出エジプト記の真実―モーセが紅海を割った奇跡や十の災いは歴史的事実か
「モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。」(出エジプト14:21-22)
「神がモーセによって海を二つに分けた奇跡」や、「エジプトでの十の災い」は、その内容があまりにもセンセーショナルなため、クリスチャンでない多くの人々にもよく知られているが、歴史的事実として認識する人は決して多くは無い。
しかし、もしもこれらの偉大な奇跡の史実性の根拠が確かに示されるのであれば、それは人間の歴史と自然界を支配する唯一の神の存在と、その全知全能の力が証明されることとなるだろう。
そこで今回の記事ではこれらの奇跡の歴史性について、聖書自体の証言と、紅海付近を調査したチームによる地理的・考古学的証拠を取り上げ、その真相に迫っていきたい。
聖書の記録―出エジプトの歴史的背景
イスラエルの一族がエジプトに寄留し始めてから、約400年が経過した。かつてのエジプトの首相であったヨセフ(イスラエル人)が死に、彼を知らないパロ(エジプトの王の呼称)の代になると、エジプト人は、イスラエル人を厳しく扱い始め、彼らを奴隷にし、強制労働につかせるようになった。
彼らの叫びは、イスラエルの神ヤハウェの前に上るようになり、神はついに、彼らをエジプト人の手から救い出すために、モーセを遣わした。
神はモーセを通し「イスラエル人に荒野へ三日の道のりの旅をさせ、神である主に犠牲をささげさせるように」という勧告を与えるが、パロが頑なに拒んだため、十の災いをもって、エジプト人とその地を打った。そして、十番目の災厄で、エジプト中の全ての初子が打たれた時、ついにパロはへりくだり、イスラエル人を完全に去らせた。
しかし、イスラエルがエジプトを脱出してからしばらくすると、パロの心は再び頑なになり、自らエジプトの選り抜きの軍隊を率いて彼らを追跡し、紅海の前でイスラエル人に追いついた。ここでイスラエルの神ヤハウェは、民を助けるため、自身の名を大いなるものとするために、前代未聞の偉大な奇跡を行った。夜通し強い東風を吹かせ、紅海の水を二つに分けたのである。
イスラエル人が安全に対岸まで渡っていく一方、追跡するエジプト人の戦列は神の力によって混乱し、全てのイスラエル人が渡り終えたその時、水は元に戻り始め、エジプトの全ての軍隊は滅ぼされた。こうして、偶像の神々に依り頼んでいたエジプトの誇りと権力は、全能の神の前に崩れ落ちたのである。
以上が、聖書の記録による出エジプトの大まかな流れとなるが、詳しくは出エジプト記1~15章で読むことができる。
それではいよいよ、その出来事―取り分け奇跡的な現象の歴史性を、可能な限り確認していきたい。
歴史的事実としての
聖書の一貫した証言
架空の伝説には見られない具体的な記録
何についても言えることだが、何らかの事実が偽証される場合、その偽りの記録は、必ず真実の歴史と矛盾することになる。そうなると、偽証の事実が暴かれないためによく行われるのが、記録の詳細を曖昧にすることだ。つまり、関係する出来事が起きた時や場所や関係した人物について、詳細を語ることを控えるのだ。
このような理由から、世の中で見られる神話や架空の伝説の多くに、このような特徴が見られるのは偶然ではない。(ただし、その神話がはじめから歴史的事実として書かれていない場合は、この限りではない。)
しかし、出エジプトで起きた一連の奇跡や、聖書全体の記録においては、一般の伝説で見られるような曖昧さが見られない。あらゆる奇跡的な出来事は、連綿と繋がる歴史的背景の中で、起きた場所や時期、関係する人物やその必然性までもが、理路整然と語られているのだ。詳細な記録の具体性は、続く記事の中で追って明らかにしていく。
出エジプトはイスラエル国家建設の土台
十の災いや紅海を割った奇跡は、全てのユダヤ人にとって単なる伝説ではない。それはイスラエルという国家成立の歴史的背景を支える土台であり、彼らの民族的アイデンティティの根幹を成すものだ。聖書の証言によれば、これらの奇跡が起きたからこそ、イスラエルはエジプトの奴隷状態から解放されたのであり、また奇跡によってイスラエルを救出したのがヤハウェだったからこそ、ヤハウェは彼らの神・所有者となったのだ。
十番目の災いと過ぎ越しの祭の関係
ここで、イスラエルがエジプトを脱出する節目となった、十番目の災厄に関する記録を紹介する。多少長い引用となるが、重要なポイントなのでしっかりと目を通していただきたい。
1 主は、エジプトの国でモーセとアロンに仰せられた。 2 「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。
3 イスラエルの全会衆に告げて言え。この月の十日に、おのおのその父祖の家ごとに、羊一頭を、すなわち、家族ごとに羊一頭を用意しなさい。4 もし家族が羊一頭の分より少ないなら、その人はその家のすぐ隣の人と、人数に応じて一頭を取り、めいめいが食べる分量に応じて、その羊を分けなければならない。 5 あなたがたの羊は傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。
6 あなたがたはこの月の十四日までそれをよく見守る。そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり、7 その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける。8 その夜、その肉を食べる。すなわち、それを火に焼いて、種を入れないパンと苦菜を添えて食べなければならない。9 それを、生のままで、または、水で煮て食べてはならない。その頭も足も内臓も火で焼かなければならない。10 それを朝まで残してはならない。朝まで残ったものは、火で焼かなければならない。11 あなたがたは、このようにしてそれを食べなければならない。腰の帯を引き締め、足に、くつをはき、手に杖を持ち、急いで食べなさい。これは主への過越のいけにえである。
12 その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下そう。わたしは主である。13 あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。
14 この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない。
以上の記録からも明らかな通り、出エジプトの奇跡に関係する記録には、曖昧さが無いどころか、関連する出来事や命令が、極めて具体的・かつ詳細に語られている。
「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。」とあるが、この最初の月とは「アビブの月」(またはニサンの月)と呼ばれ、ユダヤ暦の一年の始まりの月となり、今日でもユダヤ教の祝祭日やイスラエルの公式行事は、このユダヤ暦に基づいて行われている。
十の災いの十番目の災厄は、エジプト中の全ての初子が打たれる、という厳しいものだったが、神の命令通り、門柱とかもいに、羊かヤギの血が塗っていたイスラエル人は、神の裁きを免れた。そして、その日は大きな記念となり、以来ユダヤ人は、ニサンの十四日に出エジプトを記念して過ぎ越しの祭を行うようになった。ちなみに、それから約3,500年経った今でも、この祭りは一年の内で最も重要な祭りとして毎年イスラエルで祝われている。
聖書全体で証言されるその歴史性
さらに出エジプトの奇跡は、およそ1500年の期間に渡って書かれた聖書全体において、一貫してその史実性が証言されている。
■ヨシュア記:娼婦ラハブの証言(約3500年前)
「8 ふたりの人がまだ寝ないうちに、彼女は屋上の彼らのところに上って来て、9 その人たちに言った。「主がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちはあなたがたのことで恐怖に襲われており、この地の住民もみな、あなたがたのことで震えおののいていることを、私は知っています。10 あなたがたがエジプトから出て来られたとき、主があなたがたの前で、葦の海の水をからされたこと、また、あなたがたがヨルダン川の向こう側にいたエモリ人のふたりの王シホンとオグにされたこと、彼らを聖絶したことを、私たちは聞いているからです。」(ヨシュア2:8-10)
■詩篇:詩篇作者アサフによる証言(約3,000年前)
「12 神は、彼らの先祖たちの前で、エジプトの地、ツォアンの野で、奇しいわざを行なわれた。13 神は海を分けて彼らを通らせ、せきのように水を立てられた。14 神は、昼は雲をもって、彼らを導き、夜は、夜通し炎の光で彼らを導いた。」(詩篇78:12-14)
■ネヘミヤ(約2,500年前)
「9 あなたはエジプトで私たちの先祖が受けた悩みを見、また、葦の海のほとりでの彼らの叫びを聞かれました。10 あなたは、パロとそのすべての家臣、その国のすべての民に対して、しるしと不思議を行なわれました。これは、彼らが私たちの先祖に対して、かってなことをしていたのをあなたが知られたからです。こうして、今日あるとおり、あなたは名をあげられました。11 あなたが彼らの前で海を分けたので、彼らは海の中のかわいた地を通って行きました。しかし、あなたは、奔流に石を投げ込むように、彼らの追っ手を海の深みに投げ込まれました。12 昼間は雲の柱によって彼らを導き、夜は火の柱によって彼らにその行くべき道を照らされました。」(ネヘミヤ9:9-12)
■使徒行伝:ステパノの証言(約2000年前)
「この人が、彼らを導き出し、エジプトの地で、紅海で、また四十年間荒野で、不思議なわざとしるしを行ないました。」(詩篇7:36)
以上に取り上げた聖書の証言全体を踏まえると(1)出エジプトの奇跡には架空の伝説とは全く異なる話の具体性・必然性があり、(2)それがイスラエルの国家建設の土台・ユダヤ人の民族的アイデンティティであり、(3)歴史的事実として一貫して伝承され証言されてきた、という点が明らかになってくる。
では、これらの点を踏まえて、出エジプトの奇跡が誇張や偽証であったと仮定するなら、一体どんな事実が浮かび上がってくるのだろうか?
歴史の偽証はモーセの十戒への
重大な違反となる
ここで、イスラエルが民族的に伝承してきたもう一つの重要なものを取り上げたい。それが「モーセの十戒(モーセの律法)」だ。聖書の記録によれば、モーセの律法とは、出エジプトの後に、神がモーセを通してイスラエルの民に与えた613から成る法律であり、その律法の中心の原則となるのが、あの有名なモーセの十戒となる。この律法の後代への影響力を極めて大きく、今日世界中にある様々な法律の制定にも影響を与えている。
モーセの十戒と出エジプトの関係
モーセの十戒は、唯一神ヤハウェが、エジプトからイスラエル民族を救出したことを前提に与えられたものだ。そのことは、次の聖句で示されている。
「1 それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。 2 「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。 3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。・・・」(出エジプト20:1-3)
十戒の第一番目の命令は、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」となっているが、その根拠として示されているのが、「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である」という一文だ。
続いて注目したいのが、十戒の第九番目の命令であり、それは次のようになっている。
「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。」(出エジプト20:16)
ここで、出エジプトの奇跡の記録が架空の話だったと仮定した場合に、実に奇妙な情景が浮かんでくる。つまり、イスラエルは民族的に全く相反する二つの伝承―「神が超自然的にイスラエルをエジプトから救出した」という「虚偽」の伝承と、「隣人に対し、偽りの証言をしてはならない」という正直さを要求する法律―を伝承してきたとになるのだ。
嘘をついてはならない、と法律で定めておきながら、自分たちの方は「神が奇跡を行った」と偽りを語り続ける、という奇妙なことが、果たして成り立つのだろうか?それも一人や二人ではない。「民族全体として」である。
イスラエルにおける十戒の重要性
ここで、イスラエルにとって、モーセの十戒がどれほど重要なものであったかを考えてみたい。イスラエルが民族的に度々律法に違反をしてきた歴史があるとはいえ、神に忠実なユダヤ人にとっては、この律法は常に最重要な掟として見做されてきた。
例えば、十戒の中には、週の七日目の労働を一切禁止する安息日の規定があるが、ある時安息日に薪を拾い集める労働をしている男が捕らえられた時の様子を、聖書は次のように記録している。
「32 イスラエル人が荒野にいたとき、安息日に、たきぎを集めている男を見つけた。33 たきぎを集めているのを見つけた者たちは、その者をモーセとアロンおよび全会衆のところに連れて来た。34 しかし彼をどうすべきか、はっきりと示されていなかったので、その者を監禁しておいた。35 すると、主はモーセに言われた。「この者は必ず殺されなければならない。全会衆は宿営の外で、彼を石で打ち殺さなければならない。」 36 そこで、主がモーセに命じられたように、全会衆はその者を宿営の外に連れ出し、彼を石で打ち殺した。」(民数記15:32-36)
ここで、出エジプトの奇跡が偽証だったという仮定をもう一度振り返ってみるが、もしそうだとすれば、この時に安息日を破った男を処刑したイスラエル全員は、違反者を裁いておきながら、自分たちも十戒の掟に違反していたことになる。
しかし、上記で引用した箇所を含め、モーセの律法に関する旧約聖書全体の文脈を見ればわかる通り、安息日を含める十戒の掟を守るかどうかは、ユダヤ人にとって命に関わるほどの重要なものだった。そのような背景の中で、民族全体として偽証に関わったという仮定は、全く非現実的なものであることが見えてくる。
結論として、聖書の中の証言とイスラエルの歴史を論理的に考察すれば、出エジプトの過程で起こった一連の偉大な奇跡―十の災いや紅海を分けた奇跡は、歴史的事実であったと考えることができるだろう。
紅海の奇跡を裏付ける
地理的・物的証拠
上記の動画では、かつてイスラエル人が渡ったとされる紅海とその周辺の調査の様子が紹介されている。詳しくは動画を見ることをお勧めするが、以下に動画のキャプチャを紹介しながら、内容の要約をしていく。
※なお、本動画はサンライズ・ミニストリーによって制作されたものだが、注意点については本記事の下部の脚注に記載させていただく[i]。なお、調査の内容については、近年他の専門家たちによっても裏付けられており、英語版では「The Exodus Revealed: Searching for the Red Sea Crossing」というタイトルでYouTubeにて公開されているものがお勧めだ。
ピ・ハヒロテに面した宿営場所の実在
「1 主はモーセに告げて仰せられた。 『イスラエル人に、引き返すように言え。そしてミグドルと海の間にあるピ・ハヒロテに面したバアル・ツェフォンの手前で宿営せよ。あなたがたは、それに向かって海辺に宿営しなければならない。』」(出エジプト14:1-2)
エジプトを脱出したイスラエル人は、女や子供も合わせると、合計約200万にも上る大群だった。したがって、もし聖書の記録が正しければ、200万の人間が宿営できるような広い場所が、紅海に面した場所になければならない。
実際に、エジプト側の紅海の地形を調べてみると、ちょうど200万人が宿営できるような広さを持つ、ヌウェイバという場所がある。聖書の記録の通り、イスラエル人全員が宿営できるような広さの場所は、たしかに存在しているのだ。
さらに、ユダヤ人の歴史家ヨセフスの証言によれば、彼らが追いつめられた宿営の場所は、険しい山々に囲まれていたようだが、その地形は、まさにヌウェイバと一致しているのである。
「ヘブル人に追いついたエジプト人は彼らを包囲し、近寄りがたい山々と海の間に閉じ込め、行く手を全てふさいだ。両側の険しい山々は海岸線まで来ていたので、逃げ場は無かった。」(ヨセフス)
紅海の海底で見られる車輪の形の人工物
「22 そこで、イスラエル人は海の真中のかわいた地を、進んで行った。・・エジプト人は追いかけて来て、パロの馬も戦車も騎兵も、みな彼らのあとから海の中にはいって行った。・・主は・・25 その戦車の車輪をはずして、進むのを困難にされた。27 モーセが手を海の上に差し伸べたとき、・・水はもとに戻り、あとを追って海にはいったパロの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。残された者はひとりもいなかった。」(出エジプト14:22-28)
エジプト人が戦車とともに海の中を渡ろうとし、そこで溺死したのであれば、その海底の中に、戦車の残骸が残っている可能性がある。もし残骸が見つかれば、確かに神が紅海を分けたことの証明となるだろう。
調査チームは、ダイビングで海底を調査した。すると、ヌウェイバ付近の海底に、明らかに人工物だと断定できる、車輪のような形状のサンゴを複数発見した。(基本的に海底の固形物は、時間が経つとサンゴに覆われる)
また、同じような車輪の形状のサンゴは、対岸付近の海底でも見つかっている。したがって、これらの人工物の遺跡は、かつてエジプト人が、この海の底で戦車と共に滅びたことを裏付ける証拠と言えるだろう。
紅海の海底の地形
ヌウェイバ側と、サウジアラビア領となる対岸の付近で、同じ種類の遺跡が見つかる場所を線で結ぶと、ちょうど東西にまっすぐのラインとなる。
したがって、イスラエル人が渡った海底のルートは、このライン上となるはずである。さらに、このライン上の海底は、急な斜面や淵のない、なだらかな地形でなければならない。そうでなければ、大群が渡りきることは不可能だからだ。
調査チームが、測定器を使い、このライン上の海底の水深を調べたところ、興味深い事実を発見した。東西のライン上の海底の地形は、深い場所で水深500mほどになるが、傾斜は終始なだらかであり、急な斜面や淵は一切なかったのである。このような地形であれば、200万人の人々が歩いて渡ることは、難しくはなかっただろう。
これまでに紅海の海を割った奇跡の証拠として、(1)宿営場所の実在、(2)海底で発見される車輪型の人工物、(3)海底のなだらかな地形、の三つを取り上げた。これらの証拠を総合的に考えるなら、イスラエル人が紅海を歩いて渡った記録は、架空の伝説ではなく、歴史的事実であったと考える十分な理由があると言えるだろう。
結論―出エジプトの奇跡の
歴史性とその意味
紅海の奇跡と十の災いは確かに起きた
今回の記事で取り上げた、聖書全体の証言に対する考察や、また紅海付近の調査結果などを踏まえれば、出エジプトの過程で起きた一連の超自然的なしるしは、全て歴史的事実であったと結論することができる。そしてその結論に基けば、イスラエルの神について、私たちは次の三つの点を知ることができる。
(1)イスラエルの神ヤハウェは、当時最高の権力を誇っていた世界帝国エジプトをあらゆる超自然的な災厄によって裁き、奴隷となっていたイスラエル民族を救出し、一大国家へと成長させた。人間の歴史に介入し、それを導く神の存在は、出エジプト記の歴史性によって確かに証明されたのだ。
(2)またヤハウェは、十の災いや紅海を割るなどの、前代未聞の偉大な奇跡を行うことによって、自身が全知全能の神であることも明らかにした。
(3)最後の点として、イスラエル人に対する祝福の約束は、彼らの父祖であるアブラハム・イサク・ヤコブの時代からなされたものだった。神は、イスラエルをエジプトから救出する出来事を通して、自身が契約の内容に沿って約束を必ず守る神であることを示したのだ。
「わたしはあなた(アブラハム)を大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:2-3)
十の災いは、大患難時代の災いを予表する
出エジプト記に記録されている十の災いの内容と、ヨハネの黙示録で示されている大患難時代の災いとの間には、多くの共通点がある。十の災いが、かつて神に反抗するエジプトの上に確かに下ったのであれば、来たるべき大患難時代において、黙示録で預言されている通りに、同じような災厄が全世界に下ることは極めて現実味を帯びてくる。
実際に今日の世界は、全体として神に敵する自己中心的な世界観で満ちている。私たちは、謙虚な思いを抱いて、神の怒りから救われる方法について、出エジプト記から教訓を得なければならない。
キリストの十字架を予表していた過越の子羊の犠牲
エジプト中の初子が打たれる、という十番目の災厄は、本質的にはイスラエルを含めた全てのエジプトの住人に向けられたものだった。しかし、傷の無い子羊の血を門にかけたイスラエルの全ての家は、その災厄を免れた。
そして、新約聖書ではこの過ぎ越しで屠られた子羊が、十字架の上で人類の罪の身代わりの犠牲となるキリストを予表していたことが明らかになる。(第一コリント5:7)キリストの十字架と復活以降の今の時代、誰でも神の命令に従い、キリストの十字架が自分の罪の身代わりとなったことを信じるなら、かつてイスラエルが救われたのと同じように、神の怒りから救われて、永遠の命を持つことになるのだ。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)
脚注
[i] ※動画の内容自体は、出エジプトの記録を検証する上で大変有益なため紹介しましたが、制作元の「サンライズ・ミニストリー」の母体のセブンスデー・アドベンチストは、種々の教えの内容に対して問題が指摘されている教団ですので、その点はご注意下さい。
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