7. 報復(復讐)について―悪い者に手向うな|山上の垂訓の解説

(7)報復(復讐)について|山上の垂訓の解説

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報復をしてはならない(マタイ5:38-42)

38 『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。39 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。40 あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。41 あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。42 求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい。

目には目、歯には歯

『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

「目には目、歯には歯」とは、モーセの律法の掟の一部であり、「出エジプト21:24、レビ24:20」に見出される。この法律は一般的に「同害報復法」と呼ばれ、そのルーツ自体は、紀元前18世紀のハンムラビ法典にまでさかのぼることができる。

古代では、被害を受けた場合に、その報復として際限の無い攻撃がなされることが多々あった。そのような復讐に歯止めをかけるためにできたのが、この法律なのである。

イスラエルにおいては、懲罰の実効は、神の律法に沿って祭司と裁き人たちによる裁判が行なわれ,罪が犯された状況や故意の程度がきちんと考慮された後に初めて執行された。つまりこの懲罰は、私的な場ではなく、法的な正義の元で実効されるべきものだったのである。

ところが、時経つ内に、この同害報復法は、口伝律法の教えによって、私的な復讐を正当化するために、誤用されるようになっていた。19世紀にアダム・クラークが著わした聖書注釈書にはこのようにある。「ユダヤ人はこの律法[目には目,歯には歯]を,個人的な報復や,復讐心に基づく乱暴な行為を正当化する根拠としたようである。復讐はしばしば度を越し,受けた被害をはるかに上回る報復がなされた」

このような律法の誤用は、本来の律法の精神と相反するものであったため、イエスは、山上の垂訓の中で、この律法の正確な意味を解き明かしたのである。

悪い者に手向かってはいけません。

しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。

「右の頬を打つ者には~」とは、右の頬に暴力をふるってくる相手に対して、左の頬も向けて暴力を受け続けるように、という絶対的無抵抗の教えではない。聖書は、私たちが自分の身を守る自由があることを教えているからである。。

今日でもそうだが、聖書時代において、平手打ちの行為は、相手にけがを負わせるというよりも、侮辱や挑発の目的で行なわれていた。したがって、イエスの言葉の真意は、たとえ相手から侮辱を受けたとしても、そのような挑発に乗ってはならず、仕返しをしてもならない、ということである。

聖書には「復讐と報いとは、わたしのもの」(申命記32:25)とあり、復讐は個人的に行うべきものではなく、全てを知っている神が行うものである、と教えている。もし私たちが、人を赦さずに自分の力で復讐をしなければならないのであれば、心の中に憎しみを持ち続けることになり、平安を得ることはできない。また「やられたらやり返す」という考えでは、際限の無い争いに発展しかねない。

しかし、神は人間と違って全知全能であり、一人一人に、その行いに応じて正しく報いることができる。そしてその報いは、各人の地上生涯と、死後の世界において確実にやってくる。復讐は神の御手に委ね、侮辱した人を赦すなら、心に平安を持つことができるだけでなく、平和を作り出す人となるだろう。

悪に対して善をもって報いる

40 あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。41 あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。42 求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい。

続いてイエスは、「告訴して下着を取ろうとする者」「一ミリオン行けと強いるような者」「求める者」に対して、どのように対応するべきかについて、一連の指示を与えている。

イエスはこれらの指導によって、悪に対して悪で返したり(復讐)することなく、むしろそれらの人々に善を持って報い、寛容でありなさい、と教えている。このイエスの教えと関連して、聖書の別の箇所では次のように教えられている。

もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ12:20,21

例えあなたに何かを求める者が、あなたの敵であったとしても、彼らに対して心を閉ざしてはならない。むしろ善い行いによって彼らに報いるのである。そうすればあなたの敵は、あなたの善行によって自らの悪行を悔い改め、あなたとの平和な関係を求めるようになるかもしれない。

神は、善良な者の上にも、悪を行う者の上にも、日々天からの光と雨を与えてくれている。もし私たちが、神の善良さに倣い、善によって悪を征服していくなら、この世界に光を与える存在となるだろう。

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