どの宗教にも真理があり行き先は同じ?|宗教的寛容と絶対化の問題②

宗教的寛容と絶対化の問題②:どの宗教にも真理があり行き先は同じ?

確かに、大抵の宗教の間には共通点がある

普遍主義的な考えを持つ人は、その考え方の傾向として、色々な宗教や思想の中に、共通点を見出そうとし、結果的に、このような結論を持ちやすい。

確かに、どの宗教の中にも、何らかの共通点があるものだ。たとえば「周りの人間を大事にするべき」という道徳的な側面は、大抵どの宗教の教えでも見られる。これは、多くの宗教が、人間や社会の幸福を追求するものであることを考えれば、必然的な状況だ。

実際に、聖書の中でも、最も重要な教えの中に「隣人を自分自身のように愛する」ことが含まれている。

一方、世界中の宗教の教えの間には明確な違いがある

しかし、それ以外の多くの重要な教えの面では、それぞれの宗教の間には、明確な違いがあることを見逃してはならない。たとえば、創造者なる神の実在や、その神の特質、人間社会の苦しみの原因や、死後の世界、「救い」の意味や方法などは、個々の宗教によって、大幅に異なってくる。

たとえば、キリスト教の教えでは、イエスは神の子であって、キリストの十字架が罪の身代わりとなったことを信じる者が、罪から救われ、永遠の命を得る、と教えている。

一方、イスラム教では、イエスは偉大な預言者だったが、神の子ではなく(そもそも神には子供がいない)、実際には十字架で死んでいないとされる。また、救いについては、ムハンマドを通して啓示されたコーランの教えに従順であるかどうかにかかっている。

だから、イスラムの教えが正しければ、クリスチャンは救われていないし、逆にキリスト教の教えが正しければ、イスラム教徒は救われていないことになる。このように、両者の間には、明らかな教えの違いが存在し、かつその違いは深いのだ。

また、以上の説明から、これらの唯一神を信仰する二つの世界宗教の教えのどちらも、仏教や神道の教えと明確に異なることは、すぐにわかるだろう。

現実的には、真理を教える宗教とそうでないものがある

仏教の多くの宗派では、輪廻転生(六道輪廻)が教えられているが、聖書では、「人間は一度死ぬことと、死んだ後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブライ9:27)と教えられている。これらの教えの両方が真理だということは論理的にあり得ない。どちらかが真実で、どちらかが間違っているのだ。

また、仏教の浄土系の宗派では、人は「念仏『南無阿弥陀仏』を唱えれば救われる」と教えられるが、キリスト教では、「人はイエス・キリストに対する信仰によって救われる」と教えられる。これらのどちらも真理であり正しい、ということもまた論理的にあり得ない。これについても、どちらかが真実で、どちらかが間違っているのだ。

では、真理を教える宗教が実際には限られているのであれば、その違いをどうやって見分ければ良いのだろうか?その方法については、次の記事、「人間を超越した神の真理は絶対化できない」で取り上げる。

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