新バビロニア帝国の栄華と荒廃―メディヤ人に滅ぼされる|聖書預言の成就

イシュタル門の壁絵

イシュタル門の壁絵

時は紀元前7世紀、当時の中東全域を支配し世界帝国として栄えていたのは、「新バビロニア帝国」(625年~539年)だった。ところが、この帝国が頭角を表す100年以上前の時代に、聖書の神ヤハウェに仕える預言者イザヤは、この帝国の興亡について、以下のように預言していた。

「わたしは彼らに対して、メディヤ人を奮い立たせる。・・・こうして、王国の誉れ、カルデヤ人の誇らかな栄えであるバビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼした 時のようになる。そこには永久に住む者もなく、代々にわたり、住みつく者もなく、アラビヤ人も、そこには天幕を張らず、牧者たちも、そこには群れを伏させ ない。」(イザヤ13:17-20)

この預言では、主に以下の三つの出来事が予告されている。これから順を追って、これらの預言がどのように成就していったのか、詳細を取り上げたい。

  1. バビロンは栄華を誇るようになる。
  2. バビロンはメディヤ人によって、滅ぼされる
  3. バビロンは荒廃し、そこは人が住まない場所となる。

栄華を誇るバビロン

イザヤが預言者として活動をしていたBC700年頃に、中東全域で最も強かった国は、ニネベを首都とするアッシリア帝国であった。しかし、BC7世紀後半、イザヤが預言した通り、バビロンは力をつけていき、アッシリアとの戦いに勝利して、帝国へと発展していく。以下、新バビロニア帝国に関する詳細である。

新バビロニア帝国: カルデア人 (バビロニア人) がアッシリア帝国を滅ぼして再建した帝国 (前 625~539) 。アッシリア王アッシュールバニパルの死後,ナボポラッサル (在位前 626~605) がバビロニアを掌握し,メディア王国と結んでニネベを陥落させた (前 612) 。続いてネブカドネザル2世 (在位前 605~562) はカルケミシュの戦いでエジプト王ネコ2世を破り,シリア,パレスチナを通ってエジプト国境にいたる領域を支配した。[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2012]

バビロンは、大王ネブカドネザルが治めたその最盛期には、富と権力のスケールにおいて空前の繁栄を遂げ、他のいかなる都市の追随も許さぬほどであったという。彼が造ったバビロンの空中庭園は、その美しさと荘厳さから、古代世界の七不思議の一つにも数えられている。

バビロンの空中庭園

バビロンの空中庭園

メディヤ人によって滅ぼされるバビロン

栄華を誇ったバビロニア帝国であったが、BC539年に、メディア・ペルシャ帝国の侵入を許し、難攻不落と言われていた帝国は、あっけなく没落してしまう。以下、ブリタニカ百科事典の説明である。

この時代に占星術,天文学をはじめとするカルデア文化がバビロンを中心として開花した。しかしナボニドス王 (在位前 556~539) のとき,アケメネス朝ペルシアの王キュロス2世の率いるペルシア軍は戦わずしてバビロンに入城 (前 539) ,新バビロニア帝国は滅亡した。[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2012]

預言されていた攻撃の戦略と指導者の名前

さらにイザヤの預言は、単にその都市が没落することだけでなく、その都市がどのようにして征服されるのか?誰が征服するのかを、事前に予告していた。

深い水の底に向かって、乾け、と言い/お前の大河をわたしは干上がらせる、と言う。キュロスに向かって、わたしの牧者/わたしの望みを成就させる者、と言う。エルサレムには、再建される、と言い/神殿には基が置かれる、と言う。1 主が油を注がれた人キュロスについて/主はこう言われる。わたしは彼の右の手を固く取り/国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれ/どの城門も閉ざされることはない」(イザヤ44:27~45:1)

預言通り、バビロンを征服したメディア・ペルシャの連合軍の王は、キュロスであった。驚くべきことに、イザヤが預言した当時、キュロスは生まれてもいなかった。イザヤは神の霊感によって、やがて登場するようになる王の名前さえも正確に預言をしたのだった。ではキュロスは、一体どのような戦略を用いて、難攻不落のバビロンを征服したのだろうか?

西暦前539年10月5日の夜から6日にかけて、キュロスの軍隊はバビロンの近くに陣営を張った。一方のバビロニア人は城壁で囲まれた都市ですっかり安心しており、宴会を催して楽しんでいた。ちなみにバビロンの城壁の周りには川が流れており、容易に近づくことはできなかったようだ。ところがキュロスの軍隊は、巧みな方法を用いて川の水路を変えて、城壁近くの川の水位を下げて、川床を歩いて近づくことができるようにした。この手法によって、「お前の大河をわたしは干上がらせる」という主の言葉は成就した。

しかし、たとえ近づくことができても、堅牢な城壁の門が閉じていれば、どうにもならない。ところがその晩、なぜか不注意にも、都市の城壁の門は開かれていたのだ。こうして、「扉は彼の前に開かれ」というイザヤの預言は成就し、クロスの軍隊は難なく市内に侵入し、バビロンを没落させることに成功した。

永遠に荒廃するバビロン

イザヤの預言では、バビロンには「そこには永久に住む者もなく」と語られていた。ここで語られているのは一時的な崩壊ではなく、将来に渡って生じ続ける荒廃である。バビロンはクロスによって没落させられてからは、しばらくの間はメソポタミアにおける主要都市として機能し続けたが、時立つ内に徐々に廃れていき、誰も住むものが居なくなっていった。

現在のバビロンはどうなっているのだろうか?イラクのバグダッドの南約80キロの場所に、古代バビロンの遺跡を見ることができるが、そこは今でも荒廃したままである。イザヤの驚くべき預言は、こうして今日に至るまで成就し続けているのである。

発掘されたバビロンの遺跡

発掘されたバビロンの遺跡

なぜバビロンは滅ぼされたのか?

キュロスの軍隊が城壁に近づいていたまさにその夜、バビロンの宮殿では大宴会が行われていたが、その時突如不吉なしるしが起こり、王は恐れおののくようになった。宴会場の壁に突如として人の手が現れ、文字を書いたのだ。当惑した王は、バビロン捕囚で連れてこられていたユダヤ人の預言者ダニエルを呼び出し、その文字の解き明かしをさせた。

その文字は「メネ、メネ、テケル、パルシン」、意味を要約すれば、「天の神がバビロンの王の治世を数えて、それを終わらせた」というものであった。ダニエルは、王の治世の終わりの理由をこのように説明した。

「ベルシャツァル。あなたはこれらの事をすべて知っていながら、心を低くしませんでした。23 それどころか、天の主に向かって高ぶり、主の宮の器をあなたの前に持って来させて、あなたも貴人たちもあなたの妻もそばめたちも、それを使ってぶどう酒を飲みました。あなたは、見ることも、聞くことも、知ることもできない銀、金、青銅、鉄、木、石の神々を賛美しましたが、あなたの息と、あなたのすべての道をその手に握っておられる神をほめたたえませんでした。24 それで、神の前から手の先が送られて、この文字が書かれたのです。」(ダニエル5:22-24)

バビロンの王が滅ぼされた理由は、天の主に対する傲慢と、見ることも聞くこともできない偶像に礼拝を捧げたことであった。まさにその日、バビロンは没落し、彼の治世は終わりを遂げた。聖書の預言の言葉が成就し、神の裁きが下されたのである。

あわせて読みたい