コーランから神の子キリストを見出す 元イスラム教指導者 マリオ・ジョセフの証
厳格なイスラム教の家庭で育ち、イスラム指導者となるよう教育されたマリオ・ジョセフ氏は、ある日モスクで、イエスは神ではないことを説いていた。すると、聴衆から「イエスは何者ですか」という質問を受け、イエスが実際何者だったのかに興味を持ち、コーランを調べ始めた。
それから、彼はイエスの神聖さを感じさせる様々な記述を見つける。例えば、コーランではイエスを「カリマトラ(神の言葉)」「ローハラ―(神の霊)」「イェサルマシ(イエス・キリスト)」と呼んでいる。(キリストとは本来「救い主」の意)。また、彼は、イエスが盲人の目を開く等の奇跡を行い、今なお天に生きており、再び地に戻るのを待っている、という聖書と同様の記述を、コーランの中に発見した。
マリオはそこで、イエスを神だとまでは思わなかったものの、ムハンマドに関してはそのような神秘的な記述が見出されなかったことから、イエスはムハンマドより偉大な預言者なのだと思うようになった。その後、彼は恩師であるイスラム指導者との討論の末、神に祈って示されたコーランの一節から聖書を学ぶことを決めた。
聖書を学んでいく内に、「[イエスは]この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)という御言葉に出会った。人間を神(アラー)の奴隷だとするコーランと違って、人と神が親子のように愛し愛される関係を築けると説くキリスト教に好感を持ち、自分も神の子どもになりたいと思って福音を受け入れることを決意した。
しかし、マリオの父がそのことを知った時、彼の家族はコーランの教えに従って激しく彼を拷問した。コーランにはイスラム教を拒絶する者は殺すようにと書かれているからである。20日以上もの間、水も食料も与えられなかった彼は、骨だけになり頭も働かず死人のようになった。
そして、ついにある日、父がナイフを持って「イスラムの神」か、「イエス」のどちらかを選ぶよう、瀕死の彼に迫ってきた。イエスを選ぶのであれば、父は彼を殺すと言った。これで最後だと思った時、マリオはイエスが死んで蘇ったことを思い出し、自分もイエスを信じて死ねば蘇ることができると思い、イエスを選ぶ決心をした。
その時、月のような光が彼の額に射し、彼に抑えがたい程の力が湧いてきたのである。(続きはYoutubeで)
お世話になります。今回も興味深い記事をありがとうございます!
神との奴隷としての主従関係か、神の子としての親子のような愛の関係か…
もう、これだけでどちらが真の救いをもたらすか、頭で考えなくても、心で感じます。
ましてや、名誉を守るためとはいえ、殺人を容認しているなんて、イスラムのは神様とは思えない。
イスラムだけでなく、ギリシャ、エジプト、日本に代表される、多神教も、神同士で争ったり、兄弟で結婚したり、正しき神のすることとは思えないし、神を名乗る資格はないと感じました。
やはり、人を導き、救いを与える神ならば、絶対的な正しくあるべきと実感しました。
そして、偉大なるキリスト教の神様に対して、「お父さん」と呼びかけができることに感謝します。奴隷ではなく、親子。まさに愛のなせることです。
「お父さん」と呼びかけて祈ることは楽しいです!
学校や部活、会社や趣味のサークルなどで起きたいろんなことを、お父さんに話してきいてもらう。
子供が、嬉々として部活などのできごとを父親に話すような感じです。
だから、私は神様に祈ることは喜びの中で祈ります。
イスラムだと、それが無くて、婦人は理不尽な暴力などに耐えなくてはならない。
多くのイスラムの人達にも、早くキリストが現れ、真の正しい、愛の神を受け入れられるようになるとよいですね!
お世話になります。今回も興味深い記事をありがとうございます!
神との奴隷としての主従関係か、神の子としての親子のような愛の関係か…
もう、これだけでどちらが真の救いをもたらすか、頭で考えなくても、心で感じます。
ましてや、名誉を守るためとはいえ、殺人を容認しているなんて、イスラムのは神様とは思えない。
イスラムだけでなく、ギリシャ、エジプト、日本に代表される、多神教も、神同士で争ったり、兄弟で結婚したり、正しき神のすることとは思えないし、神を名乗る資格はないと感じました。
やはり、人を導き、救いを与える神ならば、絶対的な正しくあるべきと実感しました。
そして、偉大なるキリスト教の神様に対して、「お父さん」と呼びかけができることに感謝します。奴隷ではなく、親子。まさに愛のなせることです。
「お父さん」と呼びかけて祈ることは楽しいです!
学校や部活、会社や趣味のサークルなどで起きたいろんなことを、お父さんに話してきいてもらう。
子供が、嬉々として部活などのできごとを父親に話すような感じです。
だから、私は神様に祈ることは喜びの中で祈ります。
イスラムだと、それが無くて、婦人は理不尽な暴力などに耐えなくてはならない。
多くのイスラムの人達にも、早くキリストが現れ、真の正しい、愛の神を受け入れられるようになるとよいですね!
こんばんは!ご感想ありがとうございます。
神様を父親として呼びかけることができる、これは本当にクリスチャンに与えられた素晴らしい特権ですね。
坂内さんが、何より日々の祈りを通して、父なる神との交流に喜びを見出されていること、お聞きできて幸いです。
主は、今日、たくさんのイスラム教徒を色々な方法で導いておられます。
本証が、たくさんのイスラム教徒の目に触れるようお祈りいたします!