イエス・キリストは聖書で預言されていた救い主なのか?(前編)

メシア預言

イエスが成就したメシア預言とは

世界の歴史には多くの偉大な人物がいる。しかし、その中に一人だけ、遥か遠い昔から、出生を預言されていた、極めてユニークな人物がいる。その名を「イエス・キリスト」と言う。彼は、約二千年前のパレスチナの地に、突如として現れた人物とはいい難い。なぜなら、彼がその時代に誕生し、そしてどのような生涯を送るのか?後世にどのような影響力を残すのか?それら全ては聖書の中で預言されていたからだ。

聖書の中にはたくさんの預言がある。実に、2000ページ以上にもなる分厚い聖書の四分の一は、預言で構成されている。ではその中で最も重要な預言とは何だろうか?100人の聖書学者を集め、同じ質問をしたら、彼らは口を揃えて「メシア預言」と言うだろう。

「メシア」とは、ヘブライ語で「聖油を注がれた者」を意味し、ギリシャ語では「キリスト」、日本語に訳せば「救い主」と言える。したがって、イエス・キリストの「キリスト」は、彼の本名ではなくタイトルであり、彼は「イエス・救い主」と呼ばれているのである。

聖書預言において、メシアの称号が意味するところは、神的な権威と力によってイスラエルと全世界を永遠に治める王である。その王は、聖書の神ヤハウェによる人類救済計画の要であり、メシアの働きを通して、神の計画は完成に至る。その計画の全貌は、冒頭の書「創世記」から始まって、ジグソーパズルのように聖書全体に散りばめられており、巻末の書「黙示録」によって、そのパズルは完成を見る。

「初臨」と「再臨」、二度に渡るメシアの到来

メシア預言を調べていくと、その内容が「初臨に関するもの」と「再臨に関するもの」に分かれていることがわかる。これはつまり、メシアは二度に渡って地上に来る、という意味であり、一度目の到来が「初臨」、二度目の到来が「再臨」となる。聖書の中には333ものメシア預言があると言われている。その中の111は初臨に関するもので、残りの222は、再臨に関するものである。*1

イエスは、約二千年前のパレスチナの地で、その生涯を通して「初臨」に関する預言を次々と成就させていった。イエス自身も、「わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就する」(ルカ24:44)と語り、その事実を明らかにしていた。

イエスが初臨に関するメシア預言を全て成就したのであれば、再臨に関する預言も、同じように成就すると考えることができるだろう。私たちは、メシア預言を通して、神の計画の全貌を理解するとともに、預言を必ず成就させるヤハウェの全能性を知り、人類にとっての真の希望を見出すことができる。では早速、初臨に関するメシア預言を調べていこう。

イエスはどのようにメシア預言を成就したのか?

メシアの初臨に関する預言の説明は多少長くなるので、二つの記事の分ける。本記事では、出生に関する内容を中心として紹介し、次の記事では受難と復活や後世への影響に焦点を当てていく。

預言1)アブラハム、ユダ、ダビデの子孫として生まれる

聖書の神ヤハウェは、来るべき救い主が、誰の家系から誕生するのかを、長い年月をかけて漸進的に明らかにしていった。最初にメシアの家系となる祝福を約束されたのは「アブラハム」という人物であり、彼はユダヤ教・キリスト教・イスラム教の開祖とも言える、あまりにも有名な人である。その後、メシアを生み出す家系となる祝福の約束は、ユダの子孫 → ダビデの子孫 へと継承されていく。※ユダ、ダビデ共に、ユダヤ人である。

【アブラハムに対する預言】
「あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。」(創世記22:18)

【ユダに対する預言】
「王笏はユダから離れず/統治の杖は足の間から離れない。ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。 」(創世記49:10)

【ダビデに対する預言】
「わたしは、彼(ダビデの子孫)をわたしの家とわたしの王国の中に、とこしえまでも立たせる。彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ。」(第一歴代誌17:14)

預言の成就

イエス・キリストは、ユダ部族、ダビデの子孫から誕生した。この事実は歴史的に明らかであり、議論の余地は無い。新約聖書のマタイ1章には、アブラハムからイエスに至るまでの系図が詳細に記録されており、系図のタイトルは「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。」となっている。

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預言2)ベツレヘムで生まれる

メシアは、イスラエル国内の、「ベツレヘム・エフラタ」という小さな町で生まれることになっていた。イスラエルを治める者とは、メシアのことである。

「しかしベツレヘム・エフラタよ・・イスラエルを治める者があなたのうちから/わたしのために出る。」(ミカ5章2節)

預言の成就

「彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、 初子を産み」(ルカ2章6-7節)

イエスの両親のヨセフとマリアは、当時ナザレという町に住んでいた。しかし、丁度マリアの出産のタイミングで、当時のローマ皇帝から人口調査の勅令が出たため、彼らは登録を行うため、故郷の町である「ベツレヘム・エフラタ」に行かなくてければならなくなった。そして、丁度彼らがベツレヘムに滞在している時、マリアの月が満ちて、彼女はイエスを出産した。もしローマ皇帝が人口調査の勅令を出さなければ、この預言は成就しなかっただろう。

預言3)貧しい家庭で生まれる

「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。2 その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。」(イザヤ11:1-2)

「主の霊」が留まる「若枝」とは、メシアを表すが、ここの預言の一節の強調点は、メシアの出自の低さにある。ここで描かれているイメージは、切り倒されて枯れた株から、若枝が出て実をつける。

最初に紹介した預言で、メシアがダビデの子孫から生まれると説明したが、そのダビデの父親の名前が「エッサイ」であった。エッサイの家は元々ベツレヘムの貧困家庭だったが、ダビデがイスラエルの王として召されたことによって、誉ある王家へと引き上げられた。

したがって、ここの聖句の強調点は、ダビデの家系が、エッサイの時代のような貧困家庭に落ちれた後、貧しい境遇の元、メシアが誕生する、ということである。

預言の成就

「さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。 ――それは、・・・主の律法に「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽。」と定められたところに従って犠牲をささげるためであった。」(ルカ2:22-24)

ヨセフとマリアは、イエスが生まれた後、律法の規定に従って、エルサレムの神殿に犠牲を捧げにいったが、彼らが捧げたのは、2羽の鳥だけだった。律法によれば、貧しい家庭であれば、「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」だけを捧げるだけで許された。このことから、イエスが生まれた家庭は、貧しかったことがわかる。

預言4)あらゆる体の病気を奇跡で癒やす

「そのとき、盲人の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳はあけられる。そのとき、足なえは鹿のようにとびはね、口の聞けない者の舌は喜び歌う。」(イザヤ35:5-7)

成就

「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」(マタイ11:5)

「イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。24 イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。それで、人々は、さまざまの病気と痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかん持ちや、中風の者などをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らをお直しになった。」(マタイ4:23-24)

イエスは公の活動を開始した時から、国中を回って、片っ端から奇跡で病気を癒やしていった。彼の言葉によって治らない病気は一つも無かった。これらの驚くべき奇跡は本当に起きたのだろうか?

新約聖書の原本の多くが完成した年代は、どれもイエスの死後20年~50年の間であり、イエスの奇跡を目の当たりにした大勢の証人が、国中で生存している時代だった。このような状況において、イエスの活動を偽証することは全く不可能であっただろう。(参考記事:キリストの復活は事実か?

イエスに対して反対の立場をとったユダヤ人でさえ、イエスが奇跡を行ったことを否定することはできなかった。実際に、ユダヤ教の経典「タルムード」では、今でも「イエスは魔術を使って奇跡を行い、人々を惑わせた」と記録されている。この事実は、イエスが行った奇跡が、当時のユダヤ教宗教指導者たちにとって否定できないほど明らかなものであったことを示している。

新約聖書の記録は、歴史的資料として、極めて信頼できることは、どの学者も認めている。そして多くの専門家は、一連の証拠を重ね合わせた上で、イエスの奇跡の記録は、嘘偽り無い真実であったと結論付けている。

なお、この預言が完全に成就するのは、キリストの再臨後であるが、イエスはその時に行うことになる偉大な奇跡の前味を示し、自身がメシアであることを証明したのである。

次回の記事では、初臨に関する残りの預言を紹介する。

バプテスマを受けるイエス

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