1. 進化論の限界~生命は創造されたのか|聖書の教え

この度は、当サイトへご訪問いただき誠にありがとうございます。本記事は、当サイトにおける「聖書の教えシリーズ」の最初の記事であり、進化論と創造論の違いや、それらの説の妥当性について説明する内容となっています。

このような内容を、聖書の教えシリーズの先頭に持ってきた理由は、日本人の多くが、進化論を「科学的な真理」として理解しているためです。実は、聖書のあらゆる教えの土台は「神が世界を創造された」ことを土台として成り立っています。そのため、進化論を科学的な真理として理解し、生命が偶然に発生したと信じた状態のままで聖書の学びを進めても、その本質的な意味を理解することができないかもしれません。

本記事の内容が、読者の方々の目を開き、万物を創造された神に心を開くきっかけとなれば幸いです。そして、この「聖書の教えシリーズ」を通して、神の愛を知り、約束された「永遠の命」を得る人が、一人でも多く起こされますようお祈りいたします。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

進化論は仮説である

人間を含む生命はどこから来たのだろうか?この質問に多くの日本人は、「徐々に進化してきた」と答えるだろう。その理由は、私たち日本人が、幼い頃から学校教育で進化論を教えられて育ってきているからであり、それが科学的に理に適った結論だと認識しているからである。しかし、進化論の妥当性について、自分の目で実際に調べてみた人は、果たしてどれくらいいるのだろうか?

実は、少し調べればすぐにわかることだが、進化論とは、科学的に証明された理論ではなく、あくまで仮説に過ぎない。さらには、「世界人口の大多数が信じている説」ということでもない。

地球上の生命がどこから来たのか?という問題については、大きく分ければ、世界的に認知されている二つの代表的な説がある[i]。一方は進化論だが、もう一方は創造論である。参考までに、アメリカ人の半数以上は、進化論を信じてはいない。世界的に見ても、創造論を支持する人々の数は決して少なくはなく、むしろ多くの国では、3割~5割程度に昇るだろう。

しかし、生命が進化によるものなのか?創造によるものなのか?という問題は、私たちの人生にとって、どれほど重要な意味をもつのだろうか?

進化か創造か?真実を知る意義とは?

進化と創造に関する真実について、はじめから興味を持たない日本人は、とても多い。はっきりとした原因はわからないが、非宗教的な人が多数を占める環境の中にあって、このようなテーマに関する疑問を持ち辛くなっているのかもしれない。

しかし、私たちが興味を持つか持たないかに関係無く、この質問は、二つの視点において、全ての人間にとって重要な意味を持っている。

第一の視点:存在している目的

人間が存在している目的

ここで、ある生徒と先生との間で実際にあった、興味深いエピソードを紹介したい。

ある日先生は、生徒に「洋服は何のために存在している?」と問いかけた。生徒は「着るためです」と答えた。次に「靴は?」と聞くと、「履くためです」と答えた。続いて先生は「自動車は?家は?」と聞いていったが、生徒はいとも簡単に答えていった。

最後に先生は、「では人間は何のために存在していると思う?」と聞いたが、生徒は真剣に考えたすえ、「先生、僕にはまだその答えがわからないのです」と答えた。この生徒は、最も大切な質問に対する答えを、まだ知らなかったのである。

もし人間を含む生命が進化してきたのであれば、この質問は無意味である。なぜなら、進化論とは、偶然による自然発生を前提とする考えなので、その説が正しければ、人間にははじめから、「造られた目的」や「存在する目的が」が無いことになるからだ。

しかし、もし人間が創造者によって造られた存在ならば、そこには造られた目的と意義がある。そして、造られた目的を創造者から教えてもらうなら、存在する目的に沿った、意義深い人生を送れるはずである。

第二の視点:創造者と人間との関係性

もしあなたが賃貸の家に住んでいるなら、大家の存在は無視できない。なぜなら、大家が決めたルールに注意を払わなければ、家から追い出されてしまうからだ。

同じように、もし万物を創造し、管理している神が存在するならば、人間は地球という家に住み続けるために、大家である神のルールに従う必要が生じる。

以上の理由から、進化と創造に関する真実は、私たちの人生にとって、決して無視できない性質のものであることがわかる。

進化論と創造論の違い

進化論と創造論の違いと、それぞれの説の妥当性について考える前に、両者の理論を定義しておく必要がある。

進化論とは「生物のそれぞれの種は、単純な原始生物から進化してきたものであるとする考え。」(デジタル大辞泉)であり、単純な原始生物の発生から現在に至るまでの過程は、全て偶然や自然淘汰の積み重ねであると主張する考えである。

最初の生命が発生するまでの段階を表す「化学進化」と、その後の生物の進化の過程を表す「生物進化」は分けて論じられることもあるが、どちらの説も「偶然や自然淘汰」をその考えの土台としているため、ここでは「進化論」という一つのくくりで説明を進めていく。

そして重要な点として、進化論そのものは、創造主なる神の存在の有無を論じるものではない。しかしそれは、創造者の存在を「抜き」にしてこの世界の成り立ちを説明する唯一の考えであるため、結果としては、今日の世界に存在する多くの無神論的な価値観の土台となっている。

創造論とはその逆で、この宇宙や地球上の全ての生命を含む万物は、知性のある創造者によって造られた、とする考えである。

進化論と創造論―どちらの説が、この世界の成り立ちの真実を明らかにしているのだろうか?本記事では、その全てを詳しく取り上げることはできないが、幾つかの重要な点に的を絞って、説明を進めていきたい。

最初の生物はどこから来たのか?

究極の難問

進化論を支持する人々にとって、究極的な難問は、「最初の生物がどこから来たのか?」ということである。生命が偶然や自然淘汰の結果発達してきたと考えるなら、最初の生物も、原始の海の中で偶然に発生したと考えなければならない。

進化論の支持者は、最初に出現した生物は、バクテリアやアメーバのような単細胞生物だったと考えた。ところが、近年の科学の発展に伴い、科学者たちは、バクテリアのような最も単純な生物でさえ、偶然とは到底考えられない程の驚くべき構造を持っていることを発見するようになった。

DNAが偶然に発生する可能性はあるのか

DNA

全ての生物の細胞のDNAには、想像を絶する量の情報が保管されているが、最も単純な生物であるバクテリアでさえも、そのDNAの情報(ゲノム)量は、およそ1000ページからなる一冊の本にも相当する。このような高度で規則性を持った情報が、本当に自然界で偶然に発生するのだろうか?

このような仮説は、例えば、パソコンのことが何もわからない子どもが、適当にキーボードを叩き続けた結果、1000ページ分に相当する、自動車の完璧な設計図とマニュアルが完成した、と信じることと似ているだろう。

生命が偶然に生じる確率はどれくらいか?

仮にDNAが偶然に完成したとしても、生物の細胞が生き続けるためには、少なくとも3種類の複雑な分子である、DNA、RNA、タンパク質が組み合わされなければならない。ところが、これらRNA分子とたんぱく質分子も、偶然ではあり得ないほどの、極めて複雑で高度な構造を持っている。

さらに、これらDNA、RNA、たんぱく質が偶然に存在できたとしても、それらが完璧な方法とタイミングで組み合わされなければ、生命が生まれることは絶対に無い。

以上の流れを、自動車を例に考えてみよう。仮に完璧な設計図が偶然に完成したとして、次に自動車の製造に必要な全ての材料を、適当に山積みにしていく。そして、その上を竜巻が何回も通過すれば、「いつかは自動車の完成品が出来上がる」と信じることが、果たしてできるだろうか?

これらの前提を踏まえて、かつて生命が偶然に発生する確率を計算したフレッド・ホイルという科学者がいるが、その確率について、次のような有名なコメントを残している。

「この世界がどんなに広くても、生命体が偶然で生まれることはありえない。猿の一群がめちゃくちゃにタイプライターを叩いても、シェークスピア作品が生まれることはない。仮にそれが可能だとしても、そのために必要な猿の一群を、大量のタイプライターを、また書き損じの紙を入れる大量のゴミ箱を保有するほど、この世界は大きくはない。生命体も、これと同じである」

猿の一群がめちゃくちゃにタイプライターを叩いても、シェークスピア作品が生まれることはない。

猿の一群がいくらタイプライターを叩き続けても、シェークスピアの作品は生まれない

還元不可能な複雑性

赤血球という技術革命

次は、私たちの血液の中にある「赤血球」について考えてみよう。赤血球は、血液を通って体内の隅々にまで酸素を供給する役割を持っているが、この中には「ヘモグロビン」というタンパク質が含まれている。

人間の子供は、「胚の段階」「妊娠約9週以降の胎児の段階」「誕生後の段階」これら合わせて三つの段階において、それぞれ化学的に異なる構造のヘモグロビンを必要とする。そのため、適切なタイミングに、適切な種類と量のヘモグロビンが生成されるようなシステムを、人体は初めから備えているのだ。

進化論が正しければ、生物が進化の過程で試行錯誤を繰り返しながら、こうした機能を徐々に獲得していったと説明されることになるが、その可能性は実際にはゼロである。なぜなら、これらの仕組みが、初めから完全な形で備わっていなければ、そもそも胎児は生き残ることができず、命を落としてしまうからだ。

赤血球

驚くべきシステム~還元不可能な複雑性

このように、完成された状態で無ければシステム全体が機能しないような複雑さのことを、専門的には「還元不可能な複雑性(Irreducible Complexity」と言う。そしてこのような複雑なシステムは、赤血球だけでなく、あらゆる動物のあらゆる機能に広く見ることができる。

例えば、動物の免疫機能や、バクテリアが動き回るのに必要な鞭毛、有性生殖などがそうである。いずれの場合においても、初めから完成された状態でなければ機能することができず、未完成の状態では生き延びることができないのだ。

「よって、それらの構造は最初から完成した形で存在した、と考える方がより事実に即した説明であると言えます。そして、最初から完成した形で存在するということは、知性ある創造主がそれを最初から完全に機能するよう設計し、創造した、ということを指し示しているのです。」(ヴェルナー・ギット『ダーウィンが知り得なかったこと』)

生命が偶然に発生することはない

生命の自然発生について、これまでに挙げた一連の事実を考察すると、どんな結論が導き出されるだろうか?それは、地球上だけでなく、全宇宙的規模で考えても、生命が偶然に発生し、今のような状態にまで進化したと考えることは、「科学的事実と調和しない」ということであり、聖書が示す通り「あらゆる生命は知的な発信者である神によって創造された」と考える方が、合理的な結論であることがわかるだろう。

地球~初めに神は天と地を創造した

「初めに神は天と地を創造した」(創世記1章1節)

聖書の最初の言葉は、万物の創造主としての神の宣言で始まる。私たち人間を含む全ては、神によって創造されたのである。したがって、全ての人間にとって、創造主である神は、決して無視できる存在ではない。私たちは、神の創造によって存在するようになり、神の力によって日々生かされているからである。

主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」(黙示録4:11

記事の冒頭で、人間の存在意義に関する、先生と生徒の会話を紹介した。洋服の存在目的は「着るため」であり、その目的を決めたのは洋服を造った人間である。では、人間の存在目的は何だろうか?その答えは、つまりその目的を決めたのは、人間を造った創造者である。果たして、創造主は、どんな目的で人間を創造したのだろうか?また人間とはどんな存在で、どのように生きるべきなのだろうか?

私たちがその答えを知るためには、創造者から人間に宛てて書かれた手紙―聖書を読まなければならない。次回の記事では、その手紙について紹介をする。

⇒聖書は本当に神の言葉なのか?

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脚注

[i] 近年のもう一つの主流派として、地球外生命体説がある。しかしこの説は、「地球上の生命がどこから来たのか?」という限定的な問いに対するもう一つの候補の説となっても、「生命がどこから来たのか?」という根源的な問いに対する答えとはならない。仮に地球上の生命が宇宙から来たのであれば、「ではその生命はどうやって発生したのか?」という同じ質問が繰り返されることになるからである。

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