聖書預言は信頼できるのか?確かな未来を啓示する神の言葉
多くの人は、将来について知りたがる。自分の未来には何が待ち受けているのか?また世界の未来はどうなるのか?答えを得るために、ある人は占い師のところへ行き、別の人は著名な投資家の経済予測に目を通し、科学者のコメントに耳を寄せる場合もあるだろう。
ただし、こうした類の情報は、短期的に多少の益をもたらすとしても、外れる可能性も常にあり、確かな未来を知る手がかりとはならない。ところが、あらゆる視点において、これら全ての予言や予測とは明確に一線を画す、驚くべき情報がこの世の中には存在する。それが聖書預言である。
聖書預言は信頼できるのか?確かな未来を示す神の言葉
聖書という本の存在について知らない人はいないだろう。しかし、この本に数多くの預言が含まれているということは、少なくとも日本ではあまり知られていない。聖書は二千ページ以上からなる分厚い本だが、実際にはその中の四分の一は、預言で構成されている。預言は聖書における一つの側面として、極めて重要な部分なのである。
聖書は、神ヤハウェ(ヤハウェは聖書の神の固有名詞)からの霊感を受けた書物として知られているが、では何を根拠に聖書が単なる人間が書いただけの本では無いと言えるのだろうか?その根拠の一つとして挙げられるのが、まさに「預言とその成就」なのである。ここで、聖書に霊感を与えた、神ご自身の言葉を紹介したい。
「『遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。」(イザヤ46章9-10節)
非常に力強い宣言である。ヤハウェは、「終わりのことを初めから告げる」と語り、遠い将来に起きることを的確に予告できると語っている。また「わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる」と語り、自分が目的としているどんな事でも、必ずそれを果たす力を持っていると宣言している。これらの宣言は、明らかにヤハウェの全能性を表す表現である。
では、これまでの人間の歴史は、神ヤハウェが宣言したことが真実であることを示しているのだろうか?答えは「Yes」である。聖書の預言の内容と人間の歴史を照らし合わせれば、神の言葉がいかに驚くべき仕方で成就しているのかを確認していくことができる。聖書預言は、必ず果たされるのである。
「預言」と「予言」は意味が異なる
一般的に将来の物事を告げる行為を「予言」と言うが、聖書の場合は「預言」と書く。これらには明確な違いある。「予言」とは、単に将来のことを告げる行為を指し、それ以上の意味は無い。一方「預言」とは、神から受けた啓示を人々に伝える行為全般を指す。
聖書の預言には、将来の情報も含まれるが、単に未来を明らかにすることが、その目的なのではない。聖書預言の目的は、預言の源であるヤハウェという名の人格を持った神の、愛と正義と聖さに基づく性質を啓示することである。また、歴史を通して働き続ける、神による人類救済計画を明らかにすることも、聖書預言の主要な目的であり、その最終的なゴールは神の栄光の回復である。
救済史(人類救済計画)の全体像
「木を見て森を見ず」ということわざがあるように、物事の一部分や細部だけに目を留めるならば、その物の本質や全体像を見失い、誤った視点に陥ってしまう。聖書の預言とその成就について学んでいく時も、これと同様である。
創造主による人類の救済計画「救済史」とは、最初の人間アダムとエバが犯した罪によって、呪いと死を被った堕落した世界を、救い主(メシア:ヘブル語、キリスト:ギリシャ語)によって回復し、人類と万物の状態を新たにする神の働き全体と定義される。
救済史には具体的な段階があり、その段階は聖書の預言を通して、これまで前進的に明らかにされてきた。以下に、その全体像と大まかな段階を示す。
- 最初の人間の堕落
アダムとエバの背き、サタンの反逆(創世記3章) - キリストの初臨(最初の到来)
二度の到来の内の最初の到来。人類の罪の贖いのために犠牲の死を遂げる。(四福音書) - キリストの再臨(二度目の到来)
全人類を裁いて地上を治める、栄光の王としての到来。(マタイ24~25章) - メシア的王国の支配(千年王国)
千年に渡って、メシアが全世界を統治し、堕落した世界を回復する。(黙示録20章) - 永遠の世界。新しい天と地
神は古い世界を一新し、新たな完璧な世界を再創造し、それが永遠に続く。(黙示録21~22章)
日本人の場合、救済史を理解するためには、まず進化論について、考え直さなければならない。このテーマについての科学的・論理的根拠については、こちらの記事での確認をお勧めするが、論理的帰結として、人類の始まりは、神がアダムとエヴァを創造し、エデンの園(楽園)に住まわせたことに遡ることができる。(創世記1~2章)
1. 最初の人間の堕落
ところが最初の人間夫婦は、神の命令に背き、禁じられた木の実から取って食べ、完全な世界に罪と死と呪いをもたらした。これが、人類史の堕落の始まりとなり、その結果がいかに悲惨なものであるかは、これまでの世界の歴史がそれを証明している。(創世記3章)
人類救済計画が明らかにされる
しかし、地球と人間に対する神の計画は挫折したわけではなかった。神には、一人の救い主となる人物を通して、アダムとエバの堕落によって失った楽園を取り戻し、人類と万物の状態を新たにする計画があったのである。
神ヤハウェは、アダムとエバの反逆後すぐに、以降の救済史の要・大原則となる、最初の預言を語られた。専門的は「原福音」と呼ばれる聖書預言である。
「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
「おまえ」とは、エバを唆した悪魔(サタン)のことであり、彼(女の子孫)とは、神が任命する救い主のことである。後代になって詳細が明らかになることだが、この原福音には、救い主によって、人類の罪が贖われることと、罪をもたらす悪の力が打ち砕かれることが示されているのである。
人類史の初期から、神は多くの預言者たちを通して、救い主(メシア:ヘブル語)となる人物の到来を明らかにしてきた。救い主に関する預言「メシア預言」の内容には、初臨に関するものと、再臨に関するものがあり、合わせると333もの数のメシア預言が、聖書に収められている。
2. 救い主(メシア)の最初の到来(初臨)
そして、紀元一世紀、初臨に関するメシア預言の成就として、満を持して登場したのが、イエス・キリストである。初臨のメシアの主要な目的は、罪の贖いであり、それは全人類の罪を背負って十字架に至り、悔い改める全ての人に罪の赦しを与えるためであった。(イザヤ53章) ここにおいて、神の正義と、人間に対する深い愛情は、余すところ無く明らかにされた。その後イエスは復活し、初臨に関する全てのメシア預言を成就し、天に帰っていった。(ルカ24章)
3. メシアの二度目の到来(再臨)
そして、再臨に関するメシア預言は、これからの時代に成就する。再臨におけるメシアの到来は、栄光の王として到来であり、イエスは再び目に見える形で地上に現れ、全世界を正義によって裁き、神の王国の支配を確立する。
4. メシア的王国の支配(千年王国)
メシアによって統治される神の御国(メシア的王国、あるいは千年王国)は、千年に渡って地上全体を支配し、アダムの罪とサタンの反逆によって堕落した世界を、完全に元の状態へと回復する。メシアの統治に服する者は永遠の命を得るが、背く者は全て滅びることになる。(黙示録20章、イザヤ11章)
5. 永遠の世界。新しい天と地
千年が終わると、サタンが一時的に解き放たれ、最後の反逆が起きるが、すぐに神の裁きが下り、反逆は収束する。続いて、神は古い世界を一新し、新しい天と地を創造し、そこは永遠に続く世界となる。神に反逆した全ての者は、永遠の裁きを受けるが、神に従う者たちは限りなく永久に祝福を受ける。(黙示録21~22章)
以上が、聖書の歴史と預言によって啓示されてきた、ヤハウェによる救済史の全貌であり、人類の歴史は、この救済史の目的に沿って、最終的なゴールへと進んでいる。
聖書の預言には、調べる価値がある。なぜなら、聖書預言を通して明らかにされている救済史は、この記事を読む全ての人の人生に直接関係しているからだ。また、聖書は紛れもなく神の言葉であり、そこで明らかにされている神の性質と人類救済計画は、全て真実だからである。
是非、少しの時間を取って、聖書とその預言についての以下の記事を読んでみることをお勧めする。用いる時間は僅かだが、刈り取る報いは非常に大きいだろう。
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