宗教や真理の絶対化は戦争の原因になるか?|宗教的寛容と絶対化の問題①
実際には、宗教的な理由で起こった戦争はそう多く無い。
本記事は、以下の動画の内容も参考にしている。大変わかりやすくまとまっているので、合わせてご覧いただくことをお勧めする。
(【3分でわかる聖書】ハーベストタイムミニストリー提供)
確かに宗教が原因となった戦争はある。キリスト教で言えば、十字軍や、ヨーロッパで起きた30年戦争がまず思いつくだろう(ただし、30年戦争については、終わりの方は、政治的な要因が強かった)。また、ニューヨークで起こった9.11のテロは、イスラム教の過激派が、ジ・ハード(聖戦)の概念を掲げて起こしたものだった。
とはいえ、実際には、純粋に宗教が原因となって起きた戦争は、ある方々が考えている程多くは無い。戦争の百科事典(encyclopedia of wars)では、歴史上起こった1763の戦争を取り上げているが、その中で宗教的な戦争が占める割合は、は、僅か6.98%(123件)だ。
また、宗教戦争の中の割合を見てみると、イスラム教に関係した戦争は66件、それ以外の宗教的な戦争は、57件となっている。(57件という数字は、歴史上起きた戦争の僅か3.23%だ)
宗教の「絶対化」は、「押し付け」とは異なる
特定の宗教を絶対化することは、人間関係の協調性を損い、争いに発展しやすい、と考える人が多いが、この考えには、「絶対化」と「押し付け」に対する混同がある。
確かに、自己を絶対化する宗教の中で、戦争を起こしたり、人々に反社会的な影響を与えるグループも存在する。例えば、イスラム原理主義のISIS、日本ではオウム真理教や、その他の幾つかのカルト的な新興宗教が挙げられるだろう。
このような絶対化宗教の教えでは、自己の絶対化だけに留まらず、周囲の人間や社会に対しても、相手の自由意志とは無関係に、その教えを押し付ける。例えば、ISISやオウムのように人間を殺したりする場合もあるし、他の新興宗教では、強引に勧誘したり、応じない人に制裁を加えたり、無理やり壺を買わせたりする場合もある。
一方、正統的なキリスト教においては、このような方法は一切とらない。教会は、唯一絶対的な神を信じ、キリストだけが救い主だと教えるが、その教えを信じるかどうかは、終始各人の判断に委ねる。つまり、相手の自由意志を越えて、権利を侵害したり、何かを押し付けたりすることは無いのだ。
だから、たとえキリストの教えを絶対化したとしても、社会的に問題とはならない。かえって、キリストの教えの絶対化は、信者の倫理基準を大きく高めるので、社会に対する貢献度は増すことになる。ちゃんと税金を収め、家族や友人を大事にし、犯罪を犯すことはなくなるのだ。
キリストの教えを本当に絶対化すれば、戦争は起こらない
歴史上、キリスト教徒によって生じたと考えられている戦争は、実際には「偽キリスト教徒」によって起こされた戦争のことだ。なぜなら、イエス・キリストは聖書の中で、次のようなことを明確に教えているからだ。
「人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。」(マタイ5:21-22)
「わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:44)
だから、キリスト教徒だと自称しながら、一方で戦争を引き起こす者は、キリストの教えを絶対化しているのではなく、自分の願望や欲望や絶対化しているのだ。またこのような願望や欲望は、キリスト教徒でない人々にとっても、常に戦争の原因となっている。
もし、全ての人々が、「敵をも愛さねばならない」というキリストの教えを絶対化するならば、今すぐに、真の平和が、世界中に訪れるだろう。
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