言語の起源~ 最初の人類アダムとイブはヘブル語を話していたのか?

言語の起源~ 最初の人類アダムとイブはヘブル語を話していたのか?

言語の起源とはどのようなものなのか?このテーマについては、実に多様な議論が歴史的になされてきたが、究極的な起源や年代については未だ合意が得られていない。また、かつては真剣な研究の対象とみなせないということから、1866年には、パリ言語学協会によって、この論題が禁止されたほどである。

しかし、言語の起源に関する議論が複雑化している要因は、多くの言語学者が進化論を前提にこの問題を考えているからではないだろうか?前回の記事「アダムとイブ、猿からの進化論、どちらが人類誕生の真実か?」でも触れた通り、進化論の枠組みでは、ヒトの言語獲得の起源を説明することはできない。ならば、どれだけ有能な言語学者であろうと、説明不能な仮説を前提に考えるならば、いつまでもその真実に辿り着くことができないのは当然だと言える。

人類の言語の起源は、創造論の立場で考えた時に、最も単純で理に適った答えに行く着くことができるのだ。

言語の起源の真相

最初の人間は神から言語能力を与えられていた

聖書を読み、創造論の立場に立つ多くの人々にとっては、言語の起源は謎ではない。創世記1~3章を読めばはっきりとわかる通り、最初の人間アダムは、はじめから言葉を用いて、動物に名前を付けたり、創造主である神とコミュニケーションをとったりしていた。

「神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:16-17)

「神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。」(創世記2:19)

進化論の枠組みで考えるならば、人は猿からの進化の過程で、徐々に言語を獲得したということになるが、「どちらが人類誕生の真実か?」でも触れた通り、人が言語を習得するためには、親から言葉を語りかけてもらう必要があるため、猿が親では何世代を繰り返しても、言語の習得は起こり得ない。

つまり、創世記の記録通り、神が完璧な言語能力を最初の人間に与えた、という理解こそが、どんな進化論に基づく言語の起源の仮説よりも、最も理に適った説だと言えるのだ。

では、最初の人間アダムとエバが、エデンの園で話していた言葉とは何語だったのだろうか?複数の証拠から、それは「原ヘブル語(ヘブライ語)」だった可能性が最も高い。以下に、その理由を解説していく。

最初の統一言語がヘブル語である理由

ヘブル語で無ければ意味が通らない創世記の記録

最初に考えたいのが、聖書の記録から推察される内的な証拠だ。ほとんどの旧約聖書は、ヘブライ語で原典が書かれているが、創世記の記録を読み進めていくと、ヘブル語で無ければ意味が通らない箇所が複数見られる。

女の語源(創世記2:23)

「22 こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」(創世記2:22-23)

これは、最初の女性エバが、アダムのあばら骨から造られた時の記録だが、アダムが彼女に「女」と名付けた理由として「男から取られたのだから」と語られている。この文章を日本語で読むと、なぜ男からとられたらといって「女」になるのか、全く意味がわからない。

しかし、この箇所を原典のヘブル語で読むと「これを女(イッシャー)と名づけよう。これは男(イーシ)から取られたのだから」となり、その意味がすっきりと理解できる。要は、アダムは語呂合わせ(言葉遊び)をしたわけだ。

アダムの名前(創世記2:7)

アダムという名前も、他の言語で読むと単なる音の響きでしかないが、ヘブライ語に置き換えればちゃんと意味が通るようになっている。

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記2:7―新共同訳)

ヘブル語で土は「アダマ」であり、その土の塵で造られた最初の人間が「アダム」と呼ばれるようになった。ここでも、ヘブライ語による言葉遊びがあるのがわかるだろう。なお、本文を読めばわかる通り、アダムという名前はアダム本人を指す固有名詞として認識されているが、ヘブル語では「人」を表す普通名詞でもある。

言語学者アイザック・モゼソン博士の主張

言語学者のアイザック・モゼソン博士は、その著書『言語の起源』の中で、世界中のあらゆる言語には、共通の起源となる一つの言語が存在すると主張している。さらに博士はその言語が「ヘブル語」であったとしており、それを「エデン語」とも呼んでいる。

言語間に見いだされる共通の語根

博士がそのように主張する理由の一つは、諸言語の言葉に共通の語根が見出されることにある。例えば、ヘブル語で「少年」を意味する言葉は「yeled」だが、英語では「Lad」、アラビア語では「Walid」であり、どれも「l-d」という共通の語根を含んでいることがわかる。

他にも、ヘブル語で「道路」を表す「derekh」は、ロシア語の「doroga」、英語では道や方向を表す「direction」であり、どちらも「d-r」という語根を含んでいる。

モゼソン博士は、これと似たような事例を23000語にもわたって見出しており、この事実が、諸言語が元は一つであったと主張する裏付けとなっているのだ。

エデン語で浮かび上がる言葉の意味

博士の主張を裏付けるもう一つの理由は、ヘブル語の名称における言葉の意味にある。創世記の記録でも少し触れたが、諸言語の物の名称には、音の響きだけあって特定の意味が無いようなものも、かなり存在する。

例えば、英語でキリンは「giraffe」だが、この名称は単なる音に過ぎない。ところが、ヘブル語は「首」を意味する言葉が「ghoref」であり、英語でのキリンの名称とそっくりな語根を持っている。

聖書には、神がアダムの元にあらゆる動物を連れてきて、「人(アダム)が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。」と書かれている。アダムが動物に名前をつける際は、間違いなくそれぞれの動物の特徴を表した名前をつけたと考えられるだろう。また、ヘブライ人の伝統では、名前はその人の実質を表す名称が用いられることが多い。

以上の点を考慮すれば、他の言語では単なる音に過ぎない言葉が、ヘブル語に置換えた時に意味が通ることが多いという事実は、世界の諸言語のルーツが、ヘブル語にあるという説を裏付けるものとなっているのだ。

結論:神の摂理を示すヘブル語聖書

聖書は、他の追随を全く許さないほどの史上最大のベストセラーであり、これまでに頒布された全編あるいは一部の総数を合わせると、2000億を越えるという。さらに聖書は、世界で最も多くの言語に翻訳されている本でもある。その聖書の三分のニを占める旧約聖書の大部分が、世界の言語の起源であるヘブル語で書かれているのは、偶然とは思えない。

バベルの塔の事件によって統一言語が分散した後も、神はエデンの園から用いられてきたヘブル語を保存した。そしてその言葉を用いるヘブライ人アブラハムを選び、彼の子孫たちを通して、人類の誕生から始まる最も正確な歴史記録が、聖書に保存されるように導いたのだ。

エデン語(ヘブル語)で書かれた聖書の存在は、神の導きと守りによって人類に残された貴重な宝であり、人類の起源の真実を知る最も重要な手がかりとなるのである。

 

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