地獄での23分~神はなぜ地獄の苦しみを許すのか|ビル・ワイズ

ビル・ウェイズ氏は、とても健全な人間で、アルコールやドラッグに手を出したことがなく、夫婦関係も良好だった。善良な市民であり、その人間性は、何十年も彼のことを知る警察官からも、確認済である。

地獄への降下

1998年11月23日、彼は就寝した後、夜中の三時に目が覚めた。すると突然、彼の霊は体から引き抜かれて幽体離脱をし、そのまま地獄へ落ちていった。

彼が着いた先は、石の壁と柵に囲まれた、刑務所のような場所だった。不潔で、悪臭が漂い、煙が充満していた。そこで感じた熱は、この世のものを遥かに超えていたので、彼はそこが地獄であることをすぐに悟った。全ての意識ははっきりとしており、夢は幻ではないことは明らかだった。

彼が地獄で体験した中で最も辛かったことは、希望が全く無かったことだった。そこには出口が無く、完全な絶望が支配しており、耐え難い苦しみが永遠に続くことがわかったのだ。

周りを見ると、燃え盛る炎に焼かれている人間がたくさんおり、彼らの悲鳴の大きさで、平安や静寂はどこにも無かった。

地獄から天国へ~イエスとの出会い

突然彼は引き上げられ、トンネルを抜けて光輝く場所へ上昇していき、そこで栄光のイエスに迎えられた。彼が心の中で、「主よ、なぜ私をあんな場所へ送ったのですか?」と考えると、主はビルに、このように答えられた。

「多くの人が、地獄が実在すると信じていないからだ。私の民でさえ、地獄を信じていない者がたくさんいる。」

主イエスが、ビル氏に実在する地獄を体験させたのは、彼の警告を通して、多くの人々が地獄の存在に気付き、地獄への道を選択しないように導くためだった。

ビル氏はインタビューの中で、地獄に関する多くの疑問に、適切な回答を与えている。以下、その内容である。

なぜ地獄が存在するのか?

聖書のヤコブ書には、このようにあります。

「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。」(ヤコブ1:17)

地獄というのは、神から完全に遮断された場所、神はそこから神の特質を全て取り除かれた。だから、地獄は恐ろしい場所なのです。主の特色が全て取り去られたため、主から来る全ての良いものが無いのです。

神と一切関わりたくない者には、そのために用意された場所がある。だからそこはとんでもない場所で、友情や交流、睡眠や休息、力、良い香りなど、一切の良いものを経験することができません。※代わりに、憎しみ、悲しみ、恐怖、絶望だけが存在するようになるのです。

主イエスからの再臨に関する警告

主は、ビル氏に「わたしはすぐに行く、と人々に伝えなさい」(I am coming very very soon)二度に渡り、繰り返し告げた。

ビル氏は、「このような体験を話したら、周りから狂人だと思われるだろう」と思い、イエスに対して、「この事は誰にも言いたくありません。おかしな夢を見て、気が狂ったと思われる」と言った。しかし、それに対して、イエスはこのようにお答えになった。

「人の心を変えるのは、あなたの仕事ではなく、聖霊の仕事である。あなたはただ行って、人々に伝えるのだ。」

なぜ愛の神が、人間を永遠の苦しみに送るのか?

まず第一に、神は誰の事も、地獄へは送っていません。神はどのようにして地獄から逃れるかを人間に示したのに、それを退けた人間が自ら地獄へ行くのです。

地獄とは本来、悪魔とその使いたちの為に創られたもので、人間のためのものではありません。

善人が地獄へ行く三つの理由

なぜ神は善人を地獄へ送るのか?という質問に対して、ビル氏は次のような三つの理由を挙げた。答えた。

1)神との関係性の問題

これには、主に三つの理由があります。一つ目の理由ですが、例えばあなたが国内で最高の豪邸を見つけて、ドアを叩いたとします。そこであなたはこのように言います。「私は今日からこの家に住まわせてもらいます。私は善人ですから。」

しかし家主は、あなたを住まわせてくれることはないでしょう。あなたはその家主と何の関係もありませんから。

これと同じように、もしあなたが全人生をかけて神と関わりを持たず、神の御子イエスを拒否したなら、死んで天国のドアを叩いても、そこに入れてもらうことはできません。つまりこれは善悪の問題ではなく、関係性の問題といえるのです。

2)自由意志の問題

二番目の理由は、自由意思の問題です。あなたがイエスを心に招かない限り、神はあなたの父親ではありません。神は人間を愛しているからこそ、人間が自発的に神の子供となれるよう、選択肢を与えました。しかし、人間は自ら、地獄から逃れる道を「拒否」する方を選ぶのです。

3)神は焼き尽くす火である

三番目の理由は、ヘブル12:29に「私たちの神は焼き尽くす火です。」と書かれています。もしも私たちが、火の中に自分で手を入れて火傷をしたとしても、「なんて熱い火なんだ」と火に文句を言うことはありません。火は燃える性質のものですから。

神の性質は、罪を焼き尽くす火なのです。だから、罪を持ったまま死ぬことを選択する人間が、火に焼き尽くされることになるのです。

 

最後に、神は誰一人、地獄へ落ちていくことを望んでおらず、一人の罪人が地獄へ堕ちる度に、泣いておられる。愛しているからこそ、人を地獄から遠ざけるために、自らの命を差し出されたのです。

もしも私たちが、地獄がどんなに恐ろしい場所かを本当に知るならば、そこから救い出してくれた神に対する感謝の気持ちと健全な恐れを持つようになります。

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