イエス・キリスト誕生(降誕)物語―クリスマスの本当の意味を味わう
今からおよそ2,000年前―
中東のメソポタミア―バビロンの地での出来事である。
その夜、天文学の博士*[1]であるベルテシャザル*[2]は、
いつもの習慣に基づいて、
神殿の屋上へと上っていった。
いつもよりも美しい、満点の星空であった。
ベルテシャザルは思わず仕事を忘れ、しばらくの間、
バビロンの夜空に見とれながら、物思いにふけっていた。
「それにしても、美しく壮大な星々だ。
一体これらの星は、いつから空に散りばめられ、
このように輝いているのだろうか?これら全てを造られたまことの神がおられるのなら、
私の存在などあまりにも小さく、
無に等しいのではないだろうか。」
すると、ベルテシャザルの目に、地平線の彼方から、
ある一つの星が、まっすぐに天へと上っていく光景が映った。
その星は、瞬く間に、ベルテシャザルの目を釘付けにした。
彼は数十年に渡って、
天文学の博士としてあらゆる星々を観測してきたが、
このような星は、一度も見たことが無かったからだ。
満天に輝く星空の中にあって、
その星は他のどの星よりも際立って輝いており、
神々しい色彩を放っていた。
また、地平線の彼方からまっすぐに天へと上り、
そこで静止した独特な動きも、
他のどんな星にも見られないものであった。
ベルテシャザルがしばらくその星を眺めていると、
彼の同僚の博士たちも屋上へ到着したが、
すぐに彼らの目も、その星に釘付けになった。
「一体、あの星は何だ。
何を表すしるしなのだろうか?」
すると、突然ベルテシャザルの脳裏には、
バビロンの博士たちの間で伝えられてきた
あるユダヤ人の預言者の言葉が思い起こされた。
「ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。」(民数記24:17、紀元前1500年頃の預言)
心の内から静かに湧き上がる興奮を抑えながら、
ベルテシャザルは、空を見上げ、言葉を発した。
「もしや、あの星は、ユダヤ人の王―
救い主の到来を示しているのではないだろうか?」
はじめに~クリスマスのストーリーについて
クリスマスは、紀元四世紀以降に、キリストの誕生を記念するために、ローマ帝国によって定められた祝祭である。本記事では、キリストの降誕の様子を、史実に即したストーリー(歴史小説)のかたちで描いていくが、史実として用いる基本的な資料は旧新約聖書となる。
新約聖書に記されたキリストの誕生に関する一連の記録は、懐疑的な立場からは常に批判の対象とはなっているが、その歴史的事実としての信頼性については、歴史的に多くの専門的な研究者から、確かな証拠に基づいて認められている。
本ストーリーを書くにあたっては、聖書の記録を史実として土台にしつつ、フラウィウス・ヨセフスの古代誌や、他の文献も参考にしているので、解説が必要な箇所については、随時脚注の欄に加えていく。
どこまでが史実で、どこからが著者の創作なのかについて気になる方は、ぜひ後で実際に聖書を開き、ご自身の目で確かめてみてもらいたい。そして、本ストーリーを通して、読者の方々がキリストの誕生―クリスマスの意味について思いを馳せ、聖書の世界に興味を持って頂ければ幸いである。
ユダヤの王―キリストの星
その日以来、ベルテシャザルの心は、その不思議な星にすっかりと奪われた。彼の仲間の学者たちも、その星の確かな意味を調べるために立ち上がった。
彼らがまず調べだしたのは、あの日、ベルテシャザルの頭をよぎった、ユダヤ人の預言者からの言い伝えであった。その預言者の名は「ダニエル」である。
かつて、紀元前609年~539年は、バビロンが栄化を誇った時代であり、新バビロニア帝国が中東全域を支配していた。ダニエルは、その時代に捕囚として連れて来られたユダヤ人の一人であった。彼は、神の霊に満たされた人であり、ある時、王が見た不思議な夢を解き明かしたことをきっかけに、バビロン全域の賢人たちのトップにまで上り詰めた人物であった。
この預言者ダニエルは、世界強国の興亡と、終わりの時代に起きる事柄について、多くの驚くべき預言を残した人物であるが、救い主の到来についても、幾つかの際立った預言を残している。また彼は、救い主の到来について、他のユダヤ人の預言者たちが記録した幾つかの預言書も、自身の預言書と共にまとめ、保管していた。
ベルテシャザルとその仲間たちは、かつてダニエルが残した預言書や伝承を探し始めた。ちなみに、この「ダニエル」という預言者は、かつてバビロンの王から「ベルテシャザル」というバビロニア人用の名前も与えられていた。博士のベルテシャザルは、かつて自分と同じ名前を与えられていたこのダニエルという人物に、不思議な縁を感じるようになっていった。
博士たちは、ダニエルが数百年前に残した伝承と預言の記録の全貌を発見し、それらをくまなく調べだしたが、その中のある預言が、救い主の到来に関して、ある特定の年代を示していることを見出した。そして彼らは、ユダヤ人の歴史と、バビロニアの年表を比較し、救い主の到来の時期を注意深く計算した。
そして、ある満天の星が輝く夜、ベルテシャザルとその仲間たちは神殿の屋上で集まったが、ちょうどその時、救い主の到来に関する計算の正確な結果が導き出された*[3]。ベルテシャザルは、興奮しながら、声を震わせ、口を開いた。
「ダニエルが預言した救い主の到来の時期、それは『今』である。」
その場に居た全員が、互いに顔を見合わせ、興奮を抑えきれず、神をほめたたえた。そして、彼らが顔を天に向けた時、あの不思議な星が力強い光を伴い、彼らの居る場所を明るく照らした。するとその星は、ある方角へと動き始め、西の彼方まで来たときに、そこで停止した。
天文学に長けた博士たちにとって、その星が停止した場所がどこであるかは説明不要だった。そして、ベルテシャザルと彼の仲間の博士たちは、その目をまっすぐにイスラエルに向け始め、互いの心を一つにした。
「ユダヤ人の王、救い主であるお方に会いに行こうではないか」
マリアへのお告げ
ヨセフとの結婚
バビロンで星が上がる約1年ほど前のことである。
イスラエルの首都であるエルサレムから、北に約150kmほどの道のりの場所に、ナザレという小さな田舎町があり、そこにマリアという名の少女が住んでいた。
当時のマリアの年齢は、おそらく13~15歳ほどである。彼女は美しい顔立ちをしており、村では評判の可愛らしさであったが、その美しさは何よりも彼女の内側からにじみ出るものだった。家は貧しかったが、その生活に大した不満を感じることも無く、むしろ自分の家族と共に神の教えを学び、簡素な生活をすることに喜びを感じていた。まだ若かったが、マリアは立派な信仰者へと成長していたのである。
そんなマリアは、同じダビデの家系*[4]に属する「ヨセフ」という男性と婚約をした。当時のユダヤの慣習では、このくらいの若い年齢で結婚をするのも普通だった。ユダヤ式結婚の流れでは、まず婚約が成立した後に、通常1年ほどの期間を置いてから、結婚をする流れとなる*[5]。
正式に婚約をしたマリアは、やがて訪れるヨセフとの結婚生活に若干の不安を抱きつつも、期待を膨らませながら穏やかな日々を過ごしていた。しかし、そんな彼女に、ある日驚くべき出来事が起きる。
天使ガブリエルの来訪
その日、マリアは夜の食事を終えた後、一人部屋で休んでいるところだった。すると突然、白い衣を来た一人の男性が、自分の部屋に入ってきて、こう言った。
「おめでとう!恵まれた方。主(神)*[6]があなたと共におられます。」
マリアは動揺した。突然知らない男性が、許可も無く家の中に入ってきただけではなく、何の前置きも無しに「おめでとう」と語ってきたのだ。しかも、その男性の風貌は、明らかに普通の男性とは異なり、その表情は天使のようで、体からは不思議な澄んだ光が優しく放たれていたのだ。
マリアは口を閉じて、心の中であれこれと思い巡らしていたが、その人は続けて次のように語りかけた。
「恐がることはない、マリヤよ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたは妊娠して、男の子を産みます。名を『イエス』とつけなさい。 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。 彼は永久にヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
ここに来て、マリアはその人物が誰かをはっきりと認識した。それは、神から遣わされた天使「ガブリエル」*[7]だったのだ。しかし、マリアは次のような疑問を投げかけた。
「どうしてそんなことが起こり得るでしょうか?私はまだ男の人を知りませんのに。」
するとガブリエルは答えた。
「神の霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません!」
マリアは衝撃を覚えた。そのときに天使から語られた言葉の意味を十分に理解することはできなかったが、何かとてつもない出来事が自分の身に起ころうとしていることを直感した。そして彼女の内側からは、神の宣言に対する熱い思いが沸き起こった。
「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのお言葉通りのことが、この身になりますように!」
こうして天使は、彼女から去って行った。
さて、この時に現れた天使ガブリエルがマリアに語った一連の言葉の要点を整理してみよう。
- マリヤは神の力によって、処女の状態で、超自然的に妊娠する。
- 生まれる子どもは「イエス」と名付けられ、「神の子」「聖なる者」と呼ばれるようになる。
- イエスは「ダビデの王座」につき、その王国を永久に支配する。
ダビデの王座につく神の子とは、ユダヤ民族が歴史的にその到来を待ち望んできた「救い主」のことである。彼らはそれを「メシア」(Messiah)と呼ぶが、ギリシャ語では「クリストス」となり、私たち日本人はそれを「キリスト」(Christ)と呼ぶ。今日の誰もが知っている名前である。
マリアに対するこれらの一連の約束が、どれだけ意義深い宣言であるかについては、21世紀に生きる日本人が容易に理解できるものではない。しかしそれは、ユダヤ民族だけでなく、遠く離れた地に生きるわれわれ日本人にとっても、はたや全世界の全ての民族にとっても、極めて重要な意味を持つものである。
そこで、これらの宣言の意味を理解するために、さらに時計の針を戻し、今からおよそ4000年前―キリストの誕生の2000年前の時代に遡ることにしよう。
アブラハムへの神の約束
神の声
時を遡ること、紀元前21世紀、およそ4000年前の時代、中東のメソポタミア、バビロンの地域のウルという名の都市での出来事である。(本書の冒頭で登場したベルテシャザルも、このバビロンの地域の人物である)
その夜、ジッグラトと呼ばれる神殿を上っていく、一人の男の姿があった。その男の名は「アブラム*[8]」と言い、後に「アブラハム」という名によって、世界三大一神教の源流となっていく人物である。彼は天文学に精通した人として、ウルでは名の知れた人であった*[9]。アブラムは、中央から真っ直ぐに上へと続く階段を登り終え、祭壇のある屋上へ着いた。眼下には、周辺に広がる建物の明かりが、その都市の繁栄を物語っていた。
満月の綺麗な夜だった。その月の明かりは、上空を見上げたアブラムの顔を照らしてはいたが、彼の心の中までを照らすことはできなかった。
「それにしても、この都市の住民の多くは心が鈍い。彼らは生活を豊かにすることに心を奪われ過ぎている。見えるものにしか目を留めることができず、この夜空の満月を崇めることはできても、満月と天体を造られた神を悟ることができない。私の心と彼らの心との間には、大きな溝がある、この先、私はどこへ行くべきか?*[10]」
すると、どこからともなく、彼に語りかける声がした。
「アブラムよ。」
幻聴では無かった。その声は静かではあったが、威厳があり、はっきりとした音でアブラムの耳に語りかけた。戸惑いながらも、アブラムは答えた。
「はい、わたしはここにおります。」
するとその声は、続けてアブラムに語りかけた。
「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。」(創世記12:1-2)
途端に、その語りかけの声は、バビロンの地で乾いていたアブラムの心を満たしていった。そして彼は、直感的に理解した。この声の主こそ、アブラムが信じてきた天地の創造主なる神の声であることを。
救い主の到来の約束
「神が私に語りかけた」という明確な認識は、アブラムの心に大きな変化を与えた。しかもそれは、単なる語りかけではない―神が示す地へ行けば、自身が大いなる国民となり、その名が大いなるものとなる、という壮大な約束の言葉だったのである。
その後、少しの年月が経ち、アブラムが七十五歳の時であった。彼はその眼差しを、あの声が示したカナンの地、後にイスラエルと呼ばれる土地へと定め、長く住み慣れたメソポタミアの地を後にした。
メソポタミアへ出た後のアブラハムは、神が示したカナンの地へ旅立ち、遊牧民としてその地を巡り歩いたが、神は、アブラハムが行くところどこにおいても彼を守り、その歩みを祝福していかれた。
そして、アブラハムが人生最大の信仰の試練を乗り越えたまさにその時、神は、アブラハムに最も重要な約束の言葉を与えた。それは彼の子孫から、全人類を祝福する「メシア」が誕生する、という約束だったのである。
「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。・・わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」(創世記22:16-18)
以来、アブラハムの子孫であるイスラエル人*[11]は、やがて自分たちの中から救い主が到来するという神の約束を信じ、心待ちにしてきた。
そして時が流れ、アブラハムに救い主の約束が与えられてから2000年が経とうとしていた紀元前1世紀の時代、ユダヤ人の間では、かつてないほどに、キリストを待望する気運が高まりつつあった。こうした歴史的背景の中にあって、ついにキリストの誕生を告げる知らせが、ナザレの貧しい家の乙女、マリアの元へと届けられたのだ。
「ご覧なさい。あなたは妊娠して、男の子を産みます。名を『イエス』とつけなさい。 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。 彼は永久にヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
(なお、神がアブラハムと結ばれた契約の詳細については、本記事の付録『アブラハム契約』にて解説している。)
ベツレヘムでの誕生
出産が近づく
さて、天使ガブリエルからお告げを受けてしばらくの後、マリアは神の宣言通り、自分が妊娠していることに気付いた。そして、紆余曲折はあったものの、夫のヨセフもそのことを理解し、二人は結婚に向けて足並みを揃え、8ヶ月が過ぎ、着々と出産の時が近づいていた。
しかし、当のマリアは気付いてはいなかったが、この時点ではまだ、キリストの出生に関する預言の最後のピースは埋まっていなかった。それは「ベツレヘムで誕生する」という預言である(ミカ5:2)。当時、マリアの住んでいた地域はナザレという町であり、ベツレヘムからは遠かった。
しかしその時、神の導きによって、出生に関するメシア預言の最後のピースが埋められようとしていた。
メシア預言
「最後のピースが埋められようとしていた」ということは、メシアの出生に関する他の預言のピースは、すでに埋まっていたことを示している。
アブラハムへの約束から始まり、救い主の誕生に関して、神は他にも幾つかの預言を啓示していた。それは、救い主が到来する時に、私たちがその存在を確かに認めることができるようにするためである。メシアに関する他の預言には、例えば、次のようなものがある。
- ユダの部族、ダビデの家系から誕生する(創世記49:10、第一歴代誌17:10-14)
- 処女から誕生する(イザヤ7:14)
- 貧しい家の出となる(イザヤ11:1-2)
「ユダ部族」とは、イスラエルの十二部族の中の部族名であり、このユダ部族から「ダビデ」という有名な王が登場した。そして、救い主は、このダビデの家系から到来することになっていたが、マリアとヨセフは、ダビデの家系に属していた。
「処女から誕生する」という預言は、男を知らない乙女のマリアが、キリストの母親として選ばれたことによって成就した。
「貧しい家の出」となる、という預言も、救い主の親として選ばれたマリヤと夫のヨセフが、どちらの貧しい家庭であったことにより成就していた。
こうして、キリストの誕生に関するあらゆる預言が正確に成就していく中で、「ベツレヘムで誕生する」という最後のピースも、神の導きにより、埋められようとしていたのである。
(なお、メシア預言に関する詳細は、本書の『付録2:メシア預言』にて解説している)
ローマ皇帝アウグストの勅令
その頃、時のローマ皇帝アウグストから、全世界に住民登録を求める勅令が出された。勅令によれば、帝国内の全ての住民は、自分の故郷の町へ帰って登録をしなければならず、身重のマリアとヨセフも例外ではなかった。
では、彼らの故郷とはどこだったのか?ダビデの家系に属する二人にとって、それは「ベツレヘム」だったのだ。
既に身重になっていたマリアにとっては、この勅令は決して喜ばしいものではなかった。できるなら、このままナザレの町に留まって出産を迎えたい、というのが本心だった。しかしこの時マリアは、気持ちとは別に、自分をベツレヘムの地へと後押しする不思議な力が働いているのを感じていた。
身重のマリア、ベツレヘムへ
ナザレからベツレヘムまでの距離はおよそ150kmあり、歩いて3日~4日ほどの距離である。日本で言えば、東京駅から伊豆の下田付近までの距離と同じくらいなので、決して近い距離とはいえない。
ヨセフは、妻のマリアを気遣って、彼女を馬に乗せ、普通よりも少し遅めの速度でベツレヘムへの道のりを進めた。久々の帰郷だったため、ベツレヘムへの道のりは楽しみでもあったが、ヨセフの心には若干の心配があった。
「ベツレヘムに滞在している間が、マリヤの出産日となるかもしれない。ただ、住民登録の影響で、町にはたくさんの人が集まっているはずだ。そうなると、マリヤの出産のためのふさわしい宿を見つけることが、果たしてできるだろうか?」
ベツレヘムに到着したが、案の定、ふだんは人気の無いその町も、帰郷してきたたくさんの人々で賑わっていた。旅の疲れでぐったりするマリアを休ませ、ヨセフの方は町の中を歩き周り、宿を見つけるために奮闘したが、どこも人が一杯で、中々見つけることができない。焦りだしたヨセフが、ようやく見つけた場所は、宿ではなく、家畜用の洞穴だった。
ヨセフは申し訳なさそうに、マリアのところへ戻ったが、当の彼女はそんなことは気にしない、という感じで、むしろ体を休める場所が見つかったことを神に感謝した。
(実は、宿が見つからなかった状況でさえ、神の導きによるものだった)
イエス・キリストの誕生
さて、ちょうど洞穴についた頃から、マリアの陣痛が始まった。間隔を空けながら、徐々に増していく痛みに耐える妻を見ながら、ヨセフはただ神に祈り続けた。出産を助けるために来てくれていた二人の親族も、共に祈りながら見守った。
一方マリアは、陣痛の痛みが増すごとに、この出産が神の見えない力に守られているという感覚を強く感じるようになっていった。さらに、その場にはヨセフと何人かの親族しか居なかったが、それに加えて、何か目には見えない大集団が見守っているような気配を感じた。
(実際には、天使の大軍団が、神が人となる待望の瞬間をその場で見守っていたのである。)
そして、陣痛が始まってから数時間の後のことだった。洞穴一杯に響き渡る産声を上げながら、ついに幼子は誕生した。
豪勢な邸宅でもなく、普通の宿でもなく、家畜用の洞穴という最も貧しい場所を、人類の救い主となられる神の子は、自らの出生地としてお選びになったのだ。それは、遠い昔から、悠久の時を越えて告げられてきた神の約束が、遂に実現し始めた瞬間だった。
「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。
その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。
今より、とこしえまで。」(イザヤ9:6-7)
マリアは疲れきっていたが、心の中は溢れる喜びで満たされていた。そして、幼子を布にくるんで、飼葉おけに寝かせた後、目を天に上げながら、聖霊に満たされてこう言った。
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主なる神を喜びたたえます。
今わたしは、主によってひとりの男の子を
得ることができました。
主はその憐れみをいつまでも忘れないで、
その僕、イスラエルをお助けになりました。私たちの先祖たち、
アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」
羊飼いたちの訪問
天使たちとの遭遇
マリアがその幼子を産んだ時、その場に居た人々は静かにその喜びを分かち合っていたが、一方見えない世界―天国では、数え切れないほどの天使の大集団が、あらん限りの大声で、その誕生に歓喜し、神を称えていた。
そして、マリアをそばで見守っていた天使たちは、その場を離れて、別の場所へと飛んでいった。
さて、その夜、幼子が生まれた洞穴からそう遠くないベツレヘムの野で、羊飼いたちが野宿をしながら羊の群れを見守っていた。すると突然、出産を見守っていた天使たちがやって来て、彼らのところへ現れた。そしてあたり一面は、太陽よりも明るい光で包まれた。
羊飼いたちが恐れ、戸惑っていると、天使は語りかけた。
「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです!あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」(ルカ2:10-12)
するとたちまち、その天使と一緒に、たくさんの天使の群衆が現われて、神をたたえながら次のように語った。
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ2:14)
こうして天使たちは、大きな喜びに包まれながら、天へと帰っていき、あたりは再び静かになった。
羊飼いたちの訪問
残された羊飼いたちは、空いた口がふさがらず、しばらくはその場で呆然と立ち尽くしていたが、互いの顔を見合わせてようやく語り合い始めた。
「これは大変なことだ。私たちの父祖、アブラハムの時から語り継がれてきた救い主の約束が、今果たされたのだ。あのような天使のお告げを聞いてしまった以上、私たちがベツレヘムに行って幼子を見に行かないなんてことがあり得るだろうか?さあ、今すぐに会いに行こう!」
ヨセフとマリアは、一段落し、丁度うとうとし始めていたが、突然、見知らぬ羊飼いたちが入口に立っているのを見て驚いた。
「こんな時間に、どなたですか?」
すると羊飼いたちは、興奮を抑えきれない口調で、自分たちが来た理由を答え始めた。
「私たちは、この町に住んでいる羊飼いです。丁度今晩は、野宿をしながら羊の群れを見守っていたのですが、そこへ突然天使たちが現れて、救い主の誕生を大声で告げてきたのです!それから『あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。』と告げられました。それで、その救い主であるみどりごにお会いするために、急いでここへ来たのです!」
すると、羊飼いたちの目に、布にくるまり、飼葉おけで寝ている幼子の姿が、洞穴の奥から飛び込んできた。
「あの子だ、天使たちの告げた通りだ!」
これを聞いて、その場にいた人たちは皆、驚きを隠せなかった。マリアは、かつて天使が自分たちに告げた言葉と羊飼いたちの証言とが、生まれてきた幼子を通してぴったりと繋がったことを実感した。そして、これらの出来事を思い巡らしながら、それを心に収めた。
羊飼いたちは、幼子を礼拝し、大きな喜びを抱いて、神を賛美しながら帰りの道を歩いていった。
そしてその夜、一つの星がベツレヘムから上っていき、遠く離れた東の地―バビロンの夜空を照らし始めた。― その日は、バビロンの天文学の博士ベルテシャザルが、初めてその不思議な星を見た日となったのである。
東方の博士たちの礼拝
エルサレムへの道のり
イエスがベツレヘムで誕生し、バビロンの夜空に星が上ってから、およそ二年後のことである。
東から西へ―イスラエルへと進む、一つの集団があった。ベルテシャザルと、その仲間の博士たちである。
バビロンからイスラエルまでは、およそ1400kmあり、日本で言えば、ちょうど本州の最北端である青森県から、最西端の山口県までの距離に相当する。決して、軽い気持ちで行けるような道のりではない。しかし、救い主に礼拝を捧げたいという思いに駆られた彼らにとっては、そんな長い道のりも苦では無かった。
らくだの背に揺れながら、ベルテシャザルは思い巡らした。
「かつて、神の約束を受けたヘブライ人アブラハムも、今の自分と同じように、神からの啓示への応答として、こうしてバビロンの地からイスラエルへと旅立ったのだ。そう言えば、彼も私と同じく、天体の知識に精通していたと言われている。こうして神は、バビロンからイスラエルへ、偶像礼拝からまことの神へ、空の星々からまことの星への礼拝へと、われらを導くのだ。*[12]」
そうこう思い巡らしているうちに、彼らはとうとうユダヤの地へと足を踏み入れたが、彼らが真っ先に向かった先は、ベツレヘムではなくエルサレムだった。
ヘロデ大王、キリストを恐れる
エルサレムに着くと、彼らは当時ユダヤを支配していたヘロデ大王の宮殿へと尋ねた。救い主がユダヤ人の王となるお方なのだから、現行の王にまず面会をし、話を聞くのが筋だと考えたのである。
一方、東方から突然やってきた博士たちの集団に、ヘロデは妙な胸騒ぎを感じていたが、周囲の人々も同様であった。そして、博士たちは王の前に立つと、単刀直入に次のような質問をした。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにいらっしゃいますか?私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みに参ったのです。」
その時ヘロデと周囲の人々は、胸騒ぎの理由を悟り、恐れ驚いた。
博士たちの質問は、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はいますか?」ではない。「お生まれになった方はどこにいらっしゃいますか?」だった。既に、救い主である王が生まれたことを確かな事実として認識していたのである。
ヘロデは高まる不安を抑えながら、急いで民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれることになっているのかと問いただした。すると、彼らはすぐさま王に答えた。
「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」
これを聞いたヘロデは、心の中で策略を練り、密かに博士たちを呼んで、星がおよそ二年前に出現したことを突き止めた。その上で、彼らをベツレヘムへ送り出し、次のように語った。
「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
しかし実際には、ヘロデはキリストの居所を突き止め、幼子を密かに殺そうとしていたのである。
メシアの星、ベツレヘムへ導く
さて、そんな王の腹黒い思惑とは裏腹に、ベルテシャザル率いる博士たちは、キリストにお会いできるまで後一歩のところまで来たことを知り、心は実に晴れやかだった。そして、彼らがベツレヘムに向かって進み始めると、なんと見よ、バビロンで見たあのメシアの星が、再び彼らの頭上に出現したのである!しかも、それだけではない。
その星は明らかに普通では無い動きをし、彼らをベツレヘムまで先導した。そしてついに、ベツレヘムにある一軒の家の真上で、その星は静止した。
博士たちは、ついにキリストに会える瞬間が来たことを悟り、この上もなく喜び、互いに手を叩きあった。
博士たち、幼子を礼拝する
博士たちは、緊張した面持ちで挨拶をし、家の中へ通された。すると、誕生からおよそ2年が経過した元気な幼子が、母マリヤと一緒にいるのが目に飛び込んできた。
見かけは普通の男の子であったが、顔を覗き込んでみると、その瞳の奥には透き通った水晶のような輝きがあった。その幼子と目が合った時、ベルテシャザルは、まるで自分の全人生を見透かされているような感覚を覚えた。
博士たちは、キリストに会えた喜びを噛み締めつつ、幼子の前にひれ伏してこう言った。
「ユダヤ人の王、救い主なる主が、永遠に生きながらえますように!あなたの支配が、永久に続きますように!」
大国の名だたる高官たちが、たった二歳の男の子の前に、このようにひれ伏して礼拝を捧げたのである。
続けて彼らは宝の箱をあけて、極めて高価な値の黄金と乳香、そして没薬を贈り物としてささげた。そして、その家でしばらくの良い時を過ごした後、晴れやかな表情で、神を賛美しながら帰っていった。
以上が、キリストの降誕に関する一部始終の出来事である。
終わりに
その後のイエスについて
博士たちが幼子に捧げた「黄金・乳香・没薬」には、預言的な意味があった。もっとも、彼らが救い主に関する他の預言もよく理解した上で、あえてそれらを選んだ、ということではないだろう。それは、神の摂理によって、導かれたものである。(摂理とは、目には見えない神の導きのこと)
黄金とは象徴的に王を示すものであり、イエスが王となることを表している。乳香とは、旧約聖書の中では神の前にたく香として用いられたものであり、イエスが神であることを表している。没薬とは、死者を埋葬する際に用いる匂い消しであり、イエスが死ぬために生まれてきたことを表していた。
その後、成長したイエスは、およそ三十歳の時に公にメシアとしての活動を開始し、三年半の間、神の国の福音(救いのメッセージ)を語りながら国中を回り、あらゆる病人を癒やし、悪霊に憑かれた人々を解放していった。
「イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた。24イエスの評判はシリア全域に広まった。それで人々は様々な病や痛みに苦しむ人、悪霊につかれた人、てんかんの人、中風の人など病人たちをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らを癒された。」(マタイ4:23~24)
そして、ついにはエルサレムにおいて、十字架へと向かい、苦しみの死を遂げて、墓に葬られた。それは、私たちの罪の身代わりとして、ご自身の命を捧げるためであり、その十字架の死を信じる全ての人が救われて、永遠の命を持つためである。
「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」(マルコ10:45)
「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10:10~11)
そして、キリストは三日後に復活した後、四十日の間、弟子たちの前に度々現れ、彼らの目の前で、天へと挙げられていった。こうして、その生涯のあらゆる出来事を通し、キリストは預言者たちの預言をことごとく成就し、自身が預言されていた救い主であることを確かな証拠をもって証明していった。
そしてイエスは言われた。「・・・わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません。・・次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、47その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』」(ルカ24:45~47)
そして、聖書に記された救い主に関する預言の数々は、将来に起こるイエス・キリストの目に見える再来を持って、そのクライマックスを迎えることとなる。
「見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。」(黙示録1:7)
キリストをたたえる
「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)
地上を去る前にイエスが語ったこの預言的な言葉は、世界の歴史に成就し続けてきた。その後、弟子たちはキリストの命令に従って、世界的な宣教を展開し、キリスト教は時を経て世界最大の宗教となった。そして今日、世界中の数え切れないほどの人々が、毎日のようにイエス・キリストを称えるようになっているが、その数多の信者の中で、歴史上、キリストを礼拝した異邦人(ユダヤ人以外の人々)の第一号となったのが、本記事で取り上げた「東方の博士たち」だった。
彼らは、キリストを礼拝するために、1,400kmもの道のりを歩いた。それは、救い主なる人物に会い、その方を称えることがいかに重要かつ素晴らしいことなのかを認識していたからである。
キリストの降誕は間違いなく、世界の歴史の転換点となった重要な出来事であった。そしてその出来事は、神が私たちを深く愛し、救い主キリストによって私たちを救い、永遠の命を与えようとされていることの確かな証拠となったのである。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)
クリスマスのこの時期、ぜひキリストの愛を知るために、お近くの教会へ足を運んでみてはいかがだろうか?
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付録1:アブラハム契約について
偉大な預言者アブラハム
アブラハムは、古代中近東に実在した人物であり、聖書の中でも最も重要かつ有名な人物の一人である。
「神の声を聞いた」と主張する人は、古今東西どこにでも。しかし、この時アブラハムが聞いた「声」が、他の多くのまやかしのようなものではなく、「本物」であったことは、その後の世界の歴史が証明し続けている。
彼は、世界の三大一神宗教―ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の源流であり、開祖とも言える。この時、アブラハムが神の声に従ってイスラエルへと旅立ったという歴史的事実から、これらの三大宗教は派生しており、彼はそれらのどの宗教からも「偉大な預言者」として絶大な尊敬を受けている。このように、神の約束にしたがって、確かに彼の名は「大いなるもの」となったのである。(参考までに、2,010年の統計*[13]によれば、キリスト教・イスラム教の人口を足すと、世界人口の約55%にも上る)
アブラハム契約とは
創世記の中で、神はアブラハムに対して、何回かに分けて約束を語っているが、それらの約束の言葉を要約すると、(1)カナンの地(現代のイスラエル)を彼の子孫に与える、(2)彼の子孫を海辺の砂粒のように増やす、(3)子孫から救い主が誕生する、といの三つ内容が含まれていることがわかる。そして、これらの約束のことを、専門的には「アブラハム契約」という。
(1)土地を与える:「主がアブラムに現われ、そして『あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。』と仰せられた。」(創世記12:7)
(2)子孫を増やす:「そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。『あなたの子孫はこのようになる。』」(創世記15:5)
(3)子孫から救い主が誕生する:「そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。」
この契約はアブラハムとその子孫にとって極めて重要なものであり、それ以降の神の救いの歴史を貫く大原則・土台となっていくのである。そして以降の時代、神はこのアブラハム契約に基づいて、彼の子孫であるイスラエルの預言者たちを通し、メシアに関する情報を少しずつ、段階的に啓示していくようになる。
なお、このように一度に全ての情報を与えず、まるでコース料理のように、徐々に明らかにしていく啓示の方法を、専門的には「漸進的啓示」というが、これが聖書の神が好んで用いる啓示の方法である。
付録2:キリスト(メシア)の預言
メシア預言について
聖書に記されたキリストに関する預言(メシア預言)の数は、およそ300にも上ると言われるが、その内の約50~100の預言が最初の到来(初臨)に関するもの、残りの200が二度目の到来(再臨)に関するものである*[14]。
初臨に関する預言の多くは、旧約聖書に記されているため、預言が語られてから成就するまでに、最低でも400年もの時間が流れていることになる。日本の歴史に置き換えれば、江戸時代の初期に記された預言が、今日の日本で詳細に成就するようなものである。
さらに、聖書の中のたった8つメシア預言が、歴史上一人の人物に成就する確率でさえ、10の17乗分の1(統計上不可能な数値)という天文学的な数字になるが*[15]、イエスは最低でも50もの預言を完全に成就したため、もはや偶然の一致と片付けることはできない。したがって、それらの預言の成就は、まことの神がキリストによって、人類の救済計画を進めているという確かな証拠となるのである。
全てを取り上げることはできないが、ここではその中から、幾つかの際立った預言を紹介する。
(メシア預言に関する詳細は、当サイトでも、他の複数の記事で取り上げている*[16]。)
ユダ部族、ダビデの家系から誕生する
アブラハムに与えられた約束は、その後、彼の子孫であるイサク→ヤコブによって継承され、ヤコブから出る十二人の息子から、イスラエルの12部族が誕生することとなる。ちなみに「イスラエル」とは、ヤコブが人生の途上で神から与えられた新しい名である。ヤコブは、人生の終わりに、メシアがユダの部族から来ることを聖霊(神の霊)に導かれて預言した。
「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。」(創世記49:10)
そして、アブラハムの時代から約1000年が経った紀元前11世紀の時代、ユダ部族のダビデがイスラエルの王となる。そして神はこのダビデに対して、(1)彼の子孫からメシアが到来すること、(2)そしてそのメシアが「ダビデの王座」につき、その王国を永久に支配すること、(3)メシアが「神の子」と呼ばれることを約束した。
「わたしは、あなたの息子の中から、あなたの世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしのために一つの家を建て、わたしはその王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。・・わたしは、彼をわたしの家とわたしの王国の中に、とこしえまでも立たせる。彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ。」(第一歴代誌17:10-14)
こうして、キリストがダビデの家系から誕生し、ダビデの王座についてイスラエルを永久に治めることが明らかにされた。
地の果にまで救いをもたらす
「主は仰せられる。・・わたしはあなたを諸国の民の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。」(イザヤ49:6)
これは、紀元前8世紀頃、預言者イザヤによって語られた預言である。キリストは、イスラエルを統治するだけではない。彼は全世界の光―希望となり、地の果にまで救いをもたらす者となることが明らかにされている。
キリストは処女から生まれる
「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」(イザヤ7:14)
この預言は、キリストが処女から生まれることを示している。「インマヌエル」とは、ヘブル語で「神は私たちと共におられる」という意味であり、人となられる神が、イスラエルに与えられることを預言的に表している。
キリストは貧しい家の出となる
「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に、主の霊がとどまる。」(イザヤ11:1-2)
この預言では、根株から出る若枝がキリストを表している。「エッサイ」は、ダビデ王の父親の名前だが、エッサイの家は元々ベツレヘムの貧困家庭だった。したがって、この預言の強調点は、ダビデの家系がエッサイの時代のような貧困家庭にまで落ちた後、貧しい境遇の元、キリストが誕生する、ということである。
キリストはベツレヘムで誕生する
「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」(ミカ5:2)
「ベツレヘム・エフラタ」とは、エルサレムを南におよそ10kmのところにある小さな町であり、ダビデ王の出生地である。ミカ書のこの預言によって、このベツレヘムから、イスラエルを治める者であるキリストが誕生することが明らかにされた。
キリストの星が現れる
「ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。」(民数記24:17)
この預言は、紀元前15世紀頃、モーセがイスラエル人をエジプトから導いた出エジプトの時代に記録された預言であり、本記事の冒頭でも紹介した。ヤコブから上る「一つの星」と、イスラエルから起こる「一本の杖」とは、どちらもキリストを指し示している。
ちなみに、この預言を語ったのはバラムという異邦人の預言者であり、彼の出身はバビロンだった。このことから、紀元1世紀の東方の博士たちは、このバラムの預言*[17]を念頭に、空の星がキリストを表していることを理解したと考えられるだろう。(異邦人とは、聖書ではユダヤ人以外の民族全てを意味する)
こうして、神は歴史を通じて、キリストに関する多くの預言を与えてきたが、その希望は様々な苦難を通過するイスラエル人の未来に、一筋の確かな光を与えるものとなってきた。メシア(キリスト)の到来こそ、全ユダヤ人にとっての比類の無い希望だったのである。
脚注
[1] 聖書の訳によっては、博士ではなく占星術者となっている。現代では、天文学と占星術は全く別のものだが、当時のバビロンでは、それらの学問は分けて考えられてはいなかった。また古代のバビロンにおいて、天文学の博士の地位は国家的なものであり、大変高かった。
[2] 東方の博士たちの名前が何であったかを示す歴史資料はおそらくない。ベルテシャザルは、あくまで本物語において著者が付した名前であるが、聖書的な意味を込めている。
[3] 東方の博士たちが、どのように星からメシアの出現を特定できたのかについては、「アーノルド・フルクテンバウム著『メシア的キリスト論』ハーベストタイム・ミニストリーズ。付録4:東方の博士はどのようにして知ったのか」にて、詳しく解説されている。本記事では、そこでの解説を踏まえ、その一部を物語調に展開している。
[4] ダビデ(BC1000年頃)とは、イスラエル史上もっとも有名な王であり、古代のイスラエル王国の統一に大きく貢献した。マリアとヨセフは、そのダビデの家系に属する夫婦だったが、聖書の預言によれば、救い主はダビデの家系から誕生することになっていた。
[5] 中川健一著『日本人に送る聖書物語 メシアの巻上』p.113。なお、『日本人に送る聖書物語』は歴史小説だが、聖書の解説文も多分に含まれており、本記事の書く上で多くを参考にした文献の一つである。
[6] 当時から、ユダヤ人は、彼らが信じる唯一の神に対して、「主」という称号で呼びかけていた。
[7] ガブリエルとは、聖書の中に何度か登場する有名な天使の一人。救い主の到来を預言した預言者ダニエルも、その預言を、ガブリエルから受けている。(ダニエル8:16、9:21)
[8] アブラムという名が、神から与えられる新たな名「アブラハム」に変わったのは、彼が約束の地へ行った後のことである。「アブラハム」という名には「多くの民(群衆)の父」という意味があり、彼がどのような人物となるかを神が預言的に表したものだった。
[9] アブラハムがかつて天文学に精通した人物であったことについては、聖書には記述が無いが、ヨセフスの古代誌でその詳細が言及されている。
[10] ウルの人々とアブラハムとの確執については、ヨセフスの古代誌が、それについて短く言及している。また歴史的背景としては、このあたりの地域では、月神礼拝が盛んであった。
[11] キリストが生まれる前の時代から、現代にかけて、「イスラエル人」と「ユダヤ人」は、同じ人種を指して用いられている。イスラエル人とは、アブラハムの孫の「ヤコブ」を先祖とする人々である。ヤコブは、後に「イスラエル」という新しい名前を神から与えられたために、ヤコブの子孫は「イスラエル人」と呼ばれるようになった。イスラエル人は、ヤコブの息子たちの名前にちなんで、十二部族に別れるが、その中に、ユダの子孫からなる「ユダ部族」がある。「ユダヤ人」とは、このユダ部族の名前から来る呼び名であるが、色々な歴史的経緯から、徐々に「ユダヤ人」は、ユダ部族だけでなく、イスラエル人全体を指すようになっていった。
[12] 聖書的には、イスラエルはまことの神を象徴する場所であり、バビロンは偶像礼拝を象徴する場所である。かつて、天文学に精通したアブラハムがバビロンを捨ててイスラエルへと向かった出来事と、同じく天文学に精通した博士たちが、神からのしるしを受けてバビロンからイスラエルへと旅立つ出来事との間に、筆者は、何か不思議な共通点を感じている。
[14] メシア預言の数が幾つか、ということについては、分類の方法によって数が上下するため、神学者によって意見の相違がある。本記事の執筆にあたって参考にしているフルクテンバウム博士は、初臨に関するメシア預言を丁寧に分類すると、実際は50ほどだと語っている。とはいえ、重要なのは、預言の数ではなく、それらの預言が成就したか、ということである。
[15] ピーター・ストナー『科学が語る:正確な聖書の預言と科学的証拠』p.109-110
[16] さらに詳しくお知りになりたい方は、「アーノルド・フルクテンバウム著『メシア的キリスト論』ハーベストタイム・ミニストリーズ」のご購入をお勧めする。
[17] バラムはイスラエルの神に礼拝を捧げる預言者ではなかったが、彼を通してメシアの預言が与えられたのは、例外的な特殊な事例である。
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