5. 罪による堕落~サタンと人間の反逆|聖書の教え
本来人間は、神によって、楽園で永遠に生きる存在として創造された。しかし、人類が歴史的に置かれてきた状況が、それとは正反対の「苦しみ」と「死」の伴う場所なのは、なぜだろうか?その答えは、聖書の創世記3章の中にある。
エバが蛇(サタン)に誘惑される
3:1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」(創世記3:1-5)
ここで、「蛇が女(エバ)に話かけた」とあるが、動物の蛇自体が、人間と話したわけではない。ここで、蛇を通してエバに話かけたのは、聖書の中で「悪魔・サタン」と呼ばれる、霊的な存在である。
エバを誘惑したサタン(悪魔)とは誰か?
神は、物質の世界と人間を創造する前に、天と呼ばれる霊的な世界で、多くの天使たちを創造した。天使たちも人間と同じように、神の像(かたち)に創造されており、知性や自由意志を持っている。
しかし、天使たちのリーダー[i]は、自らの美しさを誇るようになり、傲慢になって神に背いた。彼は神を賛美するよりも、自分が神のように賛美されたいという、誤った欲望を抱いたのである。こうして、この天使は堕落して、神と神に属する全ての命に敵対するようになり、聖書の中でサタン(ヘブライ語で敵を意味する語)と呼ばれるようになる。
サタン(悪魔)の誘惑が意味したこと
人間が神に不信感を持つように仕向ける
神は確かにアダムとエバに対して「その木から取って食べるなら必ず死ぬ」と警告した。ところが悪魔は、その木から取って食べても、「あなたがたは決して死にません」と語り、エバに対して全くの偽りを語った。
加えてサタンは、「あなた方の目が開け~」と語ることにより、創造主なる神が、アダムとエヴァに対して、意図的に良いものを差し控えている、と思わせた。
これらの嘘によってサタンは、「神は嘘つきで信頼に値しない存在だ」という印象を、エバに対して植え付けることに成功した。
神から独立した方が良い人生になると思わせる
サタンは「あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになる」と語った。つまり、神の命令に背いて、善悪の知識の木から取って食べれば、自分たちも神のようになって、もっと良い人生を送れる、と思わせたのである。もちろんこの誘惑も、サタンによる完全な偽りである。
二人の違反と罪の本質
6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。(創世記3:6-7)
残念ながら、エバは悪魔の誘惑に屈して、禁じられていた木から取って食べてしまった。加えて、自分だけでなく、夫にもそれを与えたところ、夫もそれを食べてしまった。この時、アダムとエバの間にどういう会話があったのか、詳しいことはわからない。
しかし、彼らが取った行動は、明白な罪であり、神との関係の断裂を意味する致命的なものであった。
罪とは何か?
キリスト教のメッセージの中で、「私たちは皆罪人である」という表現がよく用いられるが、多くの日本人にとって、この表現はあまり馴染まないようである。その原因は、罪に対する認識や理解にギャップがあるからだ。
「罪人」と聞いて日本人が連想するのは、法律を犯す人や周りに迷惑をかける人だろう。しかし、それはあくまで、聖書が教える罪の一部分である。例えば、神は人の心の状態をご覧になるので、例え誰かに対して殴ったり暴言を吐いたりしなくても、心の中でその人のことを恨めば、それは神の基準に照らせば罪となる。
しかし、聖書が教える罪の根本的な定義は、アダムとエバが善悪の木から取って食べたことに、その本質がある。それは「創造主である神を信頼しない」ことであり、神の声に耳を傾けず、独立した道を歩むこと、これが、聖書が教える罪の基本的な定義である。
なぜ神を信頼しないことが罪なのか?
神を信頼しない人間の姿は、親の言うことを聞かない反抗期の子供によく似ている。そのような子供は、親が生んで、愛情をかけて育てなければ存在すらしていなかったはずなのに、その親に対する感謝を忘れ、愛情を拒んでいる。
創造主と人間の関係も、これと似ている。人間は、神に創造されなければ、存在すらしていないばかりでなく、今なお生き続けるためには、神の恵みを日々必要としている。人間ははじめから、神に100%依存している存在であり、創造主を信頼しながら生きる者として創造された。
したがって、神を信頼せず、独立した道を歩もうとすることは、創造主から与えられている恩恵と愛を踏みにじる行為であり、人間の存在目的を根本から否定することを意味するのである。
罪による人間性の変化~自己中心
12 人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」13 そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。(創世記3:12-13)
アダムは、善悪の知識の木から取って食べたことに関して神から問われると、その責任を妻になすりつけた。続いてエバは、その責任を蛇に押し付けた。このような行為を日本語で「責任転嫁」と言うが、「責任を嫁に転じる」というこの言葉の意味合いは、アダムが犯した罪を連想させるようで興味深い。
責任転嫁の本質は、人間の自己中心性にある。かつて罪を犯す前、神への愛と隣人への愛を大前提としていた二人の利他的な生き方は、罪人となったことによって自己中心性を帯びるようになってしまった。
世界中のあらゆる人間関係の問題、犯罪、戦争、格差などは、罪に起因するこの自己中心性から来ている。罪の影響とは、実に深刻なものである。
罪に対する裁きの判決
17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
以前の記事で学んだ通り、神の属性には、「聖」と「義」がある。したがって、神は罪を犯す命に対して、裁きを容赦することは決して無い。神は罪を犯したアダムとエバに対して、すぐに有罪判決を下した。
以下に、裁きの判決の内容を説明するが、予め理解しておくべき点がある。それは、「アダムは地上全体の支配権を持つ全人類の代表だった」ということである。
神が人間を取扱う際の原則の一つとして「支配権を持つ者の行為の影響は、その者の全ての支配圏に及ぶ」というものがある。したがって、アダムが罪を犯したのであれば、その影響は地上全体、全人類に及ぶのである。
土地の呪い
「土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった」(創世記3:17)
土地が呪われたことによって、アダムに連なる人類は、苦しんで食物を得なければならなくなった。おそらく、かつてのエデンの園では、土地の生産性が今の世界よりも遥かに高かったことが伺える。人類は歴史的に、多くの飢饉や貧困を経験してきたが、これらの苦しみの原因の一つは、罪の結果としての「土地の呪い」なのである。
また、土地の呪いの影響は、自然災害などにも関係していると考えられる。なぜなら、人間が永遠に幸福に生きるよう定められていた以上、地震や津波、洪水などの自然災害による苦しみも、本来は無かったはずだからである。
肉体の死
「あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」(創世記3:19)
聖書によれば、知恵の木から取って食べたアダムとエバは、その後900年近く生き[ⅱ]、その後死んだ。「あなた方は決して死にません」と語った悪魔は嘘つきで、神の言葉が真実だったのである。愛する人の死を喜ぶ人はいない。人間が「死」によって、歴史的に苦しんできた本当の原因は、罪なのである。
また、人間は肉体の死を迎える過程で、老化を経験するようになったが、老化は人間に様々な病気をもたらすようになった。人類が歴史的に悩まされてきたあらゆる病気や身体の不調もまた、罪が原因として生じていることなのである。
霊的な死
罪によって霊的な汚れをもった人間は、もはや聖なる神との自由な交流を持つことができなくなった。アダムとエバの肉体の死は数百年後にやってきたが、彼らと神との霊的な関係には、すぐに断裂が生じたのである。これを霊的な死という。
人類は歴史的に、様々な宗教を通して、神に近こうとする試みを繰り返してきた。その原因は、人間が霊的に死んでおり、神と人間との間に、断裂が生じているからである。
創造者から永遠の祝福を受けた人間の歴史は、こうして罪による堕落から始まった。二人はすぐにエデンの園から追放され、命の木から食べることはもはや許されなかった。しかし、二人の失敗によって、「人間に永遠の命を与え、地上全体を祝福する」という創造主の計画が、挫折したわけではなかった。
次回の記事では、堕落した世界を回復するための、神による人類救済計画について、取り上げる。
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脚注
[i] 天使たちには、序列がある。最高位の天使たちがケルブであり、その下がセラフ、さらにその下に、無数の天使たちがいる。
[ⅱ] 聖書の記述によれば、ノアの大洪水までの人類の平均寿命は数百年に及び、現在の人間の寿命よりも遥かに高かったことがわかる。この点については、科学的に興味深い事実がある。
ある科学者が、化石から古代の空気の状態を調べたところ、酸素濃度が今の地球の大気よりも50%近くも高かったことがわかった。人間の体調は、酸素濃度がより高い空間に居続けると、大きく変化することが、実験で証明されている。他にも、洪水前と後では、紫外線の量やその他の大気の状態も、大きく違っていたことがわかっている。詳しくは、こちらの動画で説明されている。
結論として、洪水前の時代の人間の状態を、洪水後の現代の人間の基準で測ることは妥当とは言えない。
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