11. 主の祈り―神の御名、御国、御心を求める|山上の垂訓の解説


【主の祈り(前半)】 山上の垂訓の解説(10)

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主の祈り マタイ6:9-15

9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。10 御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。

主の祈り~イエスが教えた祈りの型~

「主の祈り」は、イエスが弟子たちに教えた祈りの型として、極めて重要かつ有名な祈りであり、礼拝中に、主の祈りを唱える教会も少なくない。

主の祈りは、あくまで祈りの「型」であって、文字通りに祈らなければ聞かれない、ということではない。神に近づくことを願う者は、主の祈りで示されている以下の六つの祈りの要素に従って、自由に祈ることができる。

  1. 御名が崇められますように
  2. 御国が来ますように
  3. 御心が天で行われるように地でも行われますように
  4. 日ごとの糧を今日もお与え下さい
  5. 罪をお赦しください(私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました)
  6. 試みに遭わせないで、悪からお救い下さい。

この内、前半の三つが神の御心を求める祈りであり、後半の三つが、自分たちの必要を求める祈りとなっている。創造主なる神へ祈る際、この祈りの順番はとても重要な意味を持っており、聖書の中では繰り返しこの原則が示されている。

例えば、出エジプト20章にあるモーセの十戒では、最初の4つが神との関係に関する内容であり、後半の六つが人間同士の関係を表す内容となっている。またイエスは律法の中で最も重要な掟は何かと聞かれた時に、以下のように答え、神への思いが第一であるべきことを明確に示している。

「36 「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』38 これがたいせつな第一の戒めです。39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。」(マタイ22:26-39

いつでも、神との関係を第一にするべきこと、これが人間に対する神の御心なのである。以上の点を念頭に置いた上で、これから主の祈りの解説を進めていく。

だから、こう祈りなさい。
「天にいます私たちの父よ。~

最初にイエスは「『だから』、こう祈りなさい」という言葉から始めている。前の文脈においてイエスは、パリサイ人の偽善的な祈りや異邦人たちによる繰り返しの祈りを戒めた。そして、天の神が、私たちが祈りをする前から、既に私たちが必要としているのが何であるかを知っている、ということにも言及した。以上の文脈を背景に、イエスは適切な祈りの型を弟子たちに教えていく。

天にいます私たちの父よ

イエスが天の神に向けて「父よ」と語りかけたことは、当時のユダヤ人の背景においては、非常に画期的なことだった。ユダヤ人たちは通常、神へ祈る際、「アドナイ(わが主)」という言葉を用いており、父と子のような親しい関係は想定していなかった。しかしイエスは「父よ」と呼びかけるよう弟子たちに教えることによって、天の神と私たち人間とが、父と子のような親密な関係を持つことができる、という真理を明らかにした。

「神」というと、私たち日本人にとっては、遠く離れたような存在に思えるかもしれない。しかし、実際にはそうではない。むしろ神は、ひとりひとりを、誰よりも深く愛しており、「父よ」と語りかけられることを切に願っている。神を信頼し、「天にいます父よ」と呼びかけることは、神の御心なのである。

御名が崇められますように

なぜ主の祈りの最初が「御名」を崇める祈りなのだろうか?聖書において、「名」とは、当人の本質、存在そのものを意味する。つまりこの祈りは、天の神が、全被造物から崇められ、讃えられるように、という願いを表すものとなっている。

この祈りをする時に、私たちは、神がいかに偉大な方であるかを思い巡らすことができる。神は天と地の創造者であり、計り知れない知恵と力によって万物を創造した。神は永遠に生きている方であり、全ての命はこの方に源を発している。神は偉大な愛を持つお方であり、人類の一人一人に向けられているその愛は、わたしたちの想像を遥かに越えるものである。神は正義の神であり、いつでも正しく公正をもたらし、その裁きを曲げることは決してない。神は聖く純粋なお方であり、いかなる汚れもそこには存在しない。

この聖句で「崇める」と訳されている場所は、別の訳ではしばしば「聖められますように」となっているが、神の御名はどのような点で、聖められる必要があるのだろうか?

全宇宙の秩序と平和は、「神の御名が被造物全体から崇められるかどうか」、この一点にかかっている。しかし、神の御名は、サタンの訴えによって、また人間の罪深い生き方によって、歴史を通して汚されてきた。だからそこ、祈りの中で、「御名が崇められますように」という願い第一に持つことは、とても大切なのである。

御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。

地上における神の国の実現とは

「御国」とは、神が主権をもって支配する「神の王国」を表している。神が「完全に」支配する場所として、永遠の昔から普遍的に存在してきたのは、聖書の中で「第三の天」と呼ばれる領域であり、そこではいかなる不正や苦しみも存在することなく、完全な平和と調和が保たれている。(黙示録21-22章)

※「第三の天」は、一般的にクリスチャンが「天国」と呼んでいる場所のことであり、物質世界からは検知できない霊の世界で、神が支配している場所である。

このような完全な世界としての神の国は、かつて地上にも存在はしていたが、アダムとエバが罪を犯した時以降、地上は罪によって呪われるようになってしまい、人類の歴史には苦しみが耐えなくなってしまった。(創世記1-3章)

しかし、天だけでなく、地上全体にも御国を実現させる神の計画は、アダムとエバとそれに連なる人間の失敗によって挫折したわけではない。ヤハウェは、自身が語った言葉を必ず成就させる全能の神だからである。

「10 天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える。11 このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。」(イザヤ55:10-11

神は、最初の人類アダムとエバが反逆した後すぐに、滅びゆく人類の救済計画と、神の国の再建計画を約束し、救い主(メシア)となる人物を通して、計画を成し遂げることを明らかにした。聖書の中に記されているこの最初の預言は「原福音」と呼ばれ、以降の救済史を貫く大原則となっていく。

わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」(創世記3:15

この計画が約束通り進行していることは、キリストに関する預言(メシア預言)とその成就を通して、人類の歴史に明らかになっており、今なお完成に向かって進んでいる。さらに聖書の預言を紐解けば、現代は地上への神の王国の到来が近い特別な時代であることが理解できる。その時地上には、かつて人類が経験をしたことが無かったような平和と繁栄の時代が到来し、その御国の支配は永遠に続くことになる。

「見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。14 この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」(ダニエル7:13-14

※聖書が教える「神の国」の正確な定義は、以下のリンク先のチャート資料を参照することをお勧めする。
神の国―By Dr. Arnold Fruchtenbaum

既に到来した「奥義としての王国」

イエス・キリストは、かつてのユダヤでの公生涯において、あらゆる病を癒やし、悪霊を追い出すなどの様々な奇跡を行った。それは、キリストが救い主として生まれた神の国の王であり、神の御国の到来が迫っていたことを明確に示す「しるし」となった。

ユダヤ人が民族的にキリストを拒否したため、地上における神の国の実現は延期されたが、霊的な意味における神の国(奥義としての王国)は、キリストを信じる者たちによって継承され、地上で進展していくこととなった。その証拠として、神はその後のクリスチャンたちを通して、様々な「しるし(奇跡)」を行うようになり、その記録は新約聖書の「使徒行伝」に記されている。

今日でも、クリスチャンが心を一つにして集まり合う世界中の様々な場所において、一世紀さながらのリバイバル(霊的な覚醒)が起こることがあり、そうした場所においては、病の癒やしを含める色々な奇跡が、神の国の到来を指し示すしるしとして、顕著に起こっている。

地上で進展する神の国のために祈る

地上における神の御国は、最終的な実現に向けて様々な形で進展しており、私たちはその御国の計画が力強く進展するように、天の父に祈ることができる。

例を挙げれば、教会や助けを必要としている人々のために犠牲を払って活動をする仲間たちのため、御国の良い知らせを伝えるために骨折って働く牧師や宣教師・伝道者のため、御国の原則に沿って忠実に歩み、地の塩・世の光としての務めを果たしている仲間たちのために祈ることができる。彼らは、地上における神の国の進展に貢献しているからである。

御国の支配の進展と実現の目的は、人類救済のためでもあるが、より重要なこととしては「御名が崇められるため」である。「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように」と祈る時にはいつでも、神への崇敬な思いを込めて、願いを捧げる必要があるだろう。

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