「アーメン」の意味は何ですか? その言葉はイエスについて何を明らかにしていますか
クリスチャンが、いつも祈りの最後に唱える「アーメン」という言葉。今回の記事では、この言葉の意味について、また「アーメン」という言葉が、イエスと関連してどのように用いられているのかを聖書から明らかにしていきます。
アーメンの意味
「アーメン」とは、ヘブル語の言葉であり、「まことに、確かに、そうありますように、」という意味があります。そしてこの言葉は、ギリシア語で書かれた新約聖書においても、同じ「アーメン」という言葉で表記されています。つまり「アーメン」は、異なる表現に置き換えられず、ヘブル語の言葉のままで受け継がれていったわけです。
ですので、時代を経ても、話す言葉は違っても、世界中のクリスチャンは、「アーメン」という言葉をそのまま用いてきました。ただし、母国語の音の違いによって、その発音は多少変わったりします。例えば、日本では「アーメン」と言いますが、英語圏では「エイメン」という音で発音されています。
祈りの最後に
「アーメン」の用いられ方として最も代表的なものは、祈りの最後に唱える言葉としてでしょう。「アーメン」を唱えることによって、その祈りの内容に対して「そうなりますように」という同意の意志を表す事ができるわけです。
ですので、祈りの時や、その他の場合で用いる際は、同意できないのに、無理に「アーメン」と言う必要はありません。あくまで同意できる時に、アーメンと答えれば良いのです。(ただし、大抵の場合、グループでの祈りをリードする人は、皆が同意できるような祈りへと導かれるものです)
まことに・・言います
確かな真理として強調する
福音書を読んでいると、よくイエス・キリストが、「まことに、あなたがたに言います。」と語っているのを覚えている方も多いと思います。この「まことに」という表現が、実は原文では「アーメン」となっているのです。
「まことに(アーメン)、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。」(マタイ5:18)
前置きとして「アーメン」と言わずとも、イエスの語る言葉は、常に真実でした。しかし彼は、大切な真理を強調したい時には、「アーメン」(まことに)と言うことによって、その真実性を聞き手に対して強く印象付けたのです。
ではイエスは、どんな言葉を語る時に、「アーメン」と言ったのでしょうか?まずは、すでに紹介したマタイ5:18です。
律法(旧約聖書)の全ての言葉は実現します
「まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。」(マタイ5:18)
ここでの「律法」とは、旧約聖書全体を表しています。またヘブル語の文字では、文字に点が含まれるかどうか、文字の端の形が丸いか角ばっているかでどうかだけで、言葉の意味が全く変わってくる場合があります。
ですからイエスはここで、「旧約聖書の言葉は全て神からのものであり、その預言は完全に成就する」ということを絶対的な真理として強調したのです。
信じる者は永遠のいのちを持つ
「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。」(ヨハネ5:24)
ここでイエスは「アーメン」を二度繰り返しています。それだけ重要な真理だと強調したかったのでしょう。その真理とは、イエスの言葉に耳を傾け、父なる神を信じる全ての人は、確実に永遠の命を持ち、神の裁きから解放される、と言う真理です。イエスを信じる人は「絶対に救われる」、それが、神からの重要なメッセージなのです。
信じる者はイエスと同じわざを行う
「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。」(ヨハネ14:12)
ここではイエスは「アーメン」を二度繰り返し、その重要性を強調しています。信じる者、つまり全てのクリスチャンは「わたしが行うわざを行う」と言いましたが、そのわざとは何でしょうか?
「17すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その巻物を開いて、こう書いてある箇所に目を留められた。18『主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、19主の恵みの年を告げるために。』・・21イエスは人々に向かって話し始められた。『あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。』」(ルカ4:17〜21)
イエスが地上で行なった「わざ」とは、福音を宣べ伝え、人々を悪霊と病から自由にすることでした。ですからイエスは、全ての信者は、イエスと同じように、これらのわざを行う事ができると言うことを、重要な真理として語られたのです。
なお、興味深いことに、話の前置きに「まことに・・」と言ったのは、聖書の登場人物の中では、イエスだけでした。ペテロもヨハネもパウロも、彼らのどの書簡の中においても、同様の表現は一度も使っていないのです。その理由は、次に説明する、アーメンのもう一つの用いられ方を考慮した時に、明らかになってきます。
アーメンである方
「また、ラオディキアにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、確かで真実な証人、神による創造の源である方がこう言われる──』(黙示録3:14)
アーメンの最後の用いられ方は、上記の聖句の通り、イエス・キリストの称号としてです。続く箇所での「忠実で真実な証人」という称号も、「アーメン」とほぼ同じような意味です。イエスはここで、同じような意味を持つ称号を二つ並べて繰り返すことにより、その意味を強調していると考えられます。
そして、ご自身を「アーメンである方」と言うことにより、「忠実・真実」こそが、ご自身の存在のあり方そのものだと断言されたのです。
ですから、イエスが自身の言葉を覆すことはありません。彼は、二千年前に語った全ての言葉を成就させるために、必ず、彼を信じる全ての者を救うために、戻ってこられるのです。アーメン!
【最近のコメント】