【イエスを信じたユダヤ人の証言】ホロコースト生存者の息子がメシアを見つける


エルサレムで生まれたゼエブは、父がホロコーストの生存者であった。父は家族、親戚をみなアウシュビッツで亡くしため、そのホロコーストの体験が、「神はいるのか」という疑問を父に抱かせていた。そんな父に育てられた彼は、神がいるのかについてあまり考えたことがなく、なんとなくいないと思っていた。

エルサレムの人は信仰心の厚いユダヤ教徒か、薄いユダヤ教徒かに分かれるが、彼は信仰的な人とは関わりがなかった。「[信仰的な人たちのように]熱い中真っ黒な服を着ていることが神を信じるということか?神がいるならあのようにしてほしいと思っているのか?」と考えていた。

Jews for Jesusとの出会い

イスラエルでの兵役の後、彼は広告会社に勤めた。収入が良く、自分は人生の成功者だと思っていた。彼はロンドンでテクノ音楽をやり、目標があった。しかし、その中でも何かを求めていたのか、バスに乗りながら「Jews for Jesus」という看板が目についた。ユダヤ人とイエスが関わるはずがないと考えていた彼は、おかしな広告だと思っていた。

2年間、バスに乗ってはその看板を見、ある日、彼は自分に問いかけてみた。「あの店に行って、彼らの言い分を聞いてみよう」。店の中で彼はヘブライ語訳の新約聖書を見つけ、「クリスチャンのものである新約聖書を、一体ユダヤ人の誰が読むんだ」と思った。それから、ユダヤ人の店員が、ヘブライ語で話しかけてきた。その店員は旧約聖書を信じていたが、イエシュア(※ヘブライ語でイエス)こそ預言者たちが預言してきたメシアだというのだ。

「イエシュア?」彼はイエシュアという名前を一度も聞いたことが無かった。ラビたちはイエスのことを「イエシュア」ではなく「イェシュ」と呼び変えており、彼はそこには何か事情がありそうだと思った。普通、人ともめた時、相手の名前を変えることはしない。目の前に、イエスの誕生について何百年も前に書かれたヘブライ語の聖書がある。彼はそれを読んで、イエスについて真剣に調べようと思った。

旧約聖書の預言からメシアを見出す

調べるうちに、いくつものメシアに関する具体的な情報を発見し、彼は心底驚いた。ダニエル書にあるように、メシアは第二神殿が崩壊する前に来る必要があり、私たちの罪のために死ぬという目的で来られる必要があった。無神論者であった彼は、その時、2つの選択肢に直面した。偶然の一致が素晴らしく起こったと見なすのか、新約聖書を真実だ(要はイエスをメシアだ)と認めるかである。彼は、これを真理だと認めることより、ただの偶然の一致だと信じる方が、遥かに信仰が必要だと感じた。

イエスを信じて変えられたこと

イザヤ書53章6節が全てを要約していると彼は考える。

「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」

イエスが私たちのために亡くなったというこれらの言葉が強く彼の心に残った。

彼はイエスを信じてから、何が正しくて何が間違っているのかを見分けるのに、新しくイエスに与えられた良心に従うようになった。今まで普通だと思っていたこと、誰しもがやっていることを、突然良くないことだと思い始め、世界が別物に見えはじめた。

「新しい命が芽吹き始めた。完全に新しい自分に生まれ変わったのだ。」

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