イエス・キリストはインドでヨガを学んだのか? 空白の16年の謎に迫る
イエス=ヨガ説に答える背景
イエス=ヨガ説を信じる人々
「イエス・キリストは、かつてインドでヨガを学んでいた」
おそらく、この説を聞いたことの無い多くのクリスチャンは、このような質問を記事で取り上げること自体に疑問を感じるかもしれない。ところが、この「イエス・ヨガ説」の疑問に答える価値は大いにあるのだ。なぜなら、この説を信じている人の数は、世界的に見ればかなりの数に上るからだ。
ヒンズー思想を源とする多くのヨガ教師たち、また一部のスピリチュアリズムを信じる人々は、実際にこの説を信じている。またイエスがヨガではなく、かつてインドに渡って仏教を学んだと唱える人々もいる。どちらの説も、「イエスがインドに渡っていた」という主張においては共通点がある。
そもそもこのような説が浮上する理由の一つは、聖書の中に、13歳~29歳までのイエスの生涯が、全く記録されていない、という点にある。だからこそ、この空白の16年間のイエスの生涯について、様々な憶測が飛び交うのだ。
誰が言い出したのか?
イエス=ヨガ説の起源ははっきりとはしないが、二つの説が可能性として考えられる。一つの目の説は「霊による啓示」である。筆者は、以前にあるスピリチュアル関連の本を読んだ時に、この説に触れたことがある。その本の内容では、ある霊媒を通して語りかける「霊」が、「イエスはかつてインドでヨガを学んでいた」と語っているのだ。したがって、このような「霊による啓示」を源として、この説が広まった可能性は十分にある。
また、キリストは他の多くの宗教からも、霊性の高かった偉大な人物と評されることが多いが、そのような人々の多くは、イエスを他の偉大な宗教家―釈迦やマホメット、ヒンズーの聖人たち、などと同一視する傾向がある。そのため、一種の思い込みから、ある人々が「イエスがインドで東洋の宗教を学んでいた」と言い出したのかもしれない。
しかし、誰がこの説を唱えだしたにしても、この説を信じる人の共通点は、「聖書についてあまり詳しくない」ということにある。聖書は確かに、イエスの空白の16年間については何も語っていない。しかし、聖書時代の背景についてしっかりと理解している人にとっては、その空白の期間にイエスが何をしていたのかは、全く謎ではない。
それではこれから、聖書的知識を元に、空白の16年間の謎に迫っていく。
イエスは大工だった
「この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」(マルコ6:3)
イエスは大工だった―これは、クリスチャンの間では常識的な知識である。つまり、イエスは30歳からの公生涯に入る前までは、大工として働いていたのだ。
またイエスは、大家族の長男であった。日本の風習でもそうだが、ユダヤ人の文化においても、長子の責任と役割は、他の兄弟たちよりも大きなものがあり、長子には父親の仕事を継いで家族の面倒を見る責任があった。さらに、少なくとも30歳までには、イエスは早くに父親を亡くしているため、家族を省みていく上での彼の責任は、決して小さいものでは無かっただろう。
このような背景を考えれば、イエスが仕事や家族を放おって、遠いインドにまで修行に行っていたとは考えにくい。
ただし、これだけでは、イエス=ヨガ説を信じる人々は、「たしかにイエスは大工だったかもしれないが、インドに行ってヨガを学んでいた時期もあったのだ」と言うかもしれない。そこで次の点も考えていこう。
12歳のイエスには、既に神の子としての自覚があった
エルサレムでの迷子事件
「40 幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちて行った。神の恵みがその上にあった。41 さて、イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。42 イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、43 祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかなかった。・・・そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。47 聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。 48 両親は彼を見て驚き、母は言った。「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」 49 するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」 2:50 しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。 」(ルカ2章)
12歳で律法に精通していたイエス
引用した聖書箇所「12歳のイエスのエルサレムでの迷子事件」は、ルカ2章に記されており、イエスの幼少期に関する唯一の具体的な記録となっている。そして、聖書の中で次に登場するイエスは、30歳でバプテスマを受けるところから始まるのだ。
驚くべきことに、当時12歳だったイエスは、自分よりも遥かに年配で、律法に精通したエルサレムの教師たちを、その知恵と答えによって驚かせていた。つまり、イエスはたったの12歳で、モーセの律法とその教えの精神を悟り、それに精通していた、ということだ。
イエス本人の資質が最も大きいだろうが、きっと両親による教育の恩恵もあったのだろう。
唯一の神の子としての自覚
「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」(ルカ2:49)
イエスは彼を探しに戻ってきた両親に対して、「わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか」と答えた。つまり、12歳のイエスは、あまりにも自然にはっきりと、聖書が啓示する唯一の神・ヤハウェが、自分の父親であり、エルサレムの神殿がその父の家であることを自覚していたのだ。
ユダヤ人の男子は12歳から成人と認められ、親から職業訓練を受けるようになる。エルサレムでの一連の出来事は、イエスが、「天の父」が自分の本当の父親であることを認識し始め、その父から「神の子」として、そして「救い主(メシア)」としての訓練を受け始めたことを意味していた。
ではそんなイエスが、その後の人生において、わざわざ東方のインドにまで出かけ、ヒンズー教の偶像の神々の教えを学びに行くことが考えられるだろうか?
ユダヤ教とヒンズー教の違い
イエスは、その生涯において、全くのユダヤ教徒として生きたわけだが、旧約聖書を基とするユダヤ教と、インドのヒンズー教とは、あまりにもその教えがかけ離れている。
聖書が啓示する神は「唯一の神」であり、偶像礼拝を厳しく禁じている。一方でヒンズー教の教えは、「多神教」であり、その礼拝は基本的に「偶像礼拝」となっている。
したがって、既に神の子としての自覚を強く持ち始めていたイエスが、その父親が最も禁じている偶像礼拝の中心地であるインドに出かけ、その教えを学びに行く、ということは全くありえないのだ。さらにイエスだけでなく、当時のユダヤ人全般の認識としても、ヤハウェを捨てて偶像礼拝を行うということは、全く考えられなかったのだ。
イエスはモーセの律法を完全に守った
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」(ヘブライ12:2)
「信仰の・・完成者であるイエス」、この言葉は、イエスがかつての地上生涯において、ヤハウェを信仰するユダヤ教徒として、モーセの律法を完全に守り通したことを意味している。また、イエスの十字架が罪の贖いとなり、死者の中から復活するためには、彼がそれまでの人生において、罪を犯すことなく、律法を完全に守り通すことが不可欠だった。
では、もしもイエスがインドに修行に出かけていたとしたら、彼はモーセの律法を守り通すことができただろうか?―それは、完全に不可能である。
モーセの律法の要求は、現代のクリスチャンに適用されるキリストの律法とは異なり、生活の細部にまで関係するものだった。最も重要な項目は「モーセの十戒」に記録されており、唯一の神だけを礼拝すること、偶像を拝まないこと、安息日を守ることなどが挙げられる。(出エジプト20章)
また、年ごとの祭りに参加することや、定められた時に律法の要求に従って犠牲を捧げること、汚れた食物を食べないこと、などの色々な規定が含まれる。
これら全ての律法に完全に従うためには、そもそも国家的にモーセの律法が規定されたユダヤの地域に住んでいることが不可欠だったのだ。
結論
以上に挙げた複数の視点を考慮すれば、13歳~29歳までのイエスは、ユダヤのナザレの地域で、律法を忠実に守るユダヤ教徒として、父親の職を受け継いだ大工として普通に生活をしていたことがわかる。東方のインドに出かけ、ヨガや仏教を学んでいた、ということは全くあり得ないと結論できるのだ。
では、「イエスがかつてインドでヨガを学んでいた」と語りかける「霊」とは何なのか?その霊は、嘘をついて私たちを欺こうとする「悪霊」であることは明らかだ。
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