神による大量殺人―「従わない者を殺す神」は本当に正しいのか?


ヨシュアによるカナン征服―アモリ人に勝利するイスラエル

ヨシュアによるカナン征服―アモリ人に勝利するイスラエル

今回の質問

聖書では、神の裁きによってたくさんの人々が命を落としている。神の望みにそぐわないものは殺し、神に従順なものを救う、ということだ。果たして、従わない人は皆殺す神は、本当に正しいのだろうか?

誰が善悪の基準を決めるべきなのか?

「従わない者は殺す」このような神の対応に、不満を感じる日本人は決して少なくはないが、その不満には、ある前提となる考えが存在する。それは「神と人間の関係性」に関するものであり、そのような不満は多くの場合、神の立場と自分の立場を対等に見ていることに原因がある。

聖書が繰り返し語りかけていることは、「神は万物の創造者・支配者である」という事実である。もし神が本当に万物の創造者ならば、神が造らなければ人間ははじめから存在すらしていない。さらに、人間の命を含む、万物の所有権は、完全に神の側にある、ということになる。

私たちの社会では、所有権を持つ者は、その所有物に関連する権利を持っている。だから、アパートの大家は、その家の規約を決定する権利を持っており、もしそのルールに従わない住人がいれば、適切な警告を与えた上で、そこの住人を追い出すことができる。

この時、住人を追い出した大家に対して、文句を言う人間は誰もいない。なぜなら、私たちは、「大家と住人の関係性」を理解しており、彼らの立場が対等でないことを知っているからだ。

しかし、これと同じようなことが、万物の所有者である神と、その住人である人間との間に生じると、人間が不平を言うのはなぜだろうか?それは、住人である人間が、大家である神との根本的な関係性を理解していないからだ。

神は所有権を持つ大家・万物の支配者であるために、善悪の基準を決定し、人間を裁く権威を持っている、これが聖書の教えているところである。

聖書の神の属性と目的―愛と義

神に倫理基準を定める権利があるからといって、神が人間を乱暴に扱うわけではない。むしろ神は、どんな人間よりも、自身の属性にしたがって、完全に公平な裁きを与える存在である。

聖書で啓示されている神の属性は、「聖なる神」「義なる神」「愛ある神」であり、全ての物事は、この神の属性に基いて、忠実に実行されていく。

たとえば、神が義であるということは、正しく生きる人々には必ず祝福を与え、悪いことを続ける者には必ず罰を与えることを表している。私たちは、このような神に対して、不満を抱くどころか、むしろ社会で完全に公平な裁きが行われることを切望しているのではないだろうか?

また、神は愛であり、どんな人間よりも、私たちのことを深く愛している。その愛ゆえに、神は多くの場合、悪を行う者たちにすぐに裁きを下すのではなく、悔い改める時間をしっかりと与える。また愛ゆえに、全ての人の罪の身代わりとして、独り子であるイエスを与えた。

裁きの事件の背景

聖書に記されている神の裁きが批判されるもう一つの原因としては、誤解が挙げられる。つまり、出来事の背景が十分に読み取られていないのだ。そこで今回は、際立った二つの裁きを取り挙げてみる。

ノアの大洪水

聖書に記されている裁きの中で、最も大規模なものは、「ノアの日の大洪水」である。聖書の記録によれば、当時は「ネフィリム」と呼ばれる人間と堕天使の混血種がおり、彼らの影響も悪く働き、地上は暴虐で満ちるようになった。

そして、その悪のレベルが、「回帰不能点」を越えたため、神はやむを得ず、全地球規模的な裁きを下すことを決定した。

しかし、聖書の記録によれば、ノアが方舟の建設を命じられてから、大洪水が生じるまでは、120年間もの期間があった。その間に、人々には、ノアの警告に心を留めて悔い改める時間が十分に残されていたのだった。

しかし、改心した人は誰もおらず、方舟に入ったのは、ノアとその家族の八人だけだった。それほどまでに当時の世は、神に対して反抗的だったのである。もし神が大洪水を起こさなかったら、地上から正しい人は、一人も残されなくなっただろう。

各事件の背景~ヨシュアによるカナン征服

カナン人に対する征服戦争の背景は、唯一の神ヤハウェが、カナン人の罪を裁くために、イスラエル人を用いた宗教的なものである。

当時のパレスチナの地域に住んでいたカナン人は、偶像礼拝に端を発した不道徳と性的堕落で極めて堕落していた。例えば、彼らが行っていた礼拝には、性的な行為や、殺した子供を生け贄として捧げる人身供犠のような悪魔的な儀式も含まれていた。

聖書の歴史と一般の歴史の双方は、彼らが不道徳や堕落のとりわけ卑劣な記録を作り上げてきたことを、一貫して証言している。

それでも神は、すぐには彼らを罰せず、400年もの長い間、彼らに時間を与えた。しかし、最終的に、彼らの罪が極みに達し、回帰不能点を越えたので、イスラエル人を用いて裁きを与えたのだった。

結論

聖書の神は、万物の創造者であるため、倫理基準に関する絶対的な決定権を持っている。そして、その基準は、聖・義・愛という神の属性に基づくものであり、神は常に完全に正しい方法で、その権威を行使される。

旧約聖書に記されている大規模な裁きの多くについて、神の残虐性が批判されていることがあるが、それらは大抵、背景事情を十分に理解していない人々がもたらす誤解である。

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18件のフィードバック

  1. ビギナー より:

    こんにちは。いつも素晴らしい記事を発信していただきありがとうございます。
    このサイトのおかげで聖書に関する疑問がたくさん解決されました。

    キリスト教は全ての人に開かれている。イエス様が私たちの方に歩み寄ってくださる。信じるか信じないかは自分次第ということは理解いたしました。

    ですが、疑問が残っています。キリスト教に触れる機会が生まれながらにしてない人たち、例えば小さな島に住む民族や、北朝鮮に住む方々はキリスト教の存在すら知らずに亡くなっていく人もいると思います。信じる信じないの前に知るチャンスすらない人もいると思います。

    これらの人々は「知らなかった」というだけで地獄にいくしかないのでしょうか?
    キリスト教徒が極端に少ない日本でさえも学校の授業や日々の生活の中で
    知る機会はあると思います。そういう「キリスト教を知っていたけど受け入れなかった」
    というような人々とは異なると感じました。

    この点はどのように解釈したらいいのでしょうか?
    ご回答よろしくお願いします。

    • true-ark より:

      いつもご購読いただきありがとうございます。
      当サイトが、色々な疑問の解決に手助けとなれたようで幸いです。
      いただいたご質問に対して、回答をさせていただきます。

      ■まず現代の世界において、福音を知る機会の無い人はほとんどいません。
      一見届いていないような地域でも、神は救われるべき人の元へ宣教師を遣わしたり、超自然的な体験を与えたりして、キリストへ導いておられます。
      ・北朝鮮には、地下で活動しているキリスト教徒がたくさんいると聞いています。※表には情報は出ません。ちなみにそのクリスチャン人口比は、日本のクリスチャン人口比より高いと聞いております。
      ・小さな島に住む民族にも、色々な国の宣教師が派遣されています。
      ・伝道が禁止されているイスラム系の国々では、イエスが超自然的に現れ、直接イスラム教徒へ伝道をしておられます。
       それらの国のクリスチャン人口比も、日本よりも高いです。
      ・残念ながら、最も難しい国は日本だと言えるでしょう。

      なお、上記を踏まえても、特に過去の時代において、絶対的に福音を聞く機会を持つことができなかった人がたくさんいると思います。
      その人々は、地上生涯において、どれだけ一般啓示に応答して生きていたかによって、裁きを判断されると思います。
      一般啓示とは、聖書ではなく、自然界を通した神の啓示のことであり、人は誰でも、自然界を通して、神を知ることができるようになっている、ということです。
      この点の根拠は、ローマ1章に書いてあります。
      「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。21 というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。」

      また何かご質問等あれば、気軽にお問い合わせ下さいね。

      • ビギナー より:

        わかりやすくご丁寧な回答ありがとうございます。
        2つ疑問が残ったので再度質問させてください。

        1.「超自然的な体験を与えたりして、キリストへ導いておられます。」というのは夢の中に現れたり、思考を書き換えたり、日常の経験を通して導いたりというような具合でしょうか。

        2.「なお、上記を踏まえても、特に過去の時代において、絶対的に福音を聞く機会を持つことができなかった人がたくさんいると思います。その人々は、地上生涯において、どれだけ一般啓示に応答して生きていたかによって、裁きを判断されると思います。」という部分に関してです。その伝えられた一般啓示で知り得た神をどれだけ信仰したか?または感謝したかという部分が判断され天国にいくか地獄に行くか裁かれるという理解でよろしいでしょうか。

        また、その際は、その神がイエス様である。または自分はクリスチャンであるという自覚はなくても良いのでしょうか。

        それとも根拠として提示していただいたローマ1章にあるように神を知り得た段階でもうその神はイエス様である自分はクリスチャンであるということが超自然的にわかるようになっているのでしょうか。

        ご回答よろしくお願いします。

        • true-ark より:

          1.「超自然的な体験を与えたりして、キリストへ導いておられます。」というのは夢の中に現れたり、思考を書き換えたり、日常の経験を通して導いたりというような具合でしょうか。

          >見える形で顕現する、幻や夢で現れる、などの複数のパターンがあります。
          以下の証を読んでみて下さいね。
          http://true-ark.com/category/life-story/ex-muslim/

          2:その伝えられた一般啓示で知り得た神をどれだけ信仰したか?または感謝したかという部分が判断され天国にいくか地獄に行くか裁かれるという理解でよろしいでしょうか。

          はい、そうだと思います。ですから、結果的に不道徳な生き方をしていた人は、そもそもそういう信仰のあるタイプの人ではないので、救われていないと考えられます。
          ただし、イエスが神である、という点は、一般啓示ではなく、聖書を通した特別啓示でないとわからない真理なので、そこまでを求められることは無いはずです。

          原則として、その時点で与えられた啓示の内容にしたがって、それに応答する、ということがありますので。

          そして、前の時代に、福音を知らずに死んだ人については、これ以上の詳細なことは何も言えません。聖書もそのあたりは、すっきりと明快に答えてはいないからです。

          私たちが、ただ知り得ている確かなことは、神が善い方である、ということです。(マタイ19:17)

          • ビギナー より:

            ありがとうございました!
            紹介していただいた記事を読んでまた理解を深めたいと思います!

  2. ひつじ より:

    どの訳の聖書を読めば正確な理解に繋がるんでしょうか?いろいろありすぎてわかりません。
    聖書をしっかりとは読んではいませんが。。

    • true-ark より:

      http://true-ark.com/bible-bible/#i-7
      上記にて、アドバイスを載せてあります。

      まだしっかりと読んだことがおありでないようでしたら、一度時間をとって、ルカの福音書~使徒行伝までを、一気に読み進めてみられることをお勧めしたいと思います。イエスが、どんなに憐れみ深い方で、彼がどんなことを行ったのか、一通りわかると思いますよ。またわからない点があれば、いつでもお問合せ下さい。
      ひつじさんの上に、神の導きが留まりますように。

      入門用の聖書講座としては、以下もお勧めできます。
      https://subsplash.com/messagestation/top-page/ms/+5746dad

  3. ひつじ より:

    わたしは全然感謝できてません。生まれなければよかったとさえ思います。
    わたしの生き方に尊敬もできません。ただ土に帰るのみです。

    • true-ark より:

      神は、ひつじさんを、ただ土に帰る存在としてお造りになったわけではございません。永遠に、神の子供となり、あなたを祝福するために造られたのです。しかし、ひつじさんがその招きに応じるかどうかは、ひつじさん次第です。もしも、ひつじさんが福音を信じ、永遠の命を持たれるなら、それまでの人生のどんな悪い経験も、このためにあったのだと知ることとなります。

      聖書をしっかり読んだご経験はおありですか?

  4. ひつじ より:

    神は悪魔の存在や人間に自由意志を与えればこうなることを予見できなかったということですかね。
    記事とあまり関係なくごめんなさい。

    • true-ark より:

      ご返信遅れて申し訳ありません。コメントありがとうございます。
      ご指摘の内容は、記事の内容と重要な関係があるかもしれません。
      つまり、悪が増殖し、その悪人たちが大量に裁かれるようになることは、自由意志を与えることの結果であることがわかっているのなら、なぜそのような自由意志を持つ人間を創造されたのか・
      神が愛であるのなら、それは矛盾ではないか?という指摘です。
      まず、聖書によれば、確かに神は、世界の創造の前から、人類の多くが反抗することを予期しておられたと思います。しかし、その張本人であるイエス・キリストは、神が愛であり唯一の善い方であると証言しました。実際に、彼の生涯は、その通りのものであり、それに異論を唱える人は、世界的に見ても少数であると言えます。
      ですから、イエスが神の子であると信じるクリスチャンは、そのような前提で、聖書を理解することになります。もっとも、このような理解は、ノンクリスチャンにとっては理解が難しい問題でしょう。

      もう一つの点としては、私たちの側において矛盾と思えるような出来事でも、神の側では矛盾ではない、ということが考えられます。というのも、私たち人間は、あらゆる点において、神とくらべて有限な存在であり、真理の全貌を理解しているわけでは決してありません。すると、矛盾だと考えていることが、限られた知識に基づいた誤解である、ということも十分に考えられるのです。

      最後にひつじさんにご質問があります。
      ひつじさんは、今生きていること、この世に生を与えられたことを感謝できますか?
      「生きていて良かった」と思えることが、人生でありますか?

  5. ZERO より:

    ただ一つだけ
    神の存在を認めず、従わないのは、
    人間の罪であり、存在は、認められないのです。

  6. 無知者 より:

    絶対の権利者で想像したものの良し悪しで生殺与奪を当たり前とする。
    なんか恐ろしいばかりで悪魔と変わらん気さえする。

    そもそも万能なんだから、ちゃんと諭せないものなんだろうか?
    もう無理、諭すとか無理。はい皆殺しね!みたいな話にしか聞こえないですね。

    • true-ark より:

      神は人に自由意志を与えたので、最終的な裁きの結果は、人が自らの選択で招いたものです。
      無知者さんのご批判で一貫している部分は、個人的な復讐と、法に基づく裁きを混同しているところだと思いますよ。
      法に基いて裁きを行うことは、どの人間社会でも一般的に行われていますが、誰もそれを批判しません。

  7. 縄文人 より:

    TRUE-ARK さんによると縄文人はノアの末裔らしいですね。
    縄文文化を見ていると、とても信じられませんが。
    (例えば聖書以外の世界では、縄文人は当時世界最大級の丸木舟で小笠原あたりまで航海していた痕跡がありますが、
    箱舟を建造してトルコから極東まで旅した民族の末裔にしてはやることがショボイですね)
    その以前の旧跡時代に日本に在住していた原日本人は
    神の怒りに触れて洪水で絶滅してしまったのですね。
    縄文人とDNAパタンが似ているのも不思議な話ですが。
    旧石器時代の日本人はどのような悪行のため、大洪水で虐殺されたのですか?

    • true-ark より:

      ・日本の古代人の年表は、炭素14法に従って推測されていますが、
      文字の資料で客観的に照合できる資料が無いので、完全に断定することはナンセンスです。
      実際に、文書資料で遡れる最古の文明は、やはりメソポタミアやエジプトあたりです。
      放射性炭素年代測定は、多少の誤差もある可能性があるので、創造論者は、1~2万年前程度の数値は、あまり気にしていません。
      このあたり、前にもお伝えしております。

      • マグダラのマリア より:

        >日本の古代人の年表は、炭素14法に従って推測されています
        古代の日本人、縄文文化の年表は炭素14法だけで推測されていないことを、あなたは良く知っているハズですが?
        また、知らぬふりですか?ウソつくと天国に行けませんよ!
        大量の出土品の時代別変化、年輪法、水月湖などの湖底年縞、姶良Tnなどの火山灰…etc 水月湖のほとりでも縄文遺跡が出土しています。
        >最古の文明は、やはりメソポタミアやエジプトあたりです。
        ?? 聖書が絶対に正しいとして、エジプトの文献は全く無視する人が不思議なことを書きますね?
        中国でも殷の時代(紀元前17世紀)からは文献資料がありますよ。
        姶良カルデラが噴火(30014年前)する以前の地層から縄文人の貝塚など遺跡が多数発掘されているから、ノアやアダム&エワのはるか以前から日本列島には人類が住んでいたのです。
        その後も日本列島が水没したことを現す、地質的痕跡は皆無です

        • true-ark より:

          この問題に相当こだわっておられるようですね。
          まず、炭素14法やその他の手法は、有史以降の4000年前くらいまでなら、他の考古学的資料との比較により信頼性が確認されていますが、それよりも古くなると、どうしてもある程度の前提や推測が入りますので、絶対的な指標とはなりづらい、という点をまずお伝えさせていただきたいと思います。

          縄文時代の遺跡についても、その全ては文書的な資料での年代の証明が難しいので、水月湖の年縞や、それによってわかっている時代ごとの炭素の量を炭素14法に適用する方法によって、年代を算出されているのだと思います。

          この点については、米国の創造論団体が発行している英語の論文が、邦訳される予定だとは聞いていますが、現状はまだ進んでいないようなので、言及を控えたいと思います。そこで、今回は少し違った視点で、この問題を考えてみます。

          水月湖の年縞は、約七万年前まで遡れるようですが、この七万年前という年代は、ノアの大洪水のみならず、保守的な創造論者が支持する「若い地球説」とも矛盾してきます。では、ノアの大洪水の話は一旦置いておき、今からおよそ六千年前に天地創造が行われたとするこの若い地球説を支持する科学的な証拠について、少しご紹介をしたいと思います。

          天地創造が七日間だったことを証明するとされる科学的な事実は多岐に渡りますが、その中から七日間の創造説を否定する創造論者が異を唱える説については、省いてご紹介を致します。

          (1)地球の磁場
          アメリカの著名な創造論者、ラッセル・ハンズフリー博士によれば、地球の地磁気は減退傾向にあり、過去にさかのぼって地球磁場の限界に至るまでの年代を概算するなら、それは「最大で8700年」であるとしています。

          (2)宇宙空間から地球と月に降り注ぐ「宇宙塵」の量
          宇宙塵の量は、これらの星が極めて若いことを示しています。当初進化論者は、月の年齢が地球と同じ45億年くらいと考え、月面の宇宙塵の量を10メートルにも達するだろうと推測しましたが、実際の月面の塵の厚みはたったの数ミリでした。テキサス大学教授ハロルド・S・スラッシャー博士は、「宇宙塵の堆積年数は、数十億年というより、むしろ5~6千年にしかならないことがわかります。」と語っています。

          (3)超新星のステージと数
          は巨大な星の爆発で、短い期間、銀河のどの星よりも明るく輝きます。物理的計算によれば、超新星の残骸(SNRs)は、数十万年間も拡散します。ところが、時間が経って広く拡散した(第三段階)は存在せず、比較的若い(第一段階)ものでさえ、天の川銀河にも伴銀河であるマゼラン雲にもほとんどありません。超新星が広く拡散していないということは、銀河は非常に若いとかんがえられるのです。・・・「創造の疑問に答える」91項。
          参考までに、銀河年齢を六千年とする創造論モデルの場合、第二段階の超新星の数はおよそ200程度になると推測され、進化論のモデルでは2000個以上と推測されます。では、実際に観測される第二ステージの超新星の数はというと、たったの200程度であり、事実は創造論のモデルに実によく合致するのです。

          (4)若い地球を示す60以上の世界的規模の事象
          創造調査研究所の総主事であるヘンリー・M・モリス氏は、その著書「現代科学の聖書的基礎」477~480項、地球と宇宙の年齢が、進化論者の必要とする数十億年よりも遥かに短いことを示す全世界的規模の事象を60以上リストしています。ご興味があれば、是非ご自身で確認をしてみて下さい。

          以上の点から何が言えるでしょうか?それは、水月湖の年縞が、進化論を肯定する一つの科学的な証拠の一つであるとすれば、それに否定する創造論者側の別の科学的な証拠もあるのです。

          では、これらの反論し合う科学的な証拠を前にした時に、どんな基準に沿って、どちらが正しいかを判断されますか??もしもあなたが「科学」を信じるのなら、どちらの科学的な証拠も考慮するべきではないでしょうか?

          しかし、歴史科学というのは実に難しいものであるため、何らかの前提を据えなければ、これが真理だと確信することは中々できません。

          当サイトは、聖書の記録を真理として受け入れています。なぜなら、その根拠は、人間の不確かな科学ではなく、創造の当事者である神の言葉を、また天地創造の前から存在してきたキリストの証言を、その土台として受け入れているからです。神による目撃証言の方が、揺れ動く科学よりも、ずっと信頼できるのではないでしょうか?

          ◆エジプトの年代記と聖書との矛盾
          まず、現行のエジプトの歴史は、歴代の王の年表を、そのまま縦に並べたものだということを確認しています。しかし、実際には複数の王が、同じ時代に別々の場所で王として統治していた可能性にについて研究している専門家がいます。この点についてはまだ研究中らしいのですが、この研究の結果が事実だとすれば、王朝の年表は従来よりも短縮されることとなり、聖書の記録と合致してきます。

          私の知人に、エジプトの歴史に詳しい人がいましたが、彼にこの問題を尋ねたところ、「エジプトの昔の王たちは、王が変わる度に過去の歴史を平気で修正したりするから、自分はエジプトの歴史の正確性はあまり信用していない」とのことでした。

          この見解を裏付けるかのように、エジプトの年表と合わないのは、聖書の歴史だけではありません。アッシリアの古代史とも、現行のエジプトの歴史が調和しないことが専門家の間で明らかとなっています。つまり、現行のエジプト史は、聖書ともアッシリア史との調和しないのです。

          ちなみに、中国の歴史が紀元前1700年から記録されているとのことですが、聖書の年表上、大洪水の後の時期ですので、本件とは関係がありません。

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