得度を受けた仏教徒の私が、クリスチャンになった理由とは?永山太


元仏教徒クリスチャン 永山太

永山 太(ふとる)
有限会社NEXUS(ネクサス)|経営コンサルタント

仏教との出会い

私の実家は奈良県の大和郡山市で、法隆寺まで車で15分の距離に位置しています。土地柄なのか、小学生の頃から歴史が好きで、よく友達と一緒に、明日香や古墳、お寺巡りなどをしていました。高校まで奈良で学び、将来は小学校の教師になりたいと思い、二浪した上に選んだのが(というか他大学はすべて不合格でした。)四天王寺国際仏教大学です。

入学式は、礼拝堂に集まり、釈迦如来像の前に献灯(けんとう)をし、全員でブッダーン・サラマーン・ガチャミーンと、開経偈(かいきょうげ)に般若心経を唱えることから始まります。お葬式ぐらいでしかお寺さんとのお付き合いがなかった、一般的な家庭で育った私にとって、この仏式の入学式は相当にカルチャーショックでした。大学というのは、アカデミックでどちらかというと西洋的なイメージを持っていましたので、まさかお経を唱えることになろうとは夢にも思わなかったのです。そのとき、ああ、自分の人生はこんなはずじゃなかったのにと強く感じていました。

実は卒業した高校は進学校だったので、当時、大学や同級生に対する学歴コンプレックスを持っていたのです。

しかし、礼拝日に瞑想をし般若心経を唱え、写経を4年間続けていくうちに、仏さまの有り難味が染み付いてくると申しますか、中々心地良く感じるようになって行きました。

得度(とくど)を受ける

卒業年時、私は小学校教員の採用試験に受からず、日本旅行という旅行会社に就職をします。営業成績は、とても順調でした。しかしその一方で、毎晩のように同僚と酒を飲み歩き、自堕落な生活を繰り返していました。結婚をしてからも生活態度はさほど変わらず、ある雨の日の深夜、トラックが行き交う阪神高速で飲酒運転でスリップし大事故を引き起こしてしまいました。命があったのが本当に不思議です。そんな自分を改善したくて、罪からの開放を仏教に求めていくようになりました。また環境を変えたくて転職もしました。

2000年に、当時の四天王寺の管長猊下(げいか)のお導きで得度を受け、仏弟子となりました。その際の儀式としてキリスト教でいうところの洗礼式がありました。滴礼方式で、お水を額の三箇所に、チョンチョンチョンと付けます。得度式には家族も参加してくれました。さらにその半年後には、実家が浄土宗でしたので、3日間お寺に通い「五重相伝」という修行を受け、戒名も授かるのです。これで救われたと思っていました。

日本型仏教「和の精神」の使命感

これからは心を入れ替え、自分の中心に、自己(我)ではなく、阿弥陀如来を据えて生きよ、世界には色んな宗教があるが、それらの神々はすべて仏の化身であって、神社でも、教会でも「南無合掌」「南無阿弥陀仏」と唱え精進すれば良いのだと教えられました。

なるほど、そういうことだったのかと合点しました。また大学在学中から、聖徳太子の「和の精神」も学んで来ましたから、真理という山の頂上を極める道は、色々あっていいのだ。キリスト教など一神教の排他主義、原理主義が、諸悪の根源なんだ。今こそ、宗教的和解の為、世界平和の為に、日本型仏教こそが立ち上がらなければならないんだ、と真面目に考え、四天王寺が音頭をとって英国で行われた世界宗教者会議もお手伝いしました。

有頂天になった結果

環境を変えようと転職し、東京へ引っ越して来た後も、海外との国際交流使節団やケニアのAIDS治療医療団、エチオピアのマザーテレサ孤児院訪問など旅行会社時代の経験を活かした充実した日々を過ごすことができました。

よく人生には3つの坂があるといいます。「登り坂」「下り坂」そして「まさか」です。私の場合、順風満帆に見えたかのような日々を送っていたとき、神様は、ある日突然、会社が無くなるという試練をお与えになりました。傲慢になっていたのです。

ある教会で起きた論争

失職した私は、経営コンサルタントとして独立する道を選びました。それは起業などというかっこよいものではなく、失職してすごすごと大阪には戻れないというプライドがそうさせたのです。どこまで哀れで愚かな自分なのでしょう。

さて2007年2月のことです。仕事上のパートナーであるクリスチャンの方から、集会へのお誘いを何度も何度もしつこく頂きました。それで、仕方なくお付き合いで教会へ行ったのです。そこでの福音メッセージは、「日本人には、真理を求める道は、色々あっていいんだという考え方があるが、それは全く誤りで、イエス・キリストの十字架を通して以外、救いの道は無いのです」というものでした。私は「和の精神」に基づく日本型仏教徒として、心が騒ぎ、ついで怒りの気持ちが沸いて来ました。

メッセージの後、数名のクリスチャンがニコニコしながら私を取り囲み「今日のお話はいかがでしたか」と尋ねて来られました。当然、私は今日のメッセージのどこそこがおかしいと指摘しました。やがて長老の方が出てこられ、その交わり会は、一転して仏教徒対キリスト教徒のバトルへと展開していくのです。

すべての宗教は一つの真理に帰する

2007年2月、初めて教会に行き、そこでの福音「イエス・キリストの十字架以外に救いの道はない」に大変反発を覚えた私は、フレンドリーに話かけてこられたクリスチャンの方々に対して論争を仕掛けました。初めの二言三言で、先方はどう返答をしてよいのか沈黙をされ、勝ったと思いました。(傲慢になり、相手を裁いていました。当時は、主の前に常に謙遜でいる、などという意識はまったく持ち合わせていなかったのです。)すると長老クラスのリーダーの方が加わり本格的なバトルになりました。

私が主張した内容は、

・まことに真理というのは一つであるが、そこに至る道は色々ある。

・そもそも宗教というのは方言のようなものであり、唯一である神(仏)は世界の国々、地域の文化の発展状況や民族に応じて適切な現れ方をされる。

・日本が律令国家として、誕生するのは聖徳太子の時代で、私たち日本人は、それ以来「和」というものを大切に神仏を敬って来た。

仏教(神道)は偶像礼拝ではない

この神(仏)とキリスト教の神が同じであるという主張に対し、相手は「私たちの信じる神は、仏像などの偶像ではないし、そもそも偶像礼拝はしない」と反論されました。そこで私は、仏教は偶像礼拝ではないと説明しました。つまり現在の仏教徒が仏像や仏壇に手を合わせるのは、その仏像を通じて、先祖に思いを馳せ、生かされている自分を内観、つまり謝恩の心で手を合わせるのであって、エジプトの神々や出エジプトに出て来るイスラエルの民が崇めていた金の子牛のような他力本願の対象でなないと。

すると「そのようなことを言う仏教徒に出会ったことがない、どう見ても仏教は偶像礼拝だ。」と譲られないので、100歩譲って仏像が偶像だとして、ではキリスト教徒だって、マリア像やピエタ像を拝んでいるではないかと応戦したら、「あれはカソリックで、私たちはプロテスタントです」と返ってきます。私はキリスト教に、カソリックやプロテスタントがあったとしても、それはキリスト教徒以外から見れば、みな同じでしょう。そう言うのだったら、仏教にも色々あることを認めればよいではないか、とこんな調子でお互いに譲りません。

四恩

仏教には、四恩という言葉があります。それは、私たちは、父母の恩・衆生(しゅじょう=社会の意)の恩・国の恩・三宝(仏・法・僧)の恩を受けており、誰一人として自分だけの力で生きているのではなく、その四恩の恵みで生かされているという教えです。

よく日本人は八百万の神々を信じていると言われますが、それも、この四恩の教えから、自然界に対して畏怖の念を持っていることであり、決して宗教的に無知だと揶揄されることではありません。聖書にも、この世の権威で、神によらないものは一つもないと記されています。

日本人に贈る聖書ものがたり

同じ真理を求めているのに、どうして伝わらないのだろう。こちらのことを理解してもらうためには、相手が拠り所にしている聖書というものを良く知らなくてはならない。そう思い手にしたのが、『日本人に贈る聖書ものがたり』でした。

今まで私は、遠藤周作や曽野綾子、三浦綾子の本を始め、さまざまな聖書解説本を読んでいました。また中学の時、初めて友達と映画館に行って観た『がんばれベンジー』と同時上映されていた『天地創造』(創世記1章から22章イサク奉献~アブラハム契約まで)やハリウッド映画『十戒』などを通じて、それなりに聖書の知識はあったつもりでしたが、断片的な知識では、彼らを論破できないと感じていました。(後に、自分は聖書を知ってはいたが、その本質を理解していなかったことに気づきます。)

しかし『日本人に贈る聖書ものがたり』を読み始めて、聖書に書かれている内容が、まるで世界史の教科書のように面白く感じられ、少なくともイエス・キリストは実在の人物で、十字架刑は歴史的事実であったことを認識したのです。それで著者に会ってみたくなり、2007年4月ハーベストの月例会に初めて参加しました。

混乱とあがき

後に9月から毎週開催される東京フォーラムにも通い続けましたが、純粋に聖書を学ぶという気持ちからではありませんでした。どうも歴史的、科学的に分かり易くまとまっていそうな聖書と仏教がどのように関わっているのか…つまりすべての宗教は一つに帰結すると考えていましたから、聖書の三位一体論は仏教では大日如来(創造主)、阿弥陀如来(聖霊)、弥勒菩薩(子)のことか、バプテスマのヨハネは、親鸞聖人の言っていること同じだなと、聖書を学ぶ中に、仏教の正当性を見つけようと必死でした。と同時に、そもそも釈迦は何を教えていたのか、仏教の根本教理は何だったのか確認してみようと思ったのです。

毒矢の譬え

聖書の中に仏教の正当性を見つけようとする一方で、ある疑問を感じるようになりました。それは、同じ仏教なのに、他力本願と自力本願と、ま逆の教理があるということです。私がつながっていた浄土宗は、南無阿弥陀仏と仏に縋(すが)り御名を唱えることで死後、極楽往生に行くというものでした。一方、現世での業(カルマ)によって、次の世界が六道輪廻(天国・人間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄)するという教理もあります。しかし、そもそも釈迦は、カースト制の束縛から逃れる道をも説いていたのですから、まず輪廻は原始仏教の教えではないように思いました。では、釈迦は死後の世界をどう捉えていたのでしょう。

「毒矢の譬え」という話があります。ある日、釈迦の弟子が、「この世界は本当に実在しているのか、世界は有限か無限か、世界は創造されたものか、世界にはいかなる目的があるのか、人間は死んだらどうなるのか」などと質問をしました。答えはすべて聖書に書いてありますが、釈迦は、次のように諭しました。「ある人が、どこからか飛んできた毒矢で胸を射られたとしよう。そして彼の友人がその毒矢を抜こうとする時に、射られた本人が、『待て、誰がなぜ私を射たのか、その矢はどこから飛んで来たのか、その矢尻は金属か石か、などすべて知りたい。それらのことがすべて解るまでこの矢を抜くな』と言ったならば、彼はどうなるであろうか。すべてのことを知る前に彼は死んでしまう。このようなことを考えることは、現実の苦しみや悩みの解決には何の役にも立たない。」つまり、釈迦は、実在する物事の存在を決定する根本的な原理、形而上学の質問に答えるという形での救いを説くのではなく、捉われない思考を求めました。

原始仏教は哲学であった

釈迦の誕生には諸説があって、紀元前463年とか前383年とも言われています。イスラエルの民がバビロンから帰還したのが前538年ですので、丁度、旧約聖書(マラキ書)と新約聖書との空白の400年間のことだと思います。その釈迦が入滅する際の遺言は、「全ては移ろいゆくもの、怠ることなく修行を完成させなさい」でした。つまり、釈迦は偶像礼拝に陥ることなく、ただ真理を追究なさいと弟子たちに命じたのですが、これらのことから、私は原始仏教は宗教ではなく、哲学であったと考えはじめました。しかし、弟子たちは釈迦の教えを守らず、分骨をし、その仏舎利は、今日8万余りの寺院に配布されています。

大乗仏教の中の原始キリスト教

さらに釈迦の入滅700年後、聖書的には、エルサレム陥落からローマでキリスト教が国教になるまでの間ですが、それまでの上座部(じょうざぶ)仏教に対し宗教改革が起こり、庶民の為の仏教、大乗仏教が誕生します。その大乗仏教がインド、中国、朝鮮を経て日本に伝わるのが538年、聖徳太子の時代ですが、当時の世界的背景から考えると、日本の仏教は、すでに初期伝搬のときに、キリスト教を始めヒンズー教や諸宗教の影響を受けていたのであろうと想像します。実際、最澄や空海が、唐で仏教を学びましたが、当時、唐では仏教と並んで、景教(ネストリウス派)という古代キリスト教が盛んでありました。またムハンマドがイスラム教を起こすのも、この時代のことです。

しかし、日本型仏教のルーツを古代キリスト教に求めたとしても、それはイコール神と自分との個人的な救いの関係にはなりません。何故なら十字架のことを理解していないからです。

聖書的世界観へ

さて、いつしか仏教を求道することは止め、論理的・科学的に聖書研究を続けるうちに、私の心の中でジャンプする時がきました。それは、2008年4月のフルクテンバウム博士の『神の人類救済プログラム~ディスペンセーショナリズムと8つの契約』を受講した時でした。それまで、マタイの福音書を学ぶ中で、かなり心が揺さぶられてはいましたが、ヘブル的視点に立って、創世記から黙示録までを串刺しに概観することで、的が定まりました。聖書が神の啓示の書であること、人類救済の歴史書であることが確信出来たのです。あとは、乾いたスポンジに水が沁み入るようにドンドンと内側から変えられて行きました。十字架は、神の永山太救済プログラムだったのですね。

初めて教会に行った時、あれだけ反発をした聖句「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネ14:6)に今は心からアーメンと言うことが出来ます。

哲学的思考では、まことの神を知ることは出来ません。何故なら、人が神を作るからです。私たちが信じる三位一体の神は、人が作ったものではなく、人や釈迦をお造りになられた方です。そもそもベクトルの方向が違っていたのです。

「神様、ただいま戻りました。そしてごめんなさい」。受洗日の証を昨日のことのように思い出します。主にあって感謝(終わり)

あとがき

この証を書く機会を与えて下さった中川先生、祈ってくださった聖書フォーラムの皆さん、そして原稿の推敲を手伝い、励ましてくれた妻に心から感謝します。

永山太氏のセミナーの紹介「仏教の世界観と聖書的世界観」

2014年に、永山氏がハーベストタイムミニストリーズで語ったセミナー「仏教の世界観と聖書的世界観」が、Youtubeで4回に分けて公開されているので、以下に紹介させていただく。

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■プロフィール

永山 太(ふとる)
有限会社NEXUS(ネクサス)
経営コンサルタント

1961年生まれ。奈良県出身。
1986年IBU四天王寺国際仏教大学教育学科卒
日本旅行入社後、健康食品会社、NPO団体を経て現在に。
元仏教徒クリスチャンとして、聖書をベースとした、営業研修、コミュニケーションセミナー、比較文化宗教セミナーなどを手がけている。
2008年11月3日受洗
妻と高2、中3の息子。家族は全員ノンクリスチャン(祈りの課題)
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