神様からのラヴレター|志賀 威夫(大阪府出身)


聖書の切れ端を拾って

私は仏教系の学校を卒業して15年間、僧侶をしていました。東京に出て来て、受け入れて貰える寺院もなく、ホームレスになる事を余儀無くされました。

当時、私は僧侶以外の仕事でも何かしないと食べて行けないのでハローワークに足繁く通いました。しかし仕事は見つからず、食べるのにも困る状態になり、途方に暮れていました。

そんな或る日、私が寝床にしている場所に聖書の切れ端が落ちていました。其れにはアンダーラインが引いてあり、こう書かれていました。

「わたしは貴方と共にいて、貴方が何処へ行くにも貴方を守り、貴方をこの地に連れ帰るであろう。 わたしは決して貴方を捨てず、貴方に語ったことを行うであろう。」(創世記28章15節)

松岡広和牧師との出会い

不思議と其れをポケットに入れたのを覚えています。そうこうするうちに、私が2〜3日何も食べてないのを知ってか知らずか、隣で寝ていた人が炊き出しに誘ってくれました。今思うと、それも神様の導きだと思います。

その炊き出しはキリスト教会が主催していて、短いメッセージの後に食事を配給するものでした。食事の後にスタッフの方から声を掛けられ、「一度、礼拝に来てみませんか? 礼拝の後に食事もありますから」と誘われ、礼拝に行くことにしました。

その礼拝では、ゲストスピーカーの松岡広和牧師がメッセージを述べていました。礼拝後に松岡牧師とお話しする機会があり、話しをしてみると「私は元僧侶で韓国に行った際にイエス様と出会い、感動で涙が止まらなくなり、今は牧師としてイエス様に仕えています。」と話して下さいました。

私は驚きを隠せませんでした。偶然に行った教会で、宗派こそ違いますが、同じ密教僧に出逢った事に、とても驚きました。その後、松岡牧師は分かり易く、神様の愛とイエス様の恵みについて話して下さいました。

しかし私は半信半疑のまま1ヶ月ほど教会に通いました。そして代々木公園通路チャペルで奉仕に来ていた東京バプテスト教会の方と知り合い、考えて洗礼に授かる決意をしました。驚くことに洗礼を受けた翌日に今まで見つからなかった仕事が見つかりました。

神様からのメッセージ

洗礼を受けた次の主日礼拝でのメッセージは、ルカによる福音書15章11節〜32節でした。それを聞いて私は驚きました。何故なら、その聖書箇所は今までの私の境遇そのものだったからです。メッセージの主題は「失くしたものが元に戻る」でした。

聖書に書かれている御言葉や牧師が語って下さったメッセージから、私にとっては神様から離れ、自分の考えで生きて来た事を悔い改め、イエス様を愛し従っていくことで、失っていた仕事が見つかり、平安な生活を取り戻す事が出来たのだと理解しました。 同じルカの福音書15章前半には、100匹の羊を飼ってる羊飼いが居なくなった1匹の羊を探すために99匹を置いて出かけて行く話が出てきます。その残された99匹の羊はクリスチャンの皆さんで、居なくなった1匹は私の事であると思いました。神様から離れた私を神様は必死で探し、私が見つかった時に神様は大変喜んで下さったのだと思います。

神様の愛と恵みに感謝

もしあの時、聖書の切れ端を拾っておらず、また教会の礼拝にも行っていなかったら、私は全く違った人生を送っていた事でしょう。今では安定した仕事にも就く事ができ、住む場所も与えられています。

神様の計り知れない愛と恵みに感謝しています。アーメン

 

御言葉の力(追記)

しかし、神様の愛の中で生活していても、私は弱くて愚かな人間で、自分の良い時には神様を忘れ、悪い時には神様に不平を述べてしまいます。そんな偽クリスチャンの私だったのですが、或る聖書勉強会でテサロニケ5章16-17を学びました。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全ての事について感謝しなさい。………」

解説して下さった牧師先生は、こう仰っていました。「喜んでいなさい。」とは、肉的な幸せに対してではありません。肉的に状況の良い時は喜びは存在しますが、悪い時には喜びは消え去ります。目には見えませんが、私達が信じたイエス様がいつも共に居て私達を護り導いて下さると言う確信に喜ぶのです。私達が求めなくてはならないのは、気分の上での喜びでは無く、霊の深みに於ける喜びです。
「祈りなさい。」とは、いつも神様を意識して、必要であれば、心の中で、また人と話してる時でも意識の奥で祈る事です。神様は必ず私達の祈りを聞いて下さる方ですから。
そして「感謝しなさい。」とは、自分の身の周りに起こっていることが、神の許しがあって起こっていることであり、何か目的があると知って感謝することです。と教えて頂き、最後に何か困難に陥った時には上記の事をふまえて聖書を読みなさい、そうすれば必ず良い解決法が見出せますと言っておられました。

ちょうどその時、私は友に裏切られ心が萎えていました。そこで、神様が共に居て下さる事に喜び、良い方へと必ず導いて下さる事に感謝して、祈り、聖書を読みました。何気無くローマ人への手紙を読んでいて、12章まで読み進めたところで、今の私に必要なのは、この御言葉だと気付きました。それは14節~21節で、「あなたを迫害する者を祝福しなさい/復讐はわたしのすることである/善を持って悪に打ち勝ちなさい」と書かれていました。私は裏切った友が幸福になる様に祈り、全てを神様に委ねました。数日後、その友は謝罪に来て和解し、今では私にとって無くてはならない存在になっています。

私は改めて、神様の偉大さ、御言葉の力を思い知りました。そして、神様の愛を私だけが分かっているのではなく、皆に知って貰いたい気持ちになりました。 今、私は神様への感謝の気持ちでいっぱいで、少しでも神様へのお返しが出来ればと思い、代々木公園通路チャペルなどで、神様を知らない人には神様の事を話し、そして喜びながら奉仕をしています。

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