5. 姦淫と離婚について―情欲を抱いてはならない|山上の垂訓の解説

山上の垂訓 姦淫について

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姦淫してはならない(マタイ5:27-30)

27 『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。28 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女(他人の妻※1)を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。

29 もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。30 もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体がゲヘナ(地獄)に落ちるよりは、よいからです。

31 また『だれでも、妻を離別する者は、妻に離婚状を与えよ。』と言われています。32 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれであっても、不貞以外の理由で妻を離別する者は、妻に姦淫を犯させるのです。また、だれでも、離別された女と結婚すれば、姦淫を犯すのです。

情欲を抱いて女を見る者は既に姦淫を犯した

「姦淫」とは、「男女の不法な性の交わり、一般には既婚者が配偶者以外の者と性の交わりを持つこと」を指している。現代の日本で一般的に用いられる言葉で言い換えれば、不倫や浮気のことであ。

モーセの律法では、姦淫を犯した者は死刑に処せられたが、裁かれたのは姦淫が外面の行動となって表れた時であった。姦淫を犯す者は、まず心の中で配偶者以外の異性に情欲をいだき、次に欲望を遂げるために具体的な行動に移る。ここでもイエスが問題にしたのは、外面の行動だけでなく、当人に姦淫を犯させる心そのものであり、姦淫の罪は心の中で情欲を抱き始めた時点で、既に始まっているのである。

イエスが語った通り、聖書によれば、姦淫の罪を犯す者の末路は、永遠の火の裁きである。この裁きがあまりにも悲惨であるため、イエスは極めて強い語調で「右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい」と警告している。もしこの警告を全てのクリスチャンが間に受けたとしたら、教会は右目が無い人や右手が無い人で溢れるようになるだろう。

ではなぜイエスは、これほどまでに、異性に対する情欲を厳しく警告したのだろうか?これを理解するためには、男性と女性に対する創造者の意図を知らなければならない。

創造者が本来意図した正しい性のあり方

創造者は、初めから人間を男性と女性に造り、お互いが結婚関係によって一つに結ばれることを意図した。そして、男性と女性が互いに惹かれ合うために、子供をもうける時により大きな喜びを感じることができるように、男女に性欲を与えた。この事実から、私たちは二つの点を理解しなければならない。

一つ目は、性欲は神が人間に与えたものである以上、それ自体が悪いわけではない。二つ目に、神が性的な関係を結婚関係の範囲内に限定するよう意図した以上、性欲の対象を配偶者以外の異性に向けることは、根本的に罪なのである。

しかし、人類のこれまでの歴史の中で、この種の罪を全く犯したことが無い人間は、特殊な状況を除けばほぼ皆無であろう。その原因は、アダムがエデンの園で罪を犯して以降、全ての人間には罪が宿っており、創造者が意図した本来の清い状態では無くなっているからである。

「右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい」というイエスの警告は、わたしたちがこの種の罪と決別することができるよう強く迫るものである。そして、キリストを本当に信頼し、聖霊に満たされた生活を送るならば、イエスの教え通りに生きることは不可能ではないだろう。

また、補足すべき点としては、罪を宿している人間にとって、イエスの命令通りに、心の中を十分に清く保ち続けることが難しい時もある。したがって、イエスのこの教えは、私たちが神の聖なる基準に達しえない罪人であり、例外なく神の赦しを必要としていることを、全ての人に明確に悟らせるものである。

※1「誰でも情欲を抱いて女を見る者は」とあるが、原文のギリシャ語は「女」「他人の妻」のどちらにも訳すことができるが、結婚関係について論じられている文脈であることを考慮すると、ここでは「他人の妻」と訳した方が適切だと言える。

不貞以外の理由で離婚してはならない

『だれでも、妻を離別する者は、妻に離婚状を与えよ。』と言われています。32 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれであっても、不貞以外の理由で妻を離別する者は、妻に姦淫を犯させるのです。また、だれでも、離別された女と結婚すれば、姦淫を犯すのです。

「妻を離別する者は、妻に離婚状を与えよ。」とはモーセの律法(申命記24:1)の命令である。この法令が与えられた当時、離婚した後も夫としての権利を主張する横暴な男性が居たために、離婚した女性の側の立場を保護するために、この命令が与えられた。

ところがイエスの時代になると、この律法は、妻と合法的な離婚を成立させるための都合の良い法律として、乱用されるようになった。例えば、「料理が下手だから」という些細な理由で、離婚が正当化されると教えている教師の一派も(ヒレル派)もあったほどである。

そこでイエスは、「不貞以外の理由で」、つまり姦淫以外の理由は、離婚の正当な理由にならないと語り、夫婦の結婚関係を非常に重要なものとして教えた。また新約聖書の別の箇所では、夫婦の関係について、「人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」(マタイ19:6)と語り、結婚によって結び合わされる男女は、神が結び合わせたものであると教えた。

結婚とは何なのか?離婚はどんな場合に許されるのか?世の中には様々な考えがあるが、確かな答えを持っているのは、男性と女性を創造し、結婚制度を設けた神ご自身ではないだろうか?神の意図した夫婦関係の大切さを知らないために、世界の多くの人はその関係をないがしろにし、家庭を破綻させ、お互いや生まれてくる子供に心に深い傷を負わせている。

より良い家庭を築き、社会を平和な場所に変えていくためには、イエスの教えに耳を傾け、結婚についての根本的な認識を改めなければならないだろう。

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