これから本当に起ころうとしているのなら、それはあなたの人生と命に直接関係している、重要な問題である。あなたは、永遠の命を勝ち取り、千年王国の素晴らしい祝福に与ることができるだろうか?それは、あなた自身の選択にかかっている。
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脚注
[i] 「千年」という期間については、黙示録の中で合計六回言及されているが、キリスト教の中では、それが文字通りの千年なのか、象徴的な意味なのか?議論がある。この点については、筆者自身は、聖書を研究した上で、文字通りの千年だと信じるに至っている。
千年を象徴的に解釈する場合、根拠となる主要な聖書の他の聖句は、出エジプト34:7の「恵みを千代も保ち」や、第二ペテロ3:8「一日は千年のようであり、千年は一日のよう」、また黙示録の中で象徴的な表現が多いことが挙げられるだろう。
しかし、黙示録の中で言及されている千年には、具体的な期限が設けられている。「この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき・・・千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。その後で、竜はしばらくの間、解放されるはずである。」(黙示録20:2-3)
この聖句から洞察できることは、ここで言及されている「千年」は、諸国民が惑わされない一定の長さの期間を指しており、それには期限がある、ということである。したがって、ここでの千年が期限の無い永遠の時間を指していたり、不確かな長期間を指している可能性は、とても低い。
[ii] 「義」とは、正しいこと、正しい状態を表す言葉である。神の属性は「完全な義」であり、聖書では「神の義」とも呼ばれている。
[iii] 千年王国では、復活した栄光の身体に変えられた罪の無い完全な人間だけでなく、罪を受け継ぐ肉体を持ったまま大艱難時代を通過した人間も存在することになる。したがって、千年王国では堕落した世界の回復が行われつつも、依然として若干の罪の影響は存在し続けるため、罪を犯したり、その影響によって死ぬ人も出てくることになる。とはいえ、それらの人々の影響は、現代のそれとは比較にならない程、小さなものである。
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