神様に一歩、一歩、導かれて

知識としての聖書と隣人愛

キリスト教系の学校に通っていた私は、知識として聖書を知り、サマリア人のお話にある隣人愛に惹かれていました。高校生の時には隣人愛を実践するために国際機関で働いて弱い立場にいる人のために活動をするのだ!と決意し、豪語していました。でもその決意の中に、神様への思いはなく、逆に貧困、人種差別等の悲惨な状況を放置しておく神様に憤慨していました。「なんとかしなくてはいけない」という頑固な信念のようなものを抱え、大学卒業後は、途上国で開発に携わる道を選択し、開発援助を担う団体に就職しました。就職してからは、聖書や礼拝に接する機会もほとんどなくなり、海外出張や残業の続く日々を過ごし、2003年の5月に希望がかなって、あるイスラム教国に駐在となりました。

神様との出会い

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赴任した国は、長らく内戦が続き、今でもテロ掃討作戦が続く、もっとも貧しい国の一つです。私は当時まだ設立して間もない事務所で、総務・経理などの事務所の運営基盤づくりや農村開発事業を担当しました。休日もほとんどなく、朝から晩まで特に苦手な経理のために事務所でパソコンと格闘する日々が続きました。その中で初めて人間関係のトラブルや組織の限界に直面し、同時に自分の限界を知りました。志願して来ただけに弱音は吐けないと思い、黙々と仕事をしていたのですが、過労が続き、ひとたび気持ちを押さえていた留め具が外れてしまうと、自分のつらさが不条理に見えてきて、それまでの沈黙から一転、よい関係を築いてきた現地スタッフのミスに辛くあたったり、現場の意向が本部に伝わらないと嘆いたり、これ以上の業務は受けられないとつっぱねたり。その果てに自己嫌悪に陥りました。「隣人愛」の対極状態で、同僚や自分自身を非難し、攻撃的になるような者が貧困問題や紛争解決に貢献できると思っていた、なんとも傲慢な自分の姿、自分の目の塵に気づかずに兄弟の目の塵を取ろうとする罪深さに気づき始めました。

そんななか、東京にいる同僚が送ってくれた日めくり御言葉カレンダーに目がとまりました。「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたのことを心配してくださる」(詩篇55:32)という言葉です。その時になって、日本から持ってきた荷物の中に、イスラム教の聖典コーランとともに、聖書をなんとなく入れてきたのをようやく思い出しました。「私は門である。私をとおって入る者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう」(ヨハネ福音書10:9)というイエス様の言葉と、1匹の迷い出た子羊の話を読み、迷い疲れてしまった自分が頼れるのはイエス様なのだ、と気づきました。

同じ地域に住むアメリカ人夫婦に導かれ、聖書の学びをしてもらいました。一人で聖書を読むと、「つるぎを持って刺すように、みだりに言葉を出すものがある。しかし知恵のある人の舌は人をいやす」とか、「怒りを遅くする者は大いなる悟りがあり、気の短い者は、愚かさをあらわす」と、自分を戒める言葉に目がゆき、自分のダメさを悲観していた中、ヨハネの福音書をよく読むように言われました。「あなたが私を選んだのではありません、私があなたがたを選び、あなたがたを任命したのです」(ヨハネ福音書15:16)という御言葉に、フッと力が抜けて、涙が止まらなかったのを覚えています。単に受け入れられているというだけでなく、神様がこんな私を探し、選んでくれたということ、その言葉が私にとって大きな驚きと喜びでした。

信仰を持ってから

帰国した後、日本の教会につながり、2006年に受洗しました。職を変わりながらも途上国の開発に携わり、また海外から迫害を逃れて日本にやってくる難民の方々にも少し関わっていた折、2009年にゲストメッセンジャーとして私の教会の礼拝に来られた後藤敏夫先生のお話にハッしたことを思い出します。一つ目は「イエス様は『貧しい人に仕える人は幸いだ』と言われたのではない、『貧しい人は幸いだ』とおっしゃった。貧しくあることは聖霊によってしかできない」ということ。2つ目は「強盗に襲われた人を介抱したサマリア人(ルカ10:30-)は、人を助けたことで模範的な英雄として見られるようになったのではない、むしろ異端とされる立場で当時の社会ではタブーとされる行動をとったことになり、白い目で見られる不安定な状態になった、そのことのなかに愛の実践がある」ということです。

自分がいかに的外れであったかがわかりました。独りよがりに「貧しい人に仕える人」になろうとして、「仕えたい」と思いながらいつのまにか「やらねばならない」「こうあるべき」という硬直化した考えを自分にも人にも課すような偽善になっていました。支援を必要としている方々に向き合うよりも、国の制度や政策、時には世論の流れなど、大きなものを変えることに心を奪われたこともあります。そして何よりも、神様は私自身を含めて、心に重荷のある一人ひとりとともにいて、心から憐れんでくださっている、その神様の痛みと愛をわかっていなかったのです。イエス様も弟子達も、制度や組織を変革するような奇跡はなさならず、むしろそうした大きなものと対極にある小さな一人の人間の苦悩の中で奇跡を起こされたことに大切な意味があるのだと気づかされました。

イエス様は「行って同じようにしなさい」といわれましたが、一人ひとりに寄り添って生きることは、時には制度や組織を作るよりも、はるかに難しい気がしています。世間の常識や枠組みから抜け切れず、祭司やレビ人のように、本当に大切なことを私は簡単に見過ごしてしまいます。また神様に思いをむけているつもりでも、マルタのように(ルカ10:40-)目の前にある様々な事に心が奪われてしまう日々です。祈り、神様の声に耳を傾けなければ、大切なことは見えないのだとつくづく思います。

代々木公園での交わりをとおして

2012年の終わりごろから代々木公園に来させていただくようになりました。路上生活の方々や、日本で保護を受けられずに耐え忍ぶ難民の方々と接していると、私には何もできてないと感じることが多いのも正直なところです。そんな時、「ありがとう」といってくださる言葉や眼差しに、私はむしろ支えられ、励まされ、元気をもらっているのだと気づきます。自分が同じような状況になったら、神様にはすがっても、人に対してはプライドが邪魔して素直に助けを求められないかもしれないとも思います。ましてや満足いく生活支援を受けられない状況だったら、「ありがとう」と私は言えるのか・・・と。公園で出会う皆さんの心は、本当に尊くて、惹きつけられます。クリスチャンであろうと仏教徒やイスラム教徒であろうと、イエス様はともにいて、一人ひとりの心の痛みや喜びに目をとめて下さっている、そしてできるなら、それを一人で背負いこむのではなく、痛みや喜び、悲しみや楽しみを分かち合うように、私達を招き、つながりを持たせてくださっているように感じます。公園での沢山の出会いを通じていただく神様の愛に感謝しています。

 

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