13. 赦しについて~赦されるために必要なこと|山上の垂訓の解説

【赦しについて~赦されるために必要なこと】 山上の垂訓の解説(12)

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14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。

山上の垂訓の中で、イエスは弟子たちに「主の祈り」を教えた後、罪の赦しに関する教えだけを再度語った。なぜだろうか?私たちも普段の会話の中で、話の中で特に重要な点を、後から再度繰り返し語ることがある。おそらくイエスが罪の赦しに関する教えを再度語ったのも、同じような意味であろう。

「神による罪の赦し」これは、聖書の中で啓示されている教えの中でも、際立って重要なものである。人間は罪によって堕落したが、堕落した人間が贖われ、再び聖い状態へ回復するためには、「罪の赦し」が必要だからである。つまり罪の赦しとは、救いに関する本質的な問題であり、私たちが救われるかどうかは、罪の赦しにかかっていると言える。

今回は、イエスが別の場面で語った「借金を赦さないしもべの話」を取り上げ、赦しに関して、更なる深い理解へと迫っていく。

借金を赦さないしもべの話(マタイ18:24~)

このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。24 清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られた。

25 しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じた。26 それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします。』と言った。27 しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。

28 ところが、そのしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ。』と言った。29 彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから。』と言って頼んだ。30 しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。

18:31 彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。32 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。33 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』34 こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。

35 あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」

借金を赦さない僕と私たち

この話の要点は二つある。一つ目は、この世で自分が周りの人間にどう接するかは、自分が神の裁きの前に立った時にどう扱われるか?ということと、直接的に関係している、ということである。周りの人々を赦さなければ、神の前で赦しを受けることはできない、周りの人々から背を向ければ、神の顔からも遠ざけられる。私たち各人は、自分が選択してきた人間関係に対する報いを、必ず受けることになるのである。

二つ目の要点は、王が免除した1万タラントという借金の大きさと、僕が免除しなかった100デナリという小さな借金との対比である。当時のレートでは、1タラントは6千デナリで、1デナリはおおよそ労働者の一日分の賃金に相当する。1デナリを1万円として現代のレートに置き換えれば、1万タラントは6000億、それに対して100デナリはたったの100万円である。

この赦さなかった僕は、一生働いても返すことができない程の大金を赦されたにも関わらず、しばらく働けば返せる程の仲間の小さな借金を赦すことができなかったのである。このような話を聞けば、誰もが「赦さなかった僕」の心の狭さを非難するだろう。

ところが、実はこの赦さなかった僕の話は、普段周りの人間が犯す罪を、中々赦そうとしない、私たち自身の姿を表しているのである。私たちが日々神の前に犯す罪の大きさは、あまりにも大きく、1万タラントの借金同様に、返すことができない。しかし、神は私たちの全ての罪を、御子イエスに代わりに背負わせて、私たちの罪を赦して下さった。

それなのに私たちは、それよりも遥かに小さな罪を自分に対して犯す人々を容易に赦そうとはしない。このような偏屈な態度を悔い改めることが無いのであれば、最終的に神の御前に立たされた時に、神から赦してもらえないとしても、それは当然のことである。

今、神の赦しがいかに大きなものであるのかを思い巡らし、その赦しを心から信じよう。そうすれば、周りの人を快く赦すことができるはずである。

 

イアン・マコーマックの臨死体験「主の祈り」で赦される

最後に、赦しに関する興味深いエピソードを語っているイアンの証を紹介する。彼は元々神を信じない人間だったが、死の間際で神に助けを求めたところ、突然目の前に山上の垂訓の台詞が映し出されていった。彼が台詞にそって唱えていくと、赦しを願う祈りの場所で、イアンが赦せなかった人々の顔が映し出された。続きは動画の中で、

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